たまゆら  by 近衛 遼




第八帖

 夕餉には、久しぶりに川魚や肉が出た。
「うわーっ、いまごろ猪肉? さすが春日家ねーっ」
 岷がうきうきしながら、箸をのばした。
 猪猟はまだ解禁前のはずだが、荘園内の田畑を荒らしに出てくる場合は、特別に獲ってもよいことになっている。おそらくこの肉も、その類だろう。
「この脂身、サイコーだねっ。ヤミで流れてるのなんて、クサくて食べらんないのが多いけど」
 下々に流通している猪肉は、たいてい内蔵近くの肉だ。内蔵は腐敗が早い。必然的に、その付近の部位は臭いがきつくなる。それでも、庶民にとっては一年に一度、食べられるかどうかの貴重品だ。皆、山椒味噌に漬け込んだり薫製にしたりして食している。
 それにしても、嫌みかよ。
 黙々と猪肉を咀嚼しながら、鬼堂は思った。こんなもん食ったら、ますます精がついちまうじゃねえか。そうでなくても、さっきから下っ腹がむずむずしてるってえのに。
 岷はあいかわらず、軽口をたたきながら食事を続けている。鬼堂は機械的に料理を口に突っ込んだ。味はほとんど、感じられなかった。


 萩野が寝所を整えて、西の対屋をあとにした。岷は夕餉のあと、顕良の読経に付き合っていたが、やがてあくびをしながら濡れ縁に出てきた。
「ふわーっ、つっかれた〜。ほかのはともかく、お経だけは苦手だねー。ま、睡眠薬代わりにはなるけど」
 とんとんと肩を叩いて、言う。
「んじゃ、鬼堂ちゃん。あとはヨロシクねー。結界、特別に二重に張っといてあげるから」
「二重?」
 すでに刀を抱えて持ち場に着いていた鬼堂は、ちろりと相棒を見遣った。
「そ。防御結界と遮蔽結界。これで、だれにもジャマされないよん」
 にんまりと栗色の目を細める。
「今日は式神くっつけたりしないから、安心してよねー」
「おまえ……」
 刀を持つ手に力が入った。
「わわわ。ストーップ!」
 気配を察した岷が、ひらりと庭に降り立った。
「怒んないでよ。からかってるわけじゃないんだから」
 瞬時に自らに防御結界を張る。
「鬼堂ちゃん、そろそろ限界かなーって思ったからさあ」
「