本日モ青春ナリ〜御影学園日記〜 by 近衛 遼 ACT12 桐野藍の闘争の日々 どおおおおおーーーーん……… 私立御影学園高等部。その校舎の外れにある倉庫から、地鳴りのような音が響いた。 「げーっ、銀セン、またやったのかよ」 昼休み。それぞれに食後のひとときを過ごしていた生徒たちが窓際に集まった。なにやらキナ臭い匂いが漂っている。 「こうしょっちゅうだと、慣れっこになっちまうよなあ」 「そうそう。おかげでオレなんか、夜中に近所の工場で爆発騒ぎがあっても熟睡しててさー。おふくろに怒られちまったよ」 人間の危機管理意識というのは、この程度のものである。 「119番、しなくていいのか?」 「いいだろ、べつに。いつものことだし。あ、ほら、いま事務長が倉庫に走っていったぜ」 「大丈夫かなー。薬品扱ってたら、二次爆発とかあってマズイんじゃねえの?」 みんなそれぞれ、好き勝手なことを言っている。 期末テストが終わった直後で、気分的にもハイなのだろう。わやわやと鈴生りになった窓の下では、藍が消火器を手にずんずんと歩を進めていた。 「社先生! 今度は何事ですかっ」 ドアを開けると、もわっとした黒煙が流れ出した。多少、異臭もする。藍は迷わずドアを閉めた。 「なっ……なにするんですか、藍さん。ひどいですよ〜」 中から情けない声がした。 「俺を見殺しにする気ですか?」 「自分のしたことの責任は、自分で取ってください。生徒たちを危険にさらすことはできません」 もし有害なガスなどが発生していたら、それを外に漏らすわけにはいかない。ここは密閉して、すみやかにその種の処理班を派遣してもらわねば。 「そんな〜。藍さん、俺を愛してないんですか」 「はい。もちろんです」 言下に答える。 「えーっ、ゆうべはあんなに情熱的だったのにー」 「それとこれとは関係ありません。御影学園高等部、生徒職員合わせて二百三十五名のため、聖職に殉じてください」 「そんなの、いやですよー。どうせなら生殖に殉じたいです」 やかましい。そんなことが言えるぐらいなら、たいしたことはないな。藍はそう判断し、 「いまから理事長に報告に行ってきます。ここでの実験許可は取っておられませんよね? それなりのペナルティは覚悟しておいてください」 この男のことだ。金で解決できるものなら、なんのペナルティにもなるまい。が、「桐野家五十箇条」においては、それはかなり重い罰が課せられる。 倉庫の損壊は御影学園としては損失だったが、藍個人にはじつに有益であった。これで、少なくとも半月はあの男の相手をしなくて済む。いや、もしかしたら二十日ぐらいは。 藍は足早に、理事長室へと向かった。 銀生が強引に桐野の家に引っ越してきた日の翌日。 藍は銀生に、全五十箇条にわたる誓約書を提示した。 「共同生活を営んでいくためには、それなりのルールが必要です。これを了承していただかない限り、同居は不可能です」 微に入り、細に渡って綴られた誓約書。銀生はその一文一文に目を通し、「わかりました。誓います」と言って署名した。 もちろん、あの男がそれを百パーセント遵守するとは思っていない。が、いざというときの切札として握っておきたかったのだ。その中には、「学園に損害を与えた場合は私的交渉を中断する」という条項も含まれていた。 こうして、桐野藍はしばしの休息を得た。………はずだったのだが。 「なっ……なな、なんですか、これはっ!!」 三日後。 藍が出勤してみると、倉庫は元通りになっていた。否、以前よりもさらにしっかりした造りになっていて、備品もばっちり揃っている。 「秀吉の一夜城みたいにうまくはいきませんでしたけど、三日でちゃーんと立直しましたよー。あ、ちなみに、化学準備室の窓はぜーんぶ防弾ガラスにしましたから、これでちょっとやそっとじゃ壊れません」 銀生は嬉々として説明した。 「俺、もう学校にメーワクかけませんから。だから、藍さん。やさしくしてくださいね〜」 にこやかに、銀生は言う。その笑顔の裏にある、深く暗い情炎。いやというほど味わったそれに、藍は冷ややかな視線を向けた。 「すみやかな対応、いたみいります。ですが、あなたが許可もとらずに実験を行ない、当校に損害を与えたのはまぎれもない事実です。よって、『桐野家五十箇条』第二十五条に該当し、しばらくのあいだ謹慎していただきます」 「しばらくって、いつまでです?」 探るような目で、銀生は訊いた。 うるさい。本当は、一生でも謹慎しててほしいぐらいだ。が、そんなことは到底無理だろう。ならばせめて。 「碧の補習が終わるまで」 結局、碧は英語で赤点を取り、補習に出ることになっていた。 「えーーーーっ、そんなあ。ひどいですよ、藍さん〜」 「甘えないでください。ほら、もう予鈴が鳴りましたよ。今日から球技大会です。自分の仕事を、きっちりやってくださいね」 御影学園には、いわゆるテスト休みのようなものはなく、期末テストのあとには全校生徒の交流を深めるための球技大会があった。文武両道を旨とする学園の方針である。 銀生を本校舎へと追い遣り、藍はやっとひと息ついた。 期末テスト期間とその採点のあいだ、藍は銀生を拒み続けた。件の五十箇条の中には「仕事優先」の項目もあったのだ。結果、試験の採点が終わった日の夜は、有無を言わさぬ勢いで押し倒されてしまった。もっとも、翌日に欠勤しなくて済んだということは、それなりにあの男も考えていたと思うが。 事務局に戻ると、宇津木がコーヒーを運んできてくれた。 「事務長、おつかれさまです」 「ああ、ありがとう」 「いつもながら、たいへんですねえ」 「え?」 「社先生のことですよ。天才と気狂いは紙一重っていいますけど」 「……そうだな」 言い得て妙、というか、そのものズバリ。 社銀生は専門分野では天才なのだろうが、日常生活においては非常識の塊で、藍にとっては気狂い以外の何者でもない。 「しかし、社先生が御影学園の教員である限り、相応に遇していかねばならん」 重々しく、藍は言った。宇津木は頷いた。 「はい。了解しました」 きっちりと礼をして、自分の席に戻る。 そうだとも。あの男がここにいる限り。自分の戦いは終わらないのだから。 碧の補習が終わるまで、と言ったのが仇になったのか。 なぜか、補習は予定の半分ほどの日程で終了した。どんな手を使ったのかはわからないが、あの男が横槍を入れたに決まっている。 次からは、もっと厳密に言葉を使わなくては。藍はしみじみとそう思った。 「ねえねえ、藍さん」 夕食ののち、銀生が藍の腰を抱いて囁いた。 「碧くん、がんばったみたいですよー。補習のプリント、ぜーんぶ提出したんですって」 「そのようですね」 「あれれ、知ってました? なーんだ。じゃあ……」 唇が近づいてくる。そっと顔をそむけて、 「ここを片づけてからにしてください」 今日の食事当番は、銀生である。「桐野家五十箇条」の中には、家事当番に関する規定もあった。 「あ、そうですね」 ぱっと手をはなし、流し台に向かう。藍は無言のまま、寝室に向かった。 そうだとも。あの男が存在する限り。 闘いは終わらない。春夏秋冬。朝も昼も夜も。 桐野家の夏の夜は、こうして更けていった。 (了) |