本日モ青春ナリ〜御影学園日記〜 by 近衛 遼 ACT1 御影学園の厄介な人々 どっかーーーーーーーんっっ!!! 私立御影学園高等部。その校舎の一角で、工事現場の発破のような轟音が響いた。 時はまさに昼休み。弁当を食べていた生徒たちが、わらわらと窓際にやってくる。 「うっへー。今日はまた一段とすごいなー」 「窓ガラス、全部吹っ飛んだんじゃねえの?」 「いーや、もしかしたら、銀セン昇天しちまったかも」 きわめて不穏当な会話を、ごく当たり前のように交わす。 「まーさか。んなカンタンにくたばるかよー」 「そうそう。銀セン相手じゃ死神が裸足で逃げ出すって」 「あ、そりゃそーか」 あっさりと納得するあたり、ここの生徒たちも尋常ではない。 ちなみに、「銀セン」とは御影学園高等部の化学教師、社銀生のことである。 この男、十歳のときにアメリカの大学に入ったという天才で、そのままいけばノーベル賞も夢ではなかったらしいのだが、ある研究の副産物で世界的な特許を取った途端に一線から退き、母親の生まれ故郷である日本にやってきて教職を取ったという変わりダネである。 御影学園の教師になってからは、高等部の特進クラスを担当するかたわら、なにやら個人的な研究に打ち込んでいるらしく、ときおりアクシデントを引き起こしている。 「社先生のご研究に口をはさむつもりはありませんが」 先日、御影学園の理事長、桐野篝は慇懃に言った。 「死人が出ないようにしてくださいね」 この理事長も、どこかズレでいる。 が、経営手腕はたしかだし、政財界とのコネもばっちりで、いましばらくは理事長の椅子をだれかに譲り渡す気はないらしい。 「では、これを。月末までに振り込んでください」 すっ、と差し出された、修理費の請求書。 「はーい。あ、思ったより少なかったですねえ」 「備品は経費で落としました」 「そりゃどうもー。イロイロ気を遣っていただいちゃって」 にこにこと、銀生。篝はわずかに眉を上げて、 「節税対策です」 「あ、そうですか。じゃ、俺、これで失礼しまーす」 ぴらぴらと請求書を振りながら、理事長室を出る。 そういった光景が、ほぼ一カ月に一度は繰り返されていた。今回も、その一例である。 「社先生っ! 今度はいったい、なんですか!!」 事務局長の桐野藍が、粉塵の舞う化学準備室に飛び込んだ。 「ああっ、先月購入したばかりの強化ガラスと遠心分離機が……」 ムンクの『叫び』よろしく絶叫する。 「社先生、これ、いったいいくらしたと思ってるんですか! 今度ばかりは、経費で落とすわけにはいきませんよッ。いくら理事長の口添えがあったとしても……」 「あ〜、そうですか? じゃ、請求書回してくださーい」 一部焼け焦げた白衣姿の銀生が、のっそりと言った。 「うーん。なにがマズかったのかなー。計算上はこれでイケてるはずなんだけど……」 ガラスや実験器具の残骸が散らばった準備室の床に、これまた一部焼け焦げた資料を広げて座り込む。 「天候にモンダイがあったのかなー。てことは、次はもっと湿度の高い日に……」 「まだなにか、やるつもりですか!!」 藍の怒号はさらにヒートアップする。 「藍さん、そこ、ガラスの破片が飛んでますから、気をつけてくださいね〜」 「言われなくてもわかってます。それに、その呼び方はやめてください。何度言ったらわかるんですかっ」 「えー、だって、ややこしいじゃないですか。新任の斎センセも『桐野』だし、1年2組の碧だって『桐野』でしょ」 「義理とはいえ兄弟ですから、苗字が同じなのは当たり前です」 「だーかーらー、名前で呼んだ方が間違えなくていいかなーって」 たしかに、理屈は通っている。が、それなら斎のことは「桐野先生」、碧のことは「桐野くん」、そして藍のことは「事務長」とでも呼べばいいのだが、この変わり者の化学教師は、初対面のときから藍をファーストネームで呼んでいた。 「んー、まあ、こんなもんかな」 藍がどう言い返してやろうかと考えているあいだに、銀生はすたすたとドアの方へと向かった。ちらりと振り向き、 「腹、へりましたねえ。藍さん、一緒に食堂、行きません? おごりますよ〜」 散々な状態の準備室をそのままにして、昼飯を食いにいくのか? 藍はぎろりと銀生をにらんだ。 「どうぞ。おれはいまから、ここを片付けますんで」 「えー、そんなの、管理作業員のオジサンとか掃除のオバサンの仕事でしょ。給料分はちゃーんと働いてもらわなくっちゃ」 毎月、給料分以上の損害を出している男に言われたくはない。 「ねー、行きましょうよ〜」 さらにしつこく誘う銀生に、藍は憮然として答えた。 「今日は、弁当を持ってきてますんで」 義弟にあたる斎が作った重箱弁当。それを食べている最中に、この爆音を聞いたのだ。事務局のデスクにそのままにしてきたが、この際、昼食よりも片付けの方が先だ。 「なーんだ、そうですか〜。じゃ、またー」 ぺたぺたと健康サンダルをひきずって、出ていく。藍はため息をつきつつ、室内を回した。どこから手をつけたらいいのか、さっぱりわからない。これは、やはり、作業員や清掃係を呼んだ方が賢明かも……。 先般の考えを改めて、藍は仕事用の携帯電話を取り出した。 