本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜  
by近衛 遼




ACT22 桐野藍の複雑な胸中

 いろいろと予定外のことが続いたが、まあ、おおむねよしとしよう。
 翡晶と庸銘が水木たちの護衛のもと、槐の国との国境ちかくにある古城に向かったあと、藍はそう自分に言い聞かせた。
 夏氏の件が片づくまで、翡晶たちは和の国に留まるだろう。が、このまま都にいては、なにかと物騒である。銀生はそう考えて、彼らを一時、先代の御門が夏の離宮として使っていた古城に移すことにして、その護衛を斎と水木に依頼したのだ。
 斎はともかく、あのちゃらちゃらとした外見の男がまともに要人警護などできるのだろうか。
 藍はそう懸念していたが、銀生によれば如月水木という男は御影本部のナンバーワンで、これまでも槐の国関連の任務を多く手がけてきているらしい。藍も東方の国での仕事が多いが、いままで水木の名を聞いたことはなかった。
 もっとも、都の者が御影本部の者と共同で任務に当たることはまずないから、あたりまえと言えばあたりまえだ。義弟の斎についても、御影の宣旨を受けて御影宿舎に入ってからは連絡がとれなくなっていた。これもまた「御影」の任務の特殊性を考えれば、当然のことなのだが。
 斎に会ったのは、じつに八年ぶりだった。偶然とはいえ、やはりうれしい。斎になついていた碧も、まるで昔に戻ったかのようにはしゃいでいた。
「なあなあ、おれ、久しぶりに斎にーちゃんのメシ、食いたい!」
 碧は幼いころ、よく斎に食事を作ってもらっていた。
 桐野の家にはたくさんの子供たちがいたが、その世話をする家政婦や保育士のような者はいなかった。財政的な理由もあったが、それは藍の父、玄舟の主義によるところが大きく、子供たちは「子供同士で助け合って暮らすように」とつねづね言われていた。
 むろん、母が食事の準備や洗濯、掃除といった日常のことをしていたが、なにしろ大所帯である。女ひとりでなにもかもできるわけはない。いきおい、年長の者が下の者の面倒をみることになる。
 藍も学び舎から帰ったあとは、子供たちの勉強をみてやったり、ケンカの仲裁をしたり、行儀や言葉遣いを教えたりしていた。
『と(そ)んなこと言っても、れ(で)きないもんはれ(で)きないよっ』
 サ行がタ行に、ダ行がラ行になる癖のあった碧は、発音の矯正にかなりの時間がかかった。ときにはヒステリーを起こして逃げ出す碧を、斎が連れ帰ってきたことも何度かあった。
『握り飯にシャケ多めに入れてやるから』
 なんでも、そう言って懐柔したらしい。
 ちなみに砂糖入りの卵焼きを最初に作ったのは、斎である。碧たちに急かされて、塩と砂糖を間違えて入れてしまったらしい。が、これが子供たちにはおおいにウケて、その後、桐野家の朝食の定番メニューになった。
「シャケおにぎりと、タマネギの味噌汁と、砂糖入りの卵焼きがいいなっ」
 すっかり作ってもらえると思い込んでいる碧は、斎の腕を引っ張ってオーダーを出していた。
「ええと……でも、おれ、任務中だし……」
 斎はちらちらと横にいる自分の「水鏡」を見ている。断るかな。藍がそう思っていると、水木はにんまりと笑って、
「美しい兄弟愛よねー。いいわよ、べつに。文遣いの仕事は終わったし、次の仕事はあしただし」
 先刻、銀生は水木に翡晶たちの護衛を依頼したのだ。
「斎の作るモノって美味しいもんねー。あ、でも、アタシは甘い卵焼きなんて食べたことないわよっ」
 ぐい、と斎の襟を掴む。
「このコ専用の料理ってこと? 妬けるわねぇ」
「そっ……そんなことないです。作ります、作りますっ」
 しっかり尻に敷かれている。
「あの、それで、いったいどこで作れば……」
「みんなでウチに来ればいいじゃないの」
 のほほんとした声が割って入った。
「若さまたちもウチに泊まってることだし、ちょうどいいでしょ。で、晩飯のあとはミーティングね〜」
「ミーティングって?」
 碧が首をかしげて訊いた。
「夏氏のことだよ。今日仕掛けるなんて言ってたの、どこのだれよ。お客さんが来て作戦会議ができなかったからね〜。今夜、ウチでミーティングするよ」
「ちょっ……ちょっと待ってください。そんなことを急に言われても……」
 藍はあわてた。碧や昏だけならともかく、斎や水木まで家に泊めると言うのか。翡晶たちが出ていくと聞いてほっとしていたのに。
「晩飯の材料は帰りに商店街で買えばいいでしょ。部屋数は足りてるし、蒲団もあるし……まあ、しばらく干してないから、多少カビ臭いかもしれないけど、そこんとこはガマンしてもらいましょうよ」
「蒲団があれば十分よ〜。あ、でも、襖越しにだれかがいるのはイヤね。アタシ、そーゆーシュミないから」
 あけっぴろげに、水木が言う。斎はむっつりとしたまま横を向いてしまった。
 なんとなく、心情はわかる。いくらオープンな関係だったとしても、それをことさら人前で言ってほしくはない。まったく、どうして斎がこんな男と「対」になったのだろう。なにか弱みでも握られているのだろうか。そんなことを考えていると、
「じゃ、俺は若さまたちと先に帰ってますんで。あとのことはヨロシク〜」
 銀生が翡晶をエスコートして出ていく。
 よろしく……って、要するに、おれにこの面々を引き連れて商店街に行けということか?
「アタシ、魚は煮たのより焼いた方が好きだから。あとねえ、味噌汁は合わせ味噌にしてね〜」
 水木が細かい注文をつけている。
「おれ、ハンバーグ食べたいっ。ケチャップいっぱい、かかってるやつ!」
「ハンバーグなら昼も食べただろう」
 ぼそり、と昏。
「だって、あれ、豆腐ハンバーグだったもん。おいしかったけど、やっぱり肉のハンバーグも食べたいのっ」
 わいわいと騒がしい中、斎は黙々とメモをとっている。どうやら、全部作るつもりらしい。これは急いで買い物を済まさねばなるまい。
「行くぞ」
 廊下に出て、声をかける。
 無言でその言葉に従ったのは、昏。そのうしろから、斎の両脇を抱えるようにして碧と水木が出てきた。なにやら、まだ夕食のメニューをあれこれ斟酌している。
「キュウリの酢の物も捨て難いわねえ」
「おれ、キュウリだったらまるかじりがいいっ」
「なによ、それ。サルみたい〜」
 けらけらと笑いながら、斎の背中ごしに碧の頭をはたく。
「なんだよー。いいじゃん、べつに。好きなんだから」
「はいはい。好きなのが、いちばんよね。かーわいっ」
 やたらとハイテンションなふたりに囲まれて、斎は困ったような顔をしている。ひとり離れて歩いている昏はというと、まるでロボットのように表情ひとつなかった。
 たまには、いいかもな。
 いくぶん私情を交えつつ、藍は商店街へと向かった。


