本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜  
by近衛 遼




ACT21 銀生、回想する

 如月水木(きさらぎ みずき)は、銀生が御影本部にいたころの同僚だった。
 年は三つばかり下だが、御影の宣旨を受けた直後からめきめきと頭角を現わし、任務の成功率はつねに九十パーセント以上をキープしていた。残りの十パーセントにしても、「失敗」というよりは事情が変わって「御影」が出張る必要がなくなったり、あるいは味方の損害が大きくなる前に撤退したりした場合がほとんどで、水木個人がその責任を追求されるようなことはなかった。
 流れを読むのが上手い男だな。銀生はそう思っていた。
 どこでもそうだが、新入りはたいてい手痛い「洗礼」を受ける。それは御影本部でも例外ではなく、いきなり難しい任務を振られたり、クセのある者と組まされたり、「歓迎会」と称して古参の部屋に呼びつけられたりする。そこで潰れるやつは、それまでのこと。その程度のものなら、御影本部には不要だ。
 毎年、何人かがそうやってふるいにかけられて、御影宿舎をあとにする。その後どうなったのかはわからないが、おそらくは御影研究所に送られて記憶を操作されたうえで、市井に戻されるのだろう。
 仮にも「御影」や「水鏡」の宣旨を受けた者たちだ。そのままにしておくわけにはいかない。御影の組織に関することも、もちろん軍務省内部のことも、完全に封印してしまわねばならないから。
 御多分にもれず、水木もその類の試しを受けた。
 もともと「水鏡」候補だったのに、自ら志願して「御影」になったのだ。それだけでも周囲の関心を集めていたのに、その外見がさらに古参の者たちの目を引いた。
 水木はどうやら生粋の和の国の民ではないようだった。金茶色の髪と、薄茶の瞳。肌も白く、目鼻立ちもくっきりとしている。西方の、それも莫の国や台の国よりもさらに西の、大燕国や月氏国の血が交じっていると思われた。
 異質なものに対して人は、恐れるか憧れるか無視するか蔑むかという極端な反応を示す。そのことを、水木は十二分に承知していた。
 恐れる者に対しては誘いをかけ、憧れる者には微笑みを送り、無視する輩には空気に対するように接し、蔑むヤツは二度と立ち上がれぬほどに潰す。臨機応変とはまさにこのことだろう。
 当時、水木は御影本部での自分の位置を確定させるために、古参の者たちと誼みを通じていた。銀生としては、そんなことをしなくても任務の内容だけでも十分ではないかと思ったが、水木は用心深かった。
 いや、「用心深い」というより「疑り深い」と言った方がいいだろうか。自分が「可」と判断しなければ、決して手を抜かないのである。
『もう、いいんじゃないの?』
 あるとき、そう訊いたことがある。
『こないだの仕事なんか、水鏡ナシでやっつけちゃったんでしょ。だったら、上のヒトたちだって、おまえのこと認めてるよ』
『だから、なに?』
 くっきりとした二重の目が、銀生に向けられた。
『なにって、よーするに、そろそろオツトメやめたらどうよ』
『ふーん。あんた、もしかしてオレを誘ってんの』
『ま、それもあるかな』
『お断りだよ』
『へっ、なんで。あんなオヤジたちより、俺の方がよっぽどいいと思うけど』
『あんた、ここに来てから、ずっとひとりでやってるんだって?』
 それは事実だった。銀生には最初から水鏡はいなかった。その必要もなかった。というより、水鏡がいては危険だったのだ。
 内に眠る「鬼」の血ゆえに。
『うーん、まあ、縁がなかったっていうか……』
『じゃ、オレとも縁がなかったってことで』
 にんまりと口角を上げて、水木は言った。
 オレもひとりでやってくのよ。
 音にならない声が聞こえて、銀生はそれ以上の言葉を発しなかった。あれから、もう十年ちかくたつ。
「ええええーーーっっ。アンタ、兄弟なんていたのっ?」
 超ド派手にオフィスに入ってきた水木は、さっそく特務三課の面々と丁々発止をやらかしていた。
「あの、つまり、義理の兄弟で……」
 水木のうしろにいた黒髪黒目の青年が、しどろもどろに説明している。たしか、名前は斎といったか。水木いわく「アタシのオトコ」で、しかも「御影」であるらしい。
 意外だったねえ。あの水木が、自分より若いやつの「水鏡」になるなんて。
 水木はトップクラスの「御影」だった。もちろん「水鏡」としての力も群を抜いていて、御影本部に配属された当初は臨時に水鏡の任務にも就いていたが、自分が知るかぎり、宿舎の東館に入ってからはひとりで御影と水鏡をこなしていたはずだ。
 御影宿舎は集合場所にもなっている講堂を中心に四つの棟があって、それぞれ任務達成率や貢献度に応じて明確にランク分けされていた。御影長や古参の者は南館、難易度の高い極秘任務をこなす者は東館、以下、西館、北館と続く。新参者は北館に入るのが慣例だったが、水木はそこをわずか二カ月で出て、西館、東館と順調にランクアップした。
 東館に入ったのは、御影の宣旨を受けた二年後だったか。そのころには古参連中も水木を一個の「戦力」として考えていて、いわゆる「おつとめ」はなくなっていた。
 そのあとの水木は、まさに水を得た魚だった。次々と任務をこなし、合間には自分好みの相手を見つけて遊ぶ。それはたいてい黒髪で、目のぱっちりとした少年だった。さらに天が二物……いや、三物を与えた者にしか食指が動かないらしく、「顔もカラダも頭もよくなくっちゃね〜」と公言してはばからなかった。
 そーゆーのが、そうそういるわけないのにねえ。
 銀生としては、顔の造作は並みでもアノときの表情が良ければいいし、体は自分で好みのモノに仕立てればいいし、頭は中途半端に賢いよりは素直な性格の方がいいと思っていたので、水木が吟味に吟味を重ねている横から、さっさとかっさらっていったことも何度かあった。
 そんな、水木である。「対」となるのならば、顔も体も頭もお眼鏡にかなった相手を自分の「水鏡」にすると思っていたのだ。しかるに。
 銀生と任務成功率と上玉(?)獲得率を競っていた男は、現在、あのいかにも気の弱そうな黒髪の青年の「水鏡」だという。
 かなりタイヘンなことがあったんだろうけどねえ。俺だって、まさかこんなことになるなんて思ってなかったんだから。この俺が、仮にも表の部署の管理職だよ。人生ってやつは、どこでどう転ぶかわからない。
 いままでのあれこれを思い出しながら、銀生は一同を見遣った。
「義理ってなによ、義理って。まさか、念者とか念弟とかっていうんじゃないでしょうねっ」
 水木が斎に詰め寄った。
「そっ……そ……そんなことは……おれも碧も、桐野の家の養子で……」
 必死に、桐野家に引き取られた経緯を話している。
 なんだか、ねえ……。銀生は苦笑した。水木と藍と碧に囲まれておどおどしている青年は、とても「御影」には見えなかった。
 藍の父である桐野玄舟は和の国では篤志家で有名な人物で、孤児院や学校や、その他多くの施設に出資していた。自身も何人かの孤児を養子にしていて、その中に碧たちもいたわけだ。数年前に流行り病で急逝してからは、その名を冠した財団が施設の管理をしている。
「……如月どの。無礼な物言いはやめてください」
 藍がこめかみに「怒」マークを浮かべて抗議した。
「それはわれわれに対する侮辱です」
「あーら、やだやだ。もう、そんなコワイ顔しないでよ〜」
 水木がぴらぴらと手を振った。何連もの細いブレスレットがじゃらじゃらと鳴る。
「なーんか、斎の身内ってヘンなのばっかりねー。ま、このコはかわいいけど」
 碧の金髪をぐりぐりと撫でて、言う。
「ねーちゃん……じゃなくて、にーちゃん、やめろよ。痛いじゃんか」
 碧はもうすっかり、その場に馴染んでいる。さすがというか、なんというか。あれはあれで才能だと銀生は思った。
 初対面の相手に警戒心を持たせない。それは、ずっと周りから異端視されて疎まれてきた碧が、知らず知らずに身につけた哀しい能力なのかもしれないが。
 水木が持ってきた文は、槐王、籐司からのものだった。どうやら水木たちは先日まで、槐の国での任務に就いていたらしい。