片付けの指示を出してから事務局に戻ると、特進クラスの国語を担当している錦織文麿がデスクの横で待っていた。 「桐野事務長! いったい、どこに行っていたのだ」 芝居がかったオーバーアクション。思いっきり浮いている。 この男は旧華族出身で、和歌の研究ではそれなりに知られた人物だが、噂によると、作品に感情移入しすぎるあまり肩を叩かれて退職した前歴がある。 「貴重な昼休みを、十五分三十七秒も無駄にしてしまったではないか」 細かい。藍は業務用の笑顔を作り、 「それは失礼しました。化学準備室の様子を見に行っていたものですから」 「ああ、あれか。社がまたつまらぬ実験をしたのであろう。いつものことではないか。なにもわざわざ、見物に行くこともあるまいに」 「べつに、見物に行ったわけではありませんよ。事務長として、被害の状況を確かめようと……」 「おお、さらに二十四秒も無駄になってしまった!」 眉間に手を宛て、嘆ずる。駄目だ。さっさと用事を済ませてしまわねば。 「すみません、錦織先生。それで、ご用件は」 「これだよ、これ」 ずいっ、と、領収書の束が差し出される。 「先日の出張の折り、私が立て替えた分だ。締日までに精算するはずが、いまだに処理されていないのは何故かね」 それは、領収書を提出してもらってなかったからなんだが。 立て替え分の金額が確認できなければ、払うものも払えない。それぐらいのこともわからないのか。 もっとも、この男に限らず、ウチの学校には世間から一歩も二歩も……いや、十歩ぐらいズレている人間がいっぱいいる。ほとんどマッドサイエンティストでクラッシャーな化学教師もそのひとり。あとは、やたらと世の中の裏道や抜道を知ってる社会科教師や、海外のミュージカルを教材にしている歌って踊れる英語教師、公式や定石で解けないことはないと断言する数学教師、海洋学の論文で世界的に認められていながら、なぜか日本文化に傾倒している生物教師。名作絵画の修復をさせたら右に出る者はいないという美術教師(なぜか医師免許も持っているらしい)に、パリで定期的に個展を開いているというプロの画家の音楽教師。さらには、字を見ただけでその人間の育ってきた環境や性格や適性などが瞬時にわかるという書道教師などなど、枚挙に暇がない。 御影学園は教師を採用する際、原則として職歴を問わない。これは理事長である桐野篝の意向で、教員資格を持っていれば、とりあえずは仮採用される。その後、一カ月から三カ月の試用期間を経て本採用となるのだが、やたらと個性的な教師が集まったのはこういうシステムゆえだろう。 「いや、なにも、きみを責めているのではないよ。ただ、事務局が円滑に動いていないのであれば、それは御影学園にとってゆゆしき事態だと思ったものだからねえ」 舞台俳優さながらに、蕩々と言う。 「……ご心配、いたみいります」 内心、馬鹿馬鹿しくなりながらも、とりあえず一礼した。 「その件に関しましては、今日中に処理します。こちらの不手際でご迷惑をおかけしました」 「おお、そうかね。では、よろしく頼むよ」 錦織は領収書をデスクに置いて、意気揚々と退場した。 「事務長、それはこちらで……」 いままで様子を伺っていた事務局の職員のひとりが、そろそろと近づいてきた。藍はその職員に領収書を渡し、 「優先的に処理してくれ」 「了解しました」 職員が自分のデスクに引き上げたのを見届けて、藍も席に着いた。食べかけの弁当。昼休みはあと十分足らずだ。再度、箸を手に取る。と、そのとき。 「よぉーっす。事務長さん、いるかい」 野太い声が、響いた。爪楊枝をくわえてどかどかと入ってきたのは、体育教師の榊剛だ。ちなみにこの男は、元暴走族のヘッド(頭)である。 「さっき、あんたんとこのガキに昼メシ代貸したからよ。あんた、代わりに払ってくれよ」 唐突な話。藍は眉をひそめた。 「え……それって、碧のことですか」 「おう。あの金髪の1年ボーズだよ。購買部で財布忘れたってわめいてたからよ」 おかしい。碧も自分と同じく、斎の作った弁当を持っているはずなのに。 それを言うと、剛はにんまりと笑って、 「早弁しちまったんじゃねえのか? こないだ檜垣に聞いたら、四時間目の授業んとき、うまそーな匂いがしてたって言うぜ」 そういえば、碧のクラスは生徒の半分近くが三時限と四時限のあいだの休み時間に弁当を食べていると言ってたっけ。 ちなみに、檜垣というのは普通科クラスの社会科教師で、榊とは昔馴染み(どうやら暴走族時代の知り合いらしい)である。 「やきそばパンとコーヒー牛乳、しめて240円な」 野球のグラブのような大きな手を差し出され、藍は懐から財布を取り出した。 「240円ですね。あの……おつり、ありますか」 あいにく、十円玉が二枚しかない。百円玉を三枚差し出す。 「んー。わかんねえから、釣りはあしたな」 さっと硬貨を取り、剛は事務局を出ていった。いままでの経験からして、釣銭は諦めるしかなさそうだ。 藍が小さくため息をついたとき。 キーンコーンカーンコーン………。午後の予鈴が鳴った。 もうそんな時間か。弁当はまだ半分以上残っていたが、ここでガツガツ食ってはみっともない。 微妙な空腹感をかかえながらも、藍は弁当の蓋を閉じた。 |