本日モ荒天ナリ〜御影出張所日記〜 by近衛 遼 ACT15 銀生、思案する 「ったく、もう、なにやってんだか」 強面の男が煙草をくわえて、言う。あのねえ、ここは病室なんだよ。せめて火を消せよな。 「そうだとも! 嘆かわしいことこのうえない」 濃い眉を寄せて、力説する男がいる。どうでもいいけど、一課はいま殺人的に忙しいんじゃなかったっけ? 「ほーんと。いくら『御影』を抜けたからって、アナタがここまで落ちぶれるなんて思わなかったわ」 怜〜。そりゃちょっと冷たいんじゃないの。 「弘法にも筆の誤り。猿も木から落ちる。河童の川流れ」 三連チャンでトドメをさすなよ、伊能。 医療棟の病室には、特務一課課長の錦織文麿、二課長の鬼塚修造、秘書課長の海棠怜、さらには総務部参謀室長の伊能元就が集まっていた。 「おまえらねえ……」 銀生はぐるりと一同を見回した。 「なんだってこんなとこに雁首そろえてんの。仕事はどーしたのよ、仕事は」 「いま、昼休みだぜ」 鬼塚がうそぶく。 「貴重な休憩時間を割いて見舞いに来ている親友に向かって、その言い草はなんだ。そんなことでは、ロクな死に方はできないぞ」 あんたとマブダチになった覚えはないよ、錦織。心の中で突っ込みを入れる。 どっちにしたって、俺たちが畳の上で大往生ってワケにはいかないしね。 「見舞いに来てくれたのは、すごーーーーっくウレシイんだけどね」 銀生はちらりと横を見遣った。 「清酒二升に白い菊五十本におはぎ二十個に写本五冊って、このラインナップはなによ」 昨日の昼に倒れて、いまだ重湯さえ口にしていない病人に対する見舞いの品としては、いささか尋常ではない。 「なあに。退院祝いに飲みゃいいじゃねえか」 紫煙を吐きながら、鬼塚は言った。 「清々しく香り高い花に見守られていれば、心も晴れると思ってな」 うんうんと自己満足に浸りつつ、錦織。 「あたしは、三時のおやつを買いにきたついでに寄っただけよ」 なにか文句があるか、という顔で怜がこちらを見下ろした。つづいて伊能が、 「入院中はヒマだと思ったものだからねえ。この機会に古典に親しみ、教養の幅を広げてはどうかと」 真面目な顔で、述べる。 こいつら、自分の都合しか考えてないな。いまに始まったことじゃないが。 それにしても、まるで墓前の供えもののような見舞いである。これで元気になれと言われても、いまひとつありがたくない。 「んじゃ、そろそろ行くかな」 鬼塚が携帯用の灰皿に煙草を押しつけた。 「お、そうだな。まもなく午後の業務を始める時間だ」 「あーらいやだ。無駄話してたら、化粧を直すヒマがなくなっちゃったじゃないの」 「では失礼するよ、社課長。病は気から。心を強く持ってくれたまえ」 あいかわらず勝手なことを言いつつ、一同が帰っていく。銀生は大きくため息をついた。 失態だったよな。ひとりになった病室で、独りごちる。ナイショで遠出して、帰った途端にこのありさまでは。 あの人もさぞ呆れたことだろう。その証拠に、あれから藍は一度も病室に来ない。 忙しいのはわかっている。単に保護する対象だったはずの豊甜が、二重三重にトラップを仕掛けられた兵器だったのだから。 碧の特訓も少し路線を変えねばなるまい。術を見極めて解除するだけでなく、本体を確保する必要がある。いまだ夏氏の城にいるであろう術者本人。本物の豊甜を。 ムリかねえ。やっぱり。 いかに庸銘が優れた解術者であったとしても、短期間で遠隔操作まで伝授することは難しいし、しないだろう。庸銘は槐の術者であって、和の国の者ではない。さらに言えば、あの男はおのがあるじにのみ忠誠を捧げている。こちらの思惑通りに動いてくれるはずもない。 黎翡晶(れい ひしょう)。天央の砦を与っている槐の王族のひとり。それが、あの男の主上である。 『ぼくとしては、どちらでもいいんですけどね』 銀生が二度目に砦を訪れたとき、困ったような顔で翡晶は言った。 『叔父上たちの意見を無視するわけにもいかないので』 十九で砦の長となって以来、五年あまり。古参の者たちと新たに台頭してきた若い勢力とのあいだで、いろいろと苦労をしているらしい。 