 そして、今朝。
 翡晶たちを送り出したあと、特務三課の面々は夏氏の件について最終的な打ち合わせをした。
「実際に動くのは、日没以降ってことで」
 銀生が確認をとる。
「それまでに、できるだけたくさん情報集めといてねー」
「わかってるよっ。どんな波長でも、ばっちりキャッチできるから」
 碧が自信たっぷりに言い切った。
「で、藍さんはカムフラージュの方、頼みますよ」
「日没まででいいんですか?」
 碧が豊甜の「気」を分析しているあいだ、邪魔が入らないようにするのが藍の仕事だ。
「うーん、まあ、それは碧次第ですねえ。招聘の術が使える状況になるまでは、カバーしといてください」
「わかりました」
「んじゃ、昏。おまえは今日は有休ね〜。いいですよね、藍さん?」
「むろんです」
 最後の「仕上げ」をするときまで、昏には力を貯めておいてもらわねばならない。
「昏、休暇届は」
「もう書いた」
 すっと書類を差し出す。
「受理する」
 書類を懐に仕舞って、藍は立ち上がった。そろそろ出勤時刻である。
「あ、俺はあとから行きますんで」
「……また『一文字屋』に寄るつもりですか」
「まーさか。後々の準備があるでしょ」
 銀生は座敷机の前にすわったまま、ちらりと藍を見上げた。
「久しぶりの大きな仕事ですからねえ」
 たしかに、そうだ。藍は納得した。
 碧が昏になにごとか告げている。昏は一瞬、目を見開いたが、やがてうっすらと笑って頷いた。
 今日明日が勝負。
 藍は碧を促し、座敷を出た。