本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜  
by近衛 遼




ACT17 黎翡晶の優雅なる策謀

「若は、砦を与る者の責任をいかにお考えなのか」
 砂色の髪と灰緑の目の青年を前に、庸銘はこんこんと、現在の槐の国と和の国の情勢と各地の砦の重要性を説いた。青年はまるで、詩の朗読でも聞いているかのような顔で長椅子にすわっている。
 青年の名は、黎翡晶。天央の砦の長である。
 あいかわらずだな。銀生は窓辺にもたれて、事のなりゆきを見守った。
 うっかりしたら外交問題になりかねない状況なのに、平然としちゃって。
 過日、砦で会ったときも思ったが、この青年はなかなかの曲ものだ。つねに二手も三手も先を考えて行動しているくせに、それをまったく気取らせない。さも周囲のいいなりになっているように見せながら、結局は自分の思う通りに事を運ぶ。
 長老たちを立てて「大義」を作り、命知らずの若手をうまく使って現場を動かす。皆それぞれ、自分こそが天央になくてはならぬ者だと自負しているのが、傍目にもわかった。
 凡才の仮面をかぶった天才。いや、奇才というべきか。まったく、伊達に苦労はしていない。
「御上(おかみ)の許しなく砦を離れるは、謀叛ととられても申し開きできませぬぞ。だいたい、そのお召しものはなんです。仮にも先々代の血をひくおかたが、歌い女や舞い人のような形(なり)をして……」
「似合うだろう?」
 それまで黙っていた翡晶が、にっこりと笑ってそう言った。やや低めの、深みのある声だ。
「似合う似合わぬの問題ではありませぬ。見苦しゅうございますから、早々にお召し替えなされませ」
「ここでかい?」
 翡晶はちらりと銀生を見た。銀生はその意図を察して、
「よかったら、二階の部屋を使ってくださいよ。しばらく掃除してないんで、だいぶ埃がたまってるけど」
「冗談ではない!」
 庸銘が眉間にしわを寄せて抗議した。
「あのような場所に若をお連れするわけにはいかぬ。社どの、申し訳ないが、しばし外へ出てはもらえぬか」
 あのような、ね。銀生は苦笑した。たしかに、二階の部屋は不用品や季節ものの倉庫のようになっていて、客人を通すには不適当である。
「はいはい。わかりましたよー。でも、できるだけ急いでくださいね。もうすぐ藍さんたちも帰ってきますし」
 藍は今回の件を報告するため冠の公邸に出向いており、昏は午後に作成した書類を持って総務部に行っている。ふだんなら昏は、そのまま帰宅することが多いのだが、今日は藍に居残りを命じられていた。
 碧が「病欠」しているからだろうな。あの人も、もう少しオトナになればいいのに。碧は昏のもので、昏は碧のもので。あいつらは名実ともに「対」なんだから。
 夕闇のせまる空を見上げながら、中庭に面した階段に腰をおろす。ポケットから煙草を取り出したところで、横からさっと手がのびてきた。
「今日、何本目です」
 藍だった。
 この人は最近、ますます気配消すのがうまくなった。まあ、それだけ俺と「同化」してきたのかもしれないけど。
「ええと、五本目、かな〜」
「これを開けてからは、ですね」
 なかなかに鋭い。じつは二箱目なのだ。銀生は両手を挙げた。
「降参。あしたは禁煙しますよ」
「当然です」
 藍は煙草の箱を懐に仕舞った。どうやら、例の特殊ケースに入れるつもりらしい。
「ところで、どうしてこんなところにいるんです?」
「若さまが着替えの最中なんですよ。下々の者がいたらマズイでしょ」
 翡晶は先々代の槐王の庶子で、現王の叔父にあたる。槐の国の貴人は肉親や側仕えの者以外に肌をさらすことを恥としているので、うっかり覗きでもしたら不敬罪で厳罰ものだ。
「あなたでも、そういう気遣いをするんですね」
 意外そうに、藍が言った。
「あ、やだなー。俺だってそれぐらいの礼儀は心得てますって」
「礼儀?」
 藍の眉がぴくりと動いた。なにか言い返してくるかな。期待しながら見上げる。が、藍は小さくため息をついただけだった。
 なんとなく、拍子抜けだ。いつものように盛大に怒鳴ってくれないと、こっちもからかい甲斐がないじゃないか。
「……で、冠のおやじさんは、なんて?」
 とりあえず、仕事の話でもしておこう。
「翡晶どののことは三課で責任をもって遇するように、と。庸銘どのが招聘の術を碧に伝授してくださるまでは、都に留まることになるでしょうから」