庸銘は翡晶が手習いを始めたころから守役として仕えている。主上第一となるのは当然といえた。 コン、コン。 事務的なノックの音。こちらが返事をする前に、ドアが開いた。 「失礼します」 藍だった。書類の束を抱えて、つかつかと枕辺までやってきた。 「今日中に目を通して、確認印を押しておいてください」 ばさり。側卓に書類を置く。 「明日の朝いちばんに取りにきますから」 「ええーーっっ。これ、全部ですか?」 「そうです。検査と食事などの時間を差し引いても、消灯まであと五時間はあります。十分に可能でしょう」 「俺、まだ重湯も食べさせてもらってないんですよ? 絶対安静の病人に、よくそんなことが言えますね」 「検査が終われば全粥の食事が出ます。それに『絶対安静』というのは、『御影』の力をもつような者にあたりをウロウロされては、ほかの患者に迷惑だからです。そういうわがままを言うのなら、いまからでも御影研究所に搬送しましょうか? あちらなら、さぞ綿密に検査をしてくれるでしょうし」 恐い。いつもより、五割増しに恐い。銀生はぷるぷると首を振った。 「……今日中にハンコ押しときます」 「中身も、ちゃんと確認してくださいよ」 「わかってますって」 「それから……」 なんだなんだ。まだ、なにかあるのか? 銀生はごくりと唾を飲み込んだ。ええい。もう、なんでもいい。徹夜してでもやってやるぞ。心の中でにぎりこぶしをする。 「槐の国のことですが」 「んー。またなにかイチャモンつけてきた?」 「いいえ。今度はこちらから吹っかけようかと」 「へ?」 「天央の長に、このたびの一件、伝えてもよろしいですか」 「伝えるって……夏氏のことか」 豊甜の本体が、いまだ夏氏の城にあるかもしれぬということ。 和の国の中でも一部の人間しか知らぬ機密を、なにゆえ藍は天央に漏らそうというのか。銀生は唇を結んだ。藍のことだ。なにか思惑があるのだろうが。 「はい。庸銘どのは長の守役。長の命令なら、多少の無理はきいてくれるでしょう」 「なにさせるつもりよ」 「豊甜どのの本体を呼び寄せます」 あらら。見事にシンクロしたな。 「そりゃちょっと……難しいんじゃないの」 「わかっています。それゆえ、庸銘どのの協力が不可欠なのです」 そのために、天央の長を動かすか。 『ぼくは、べつにかまいませんけど』 翡晶なら、そう言うだろう。問題は目の上のタンコブの古ダヌキたちである。彼らを説得できるかどうか。こちらがかなりの譲歩を示さねば無理だろうが、あまりに下手に出てもつけこまれる。 「賭けだね」 「ええ。あなたの大好きな、ね」 「うわ。いまそれを言わないでくださいよ」 情けない声で、銀生。藍はちらりと銀生を見下ろし、 「とにかく、この書類の決裁が終わったら、すぐに天央へ行きます。あなたもそのつもりでいてくださいね」 「てことは……」 「明日の昼には、退院していただきます」 ぴしりと、藍は言った。 「さきほどあなたの担当医師に伺ったところ、午後の検査の結果に異常がなければ、すぐにでも退院していいそうです」 「そんな〜」 「『気』のコントロールができなかっただけでしょ。『水鏡』の補佐がなかったとはいえ、お粗末な話です」 厳しい。しかし、事実なので言い返すわけにもいかない。 「……以後、気をつけます」 とりあえず、反省のポーズをとっておく。藍はそっと枕辺に顔を寄せた。 あ、これって、結構いいかも。 銀生が片手を伸ばす。藍はその手をしっかりと握った。 もしかして、このあとに来るのはやっぱりアレかな。銀生は期待を込めたまなざしで藍を見上げた。 「銀生さん」 「はい」 「おれがいないからって、煙草やラーメンやせんべいを事務所に持ち込んじゃ駄目ですよっ」 がっくり。 いや、たぶん、そんなことじゃないかとは思ってたけどね。銀生は藍の手に口付けた。かすかにその手が震える。 今日はこれでガマンしておこう。あとは、この一件が片づいてから。そのときは、ちょっとぐらいはワガママ言ってもいいですよね。 銀生はゆっくりと、藍の手をはなした。それをどう受け取ったのか、藍は憮然としたまま病室を出ていった。 |