『黎明にさだめを委ね
 その天道の往く先を思う
 願わくはともに旭日を臨まん』

 槐の王らしい文である。
 初代槐王は竹を割ったような性格だったそうだが、そのあとの歴代の王たちは、いちばん言いたいことは胸に秘めて謎解きのような物言いをする傾向にあった。何事も断じてしまえば、取り返しがつかないと考えたからだろうか。
 黎明。つまりは「黎」の名を持つ者に命運を委ねるということだよな。
 黎翡晶。他国からは遊興好きの「うつけの若」と陰口を叩かれている、あの男に。
 銀生はちらりと事務所の一角を見遣った。
 翡晶は籐司からの文を丁寧にたたみ、なにごとか庸銘に呟いた。庸銘は憮然としたまま一礼し、銀生のもとにやってきた。
「社どの。されば、われわれは明日にでも余所に移りまする」
「んー。そうしてもらえると、こっちも動きやすいんで助かります。冠の公邸ってのはちょっとマズいんで、ほかの場所を……ってことで、水木」
 銀生は、碧相手に槐の国での手柄話をしている旧知の男の肩をちょんちょんとつついた。
「ちょっと、頼みがあるんだけど」
「なによっ。いまちょうどいいトコなのに……」
 話の腰を折られた水木ががなった。銀生はため息まじりに、
「いいトコって……そーゆーのって機密事項でしょ。おしゃべりはほどほどにしなさいよ」
「あんたに言われたくないわねッ。こーんなガキに夏氏の情報流して……」
 碧を指さして、水木。
「ストーップ。あのね、こいつは今回の仕事の切り札なの。ウチにはウチのやり方があるんだから、口出ししないでくれる?」
 切れ長の目をうっすらと細めて、銀生は言った。水木はしばらく無言でいたが、やがてぱさりと髪をかき上げた。
「ふーん。……なーんか、だいぶ事情が変わっちゃったみたいねえ。アタシと張ってたあんたが……」
 ふたたび、にんまりと口角を上げる。
「ま、いいわ。で、なによ」
「おつかれのところ、悪いんだけど……」
「だからなによっ。さっさと言いなさい」
「あいかわらず、せっかちだねえ」
 銀生は水木に、とある依頼をした。