本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜  
by近衛 遼




ACT20 特務三課の賑やかな午後

「おれ、ハンバーグにしてくれって言ったのに!」
 弁当のふたを開けた直後、碧がそう言って昏を睨んだ。
「だから、ハンバーグ弁当を買ってきただろうが」
 昏は焼魚弁当に箸をつけつつ、答えた。
「ハンバーグはハンバーグでも、これ、豆腐ハンバーグじゃんか。おれは、ふつーのハンバーグがほしかったのっ」
「……売ってくれなかったんだ」
「へっ?」
「きのうが豚カツ、おとといが焼肉、その前はからあげ。肉ばかり続けていては駄目だと言われた」
「……藤おばちゃんに?」
「そうだ」
 すごいねえ。常連客が前になにを買ったかまで覚えているとは。銀生は感心した。
 藤食堂の女主人は、亭主を早くに亡くして女手ひとつで三人の子供を育て上げた。毎日のように通ってくる碧たちを、自分の子供のように考えているのかもしれない。
「そっかー。おばちゃんがそう言うんなら、仕方ないよな。じゃ、いっただきまーすっ」
 先刻までの不機嫌な顔はどこへやら。碧はばちっと手を合わせて、豆腐ハンバーグをぱくついた。
「んー、旨い。さすがは藤おばちゃんだなーっ。あ、なあなあ、そのキンピラ、もらっていい?」
 返事も待たずに、ひょいと箸を伸ばす。昏は無言のまま、ゴボウのキンピラを碧に譲った。一方。
「若。またそのような召し上がり方をなさって……」
 応接間になっている事務所の一角では、庸銘がため息まじりに小言を言っている。
「見苦しゅうございますよ。箸は右手にお持ちください」
「いいじゃないか。べつに」
 翡晶は困ったような顔をして笑った。
「ここは王城ではないし、公の場でもない。それに和の国では、箸を持つ手にまで決まりはないようだよ。ねえ、社どの」
 銀生は翡晶と同じく、左利きである。
「はあ、まあ、要は食べられればいいんじゃないかと……」
 がんもどきを口に運びつつ、銀生。
「左でも右でもかまいませんが」
 藍がちらりと上司であり、情人でもある男を見遣った。
「課長の箸の持ち方は五歳児並みですね」
 あらら。なにも役職名で呼ばなくてもいいのに。
「藍さん、それはあんまりですよ。これでも俺、努力してるんですから」
「たしかに。つい最近まで握り箸だったとは思えませんが、もう少し上の方を持てば、なおよろしいかと」
 あいかわらず、細かいねえ。銀生は箸を持ち直した。やればできるんですよ。ただ、ふだんはやろうと思わないだけで。
 背筋を伸ばし、作法通りの箸遣いで食べる。藍のコメントはなかった。それぐらい、やって当然ということなのだろう。
「んー、おれ、やっぱり卵焼きは甘い方がいいなあ。マカロニサラダと交換してくれよ」
 またしても勝手に、昏の手元からマカロニサラダを取っていく。毎度のことなので昏はとくに気にしていないようだったが、庸銘は眉間にしわを寄せていた。他人の食べ物を、しかも直箸で横取りするなど信じられないのだろう。
「庸銘。いつまでもつったってないで、おまえもそろそろ食べたらどうだい」
 とりあえず箸を右手に持ち替えた翡晶が、横で給仕をしている守役を見上げて言った。
「若がお食事を堪能なさったあとに、いただきます」
 いつも通りのやりとりだった。槐の国では、主人が食事を終えるまで、臣は箸を取ってはいけないことになっている。翡晶は郷に入っては郷に従えと考えているらしく、食事のたびに同じ卓に就くよう促すのだが、庸銘が首を縦に振ることはなかった。
 石頭だねえ。まあ、だからこそうまくいっているのかも。翡晶がいわゆる「凡才」の仮面をかぶっていられるのは、庸銘のような非の打ち所のない忠臣が付いているからだろう。
「あー、旨かった。ごっそーさんっ」
 碧がふたたび、ばちっと手を合わせて言った。
「さーてと、折、洗おうっと。昏、早く食えよ」
