本日モ青春ナリ
〜御影学園日記〜            by 近衛 遼




ACT2 桐野家の複雑な事情

 その日。
 半分ばかり残った弁当を持って藍が自宅に帰ってみると、玄関先にダンボール箱やら旅行かばんがいくつも置かれていた。リビングや廊下にも、本や衣類などが散乱している。
「なんだ、これは」
 不審に思いつつ、奥に入る。
「斎! 碧! いるのか?」
 二階に向かって声をかけると、
「いるよーっ」
 明るい声で返事が返ってきた。
「あ、藍兄さん、おかえりなさい」
 ひょいと階段の上から顔を出したのは、二つ下の義弟、斎だ。
「すみません、今日はまだ夕飯の用意ができてなくて……。いまからすぐ作ります」
 両親が事故で他界して以来、一応、家事は当番制なのだが、料理も掃除もまめにやる斎が、そのほとんどをこなしていた。
「いや、夕飯よりも、この状況を説明しろ」
「はい。あの、じつは、来週から寮に入ることになって……」
 斎はゆっくりと、順を追って話し始めた。


「だからって、なにも寮に入る必要はないだろう」
 ひと通りの話を聞き終わって、藍は不本意まるだしの顔で言った。
 斎の話をまとめると、こうだ。
 このところ仕事が増えて(新人なので、いろいろ雑用も押しつけられているらしい)、持ち帰りの日が続いている。残業するにも、下校時間が決められているので、そうそう遅くまで職員室にいるわけにはいかない。いっそのこと寮に入れば、通勤時間がカットできて、そのぶんを仕事に回せるのではないか。
「通勤時間といっても、たかが三十分のことで……」
「往復で一時間です。おれにとっては、貴重です」
 さらに、桐野の家では家事の負担もある。家の用事をするのは嫌いではないが、やはり時間が取られてしまうのは痛い。
「おれ、無器用なんで、なかなか仕事がはかどらなくて……。院に進むつもりでしたから、教職のレクチャーとかあんまり受けてなかったし」
 斎は五月の連休後、急きょ国語教師として中途採用された。というのも、当初は藍が教員として御影学園に赴任したのだが、事務局のあまりの無軌道ぶりに堪忍袋の緒が切れて、赴任して十日目に辞表を提出。さらにその十日後に、事務局長に就任したのだ。
 ふつうなら、こんな人事が認められるはずはない。が、そこは縁故がものを言う私学である。藍は理事長である桐野篝に手を回し、なんとか事務局に入ることができた。
 その後は事務局内の作業のマニュアルを作り、連絡系統を整え、なあなあで事を済ませてきたそれまでの体制を一変させた。当然ながら、一部で批判の声も上がったが、それらはすみやかに排除され、いまでは藍の指揮のもと、しごく円滑に事務局は運営されている。
「おまえがどうしてもと言うなら止めはしないが、寮に入ってる教員はアクの強いのが多いぞ。気を遣いすぎて、かえって仕事に集中できないかもしれない」
 社銀生をはじめとする職員寮の面子を思い出しながら、藍は言った。
「大丈夫です。おれ、なんどか寮に遊びに行きましたけど、みなさん、とってもいい人たちで……」
「遊びにって、おまえ……」
 あの、なにかといっては酒盛りや麻雀や賭け将棋をやってるやつらのところに行って、無事に帰ってきたとは信じがたい。じつは藍は以前、麻雀に誘われて持ち金全部巻き上げられたことがある。どう考えてもイカサマだったと思うのだが、証拠はない。高い勉強料を払ったとあきらめて、その後は一切、寮の連中とは付き合わないことにしていた。
「おれが寮に入りたいって言ったら、みんなで空き部屋を掃除してくれたんです。だから、今週中に荷物を送ってしまおうと思って」
 事情はわかったが、それにしても、この散らかりようはなんだ。几帳面な斎らしくない。それに、どうやら斎の荷物以外にも、いろいろ出ているようだが。
 それを言うと、斎はちろりと階段にすわっていた碧に目を遣った。
「あの、それは……」
「おれも、寮に入るんだ」
 明るい声で、碧が言った。
「な……なな、なんだって!?」
「藍にーちゃん、そんなにびっくりしなくてもいいじゃん」
「こっ……これが驚かずにいられるかっ。なんでおまえまで寮に入る必要がある!」
「だーって、次のテストで赤点だったら、夏休みナシになっちまうんだぜ」
「おまえ、また赤点取ったのか! だからふだんから、もっとちゃんとやれと……」
 小言を言いかけて、やめる。いまはそれどころじゃない。
「で、その赤点と寮と、なんの関係があるんだ」
「えー、だから、勉強教えてもらうんだよ」
 話がよく見えない。斎とちがって、碧には物事を一から順序立てて説明する頭はないらしい。教育者であった亡き父親が、とある福祉施設から引き取って養子にした二人だが、外見のみならず性格も正反対であった。
「教えてもらうって、だれに」
「昏だよ。決まってんじゃん」
 決まってる、と思っているのは本人だけなのだが、それもとりあえず脇へ置いて、藍は辛抱強く質問(事情聴取)を続けた。
「昏というと、あの学年トップの……」
「そうそう。その昏。あいつ、すげえよなー。勉強なんて全然やってないみたいに見えるのに、こないだの中間テスト、オール100点だったって。体力テストだって、国体行けるんじゃないかってぐらいすごくてさー。最初はスカした野郎だって思ってたけど、しゃべってみたら案外フツーでさ。ぱっと見、とっつきにくいから、みんな遠巻きにしてんだよ。だから、おれ、友達になってやったの」
 一気にそこまで話して、碧はにっかりと笑った。
「そしたら、勉強教えてくれるって。いいとこあるよなー」
 やっと話が繋がった。藍はこめかみをさすりながら、
「……だいたいの事情はわかった。しかし、勉強なら家でもできるだろう」
「だって、せっかく昏が教えてくれるって言ってるのに」
「期末テストの勉強ぐらい、おれが見てやる」
「えー、やだよ」
 即答である。
「藍にーちゃん、すぐ怒るじゃん」
「そっ……それはおまえが真面目にやらないから……」
「ほら、また怒るー」
 碧は藍を指差して言った。
「怒られてばっかじゃヤル気出ないもん。昏は勉強してるときに一回も怒ったことないし、にーちゃんより教え方うまいよ」
 教員資格を持っている自分が、高校生(しかも一年生)に劣るだと??
 藍の頭はスパーク寸前だ。
「碧、ちょっとそれは言いすぎだぞ。藍兄さんだって、おまえのことを真剣に心配しているから、ついきつい口調になるだけで、本当はやさしいんだから」
 斎がなんとかフォローしようと口をはさんだが、時すでに遅し。藍はくるりと踵を返した。
「あ、藍兄さん、どこへ……」
「部屋だ」
「じゃあ、夕飯ができたら呼びますね」
「夕飯はいらない」
「え、でも……」
「いらない。もう寝る!」
 捨て台詞のようにそう言って自室に向かう藍の手には、昼の残りの弁当がしっかり握り締められていた。