「だったら、もう錦織に押しつけるわけにはいかないねえ」
「ええ。ですから、今日からおふたかたとも冠さまの公邸に……」
「ウチに来てもらえばいいじゃないの」
「はあ?」
 藍は目を丸くした。
「ウチって……あなたの家にですか?」
「『俺たち』の家です」
 にんまりと、銀生は笑った。
「俺と藍さんは一心同体なわけだし……」
「ふっ……不用意なことを言わないでください! 中の人たちに聞かれたらどうするんですかっ」
 やーっと、元気になったねえ。心の中でうんうんと頷きつつ、銀生は立ち上がった。
「なにをそんなに目くじらたててるんです。あんたは俺の『水鏡』だ。『御影』と『水鏡』は二人で一人。『対』の宣誓をしたときに、そう言われたでしょ」
 腰に手を回して、引き寄せる。ぎろりと睨まれたが、無視して顔を近づけた。もう少しで唇が重なるというとき。
 ひやり。首筋に冷たい感触。小柄の切っ先が動脈を狙っていた。
「藍さん〜。危ないですよ」
「『御影』をコントロールするのも『水鏡』の仕事ですから」
「なるほど」
 銀生は両手をはなした。藍も小柄を鞘に納める。
「さきほどの話ですが」
 何事もなかったかのように、藍が言葉を繋いだ。
「いったい、どういうつもりですか」
「どういうって……やっこさんたちをウチに泊めるってこと?」
「そうです。冠さまの公邸では、なにか不都合でもあるんですか」
「だって、一介のトレーナーを賓客扱いしちゃヘンでしょーが。それとも、やっこさんたちの身元を公にしちゃっていいの?」
「それは……」
「ムリでしょ。だったら、ウチに来てもらうのがいちばんいいと思うんだけどね。なんたって、トップクラスの『御影』と『水鏡』の護衛付きだし」
 藍はしばらくのあいだ、横を向いていた。いろいろと計算をしているのだろう。冠としても、翡晶たちの身分を明かさずに公邸に入れるよう根回しはしているはずだが、外部の者も出入りする公邸では、警備も大がかりになってしまう。夏氏の一件は極秘中の極秘。目立たないに越したことはない。
「わかりました。その旨、冠さまに上申してみます」
「よろしく〜。……あ、若さまがお出ましですよ」
 ドアの向こうから、浅黄色と桔梗色を重ねた小袖姿の翡晶が現れた。
「お待たせしました。ああ、桐野どのもお戻りでしたか」
 にこやかに笑って、翡晶は言った。
「ご依頼の件、庸銘にしかと命じておきましたよ」
「いたみいります」
 藍は作法通りに礼をした。
「へーえ。さすがに若さまだ。鶴の一声だねえ」
 銀生が感心して言うと、翡晶は小さく肩をすくめて、
「納得はしてないみたいですけどね。こたびのことは、すでに御上にも上奏してありますから、まず心配はないでしょう」
 槐王、籐司(とうし)は和の国との友好関係をことのほか大事にしている。東の宗の国はふたたび槐の国を属国にしようと機会を窺っているし、南方の江の国や津の国もいつ事を起こすかわからない。外交政策のひとつひとつが、槐の国にとっては一万の兵力にも匹敵した。
「もっとも、そのあとのことは、ぼくの管轄外ですからね」
 やっぱり、食えないねえ。銀生は苦笑した。藍は唇を結んでいる。見返りに槐の国からどんな要求が出されるか、またあれこれと考えているんだろう。
 あんたが考えたって、仕方ないことなんだけどね。でも、考えずにはいられない。それがあんたの、いいところでもあり厄介なところでもある。
 たまには俺のことも、それぐらい真剣に考えてくださいよ。叶わぬこととは重々わかっているけれど。
「では、もう一度、本部に行ってきます」
 憮然とした顔で、藍。銀生はことさら軽い口調で、
「はいはい。んじゃ、俺たちは花札でもして待ってまーす」
「……事務所の備品を賭けるのはやめてくださいよ」
 そんなの、鬼塚や錦織相手にしかやんないよ。槐の国の王族が、使い古した事務機器をもらって喜ぶとも思えないし。
 だいたい、槐の国はいまだに公式文書は墨書で、大量に配布する必要のあるものでもすべて手書きだ。王城の文官たちのおもな仕事は、それらの文書の書写だと言っても過言ではない。
 つくづく、槐の国に生まれなくてよかった。真剣にそう考えていると、
「わかりましたね」
 念を押された。
「了解」
 銀生は至極真面目な顔で、両手を肩の高さにまで挙げた。翡晶はそれをさも楽しそうに見つめ、うしろに控えていた庸銘は「またか」といった表情で口をへの字に曲げていた。