 藤食堂の弁当はプラスチックの折に詰められていて、再利用が効く。折を返却すると10パーセント引きのクーポン券がもらえるので、碧たちは毎回、きちんと洗って返していた。術の修業が始まってから、弁当を買いにいくのは昏で、食べ終わったあとの折を洗うのは碧の役目と決まっているらしい。
「急かすな。消化に悪い」
「おまえって、メシ食うのだけは遅いんだよなー」
 そりゃねえ。なんたって、胃がないんだから。
 銀生は心の中で呟いた。
 古い傷痕。生まれたばかりの昏を襲った、隠蔽された悲劇の。
 あの状況で、よく助かったものだと思う。やはり内に流れる「血」が強かったのだろう。自分などとはくらべものにならぬほど……。
「……どうしました?」
 藍の顔が間近に来た。つねとは違う、真摯な瞳がこちらを窺っている。しまった。顔に出ていたか。
「ああ、すみませんねえ、藍さん。ちょっと、今後のことを考えていたもので」
 適当に言葉を繋ぐ。もちろん、これであんたをごまかせるなんて思ってませんよ。でも、場の雰囲気ってものがありますからね。
「今後というと……」
「いよいよ、おれの出番ってことだよなっ」
 碧が胸を張って、言う。
「で、いつ仕掛けんの? 今日?」
 なんとも気が早い。
「まーさか。あっちの出方も探んなきゃなんないでしょ。それに、若さまたちには一時、避難してもらわなきゃいけないし」
「おや、どうしてです」
 翡晶がのんびりとした口調で言った。
「どうしてって……。若さま、自分の立場、わかってます?」
 面白がってるんだろうな。碧がうまく解明の術と招聘の術を使えるかどうか、見物するつもりだったのかもしれない。
「あなたは国を背負ってるんだから、これ以上のお遊びはナシですよ。ねえ、庸銘サン」
「しかり。若、よろしゅうございますな」
「……仕方がないね」
 翡晶はそっと箸を置いた。台本を読むように、語を繋ぐ。
「『堪能した』」
 槐の国における、正式な食後のあいさつだ。膳にはまだ少し料理が残っていたが、これも食事の作法らしい。「食べきれないほどたくさんのもてなしを受けた」という意味である。
「さーて、それじゃ、作戦会議といきますか」
 銀生がそう言ったとき、なにやら廊下で賑やかな話し声が聞こえた。けらけらと、よく響く笑い声。
「やーだっ。ホント? 銀生もヤキが回ったわねえ。こーんなところで、せんべいかじりながらガキのお守りしてるなんて〜」
「あ、でも、そのせんべいは美味しいんですよー。なんたって『こだわりウォーカー』で四週連続ベスト10に入ってるぐらいなんですから」
「ふ〜ん。でも、アタシは『一文字屋』のせんべいよりも『鳩屋』のサブレの方が好きだわね。知ってる?」
「知ってますー。かわいいですよね、あれ」
 話はますます盛り上がっているらしい。銀生はため息をついた。
 どちらの声にも、聞き覚えがある。ひとりは、秘書課の東風一葉。そしてもうひとりは……。
「水木」
 ドアを開けつつ、かつての同僚の名を呼ぶ。
「用があるなら、さっさと……あらら」
 銀生は思わず目を丸くした。
 色とりどりのメッシュの入った金茶色の髪に、薄い茶色の瞳。流行りの化粧をほどこした顔は、なんとも華やかだった。
「なーによ、銀生。なんか文句あるの?」
 旧知の男がちろりと眼を飛ばす。
「いや、べつに。なんだか妙に、ハクがついたと思ってねー」
 もともと整った顔立ちをしていたが、これはどういうことなのだろう。もしかして、宗旨替えでもしたのかな。
「失礼ねえ。こーんなにキレイになったのに」
 ほんの少し、眉を上げる。
「そんなこと言うなら、これ、見せてやんないわよ」
 銀生が「水木」と呼んだ人物は、指にはさんだ書状をぴらぴらと振ってみせた。
「御影本部でナンバーワンのこのアタシが、わざわざ文遣いなんかやってあげたのよ。ありがたく受け取んなさい」
 銀生の目の前に、ぴしりと書状がつきつけられた。
「はいはい。じゃ……つつしみまして」
 大袈裟に拝礼して、銀生はその文を受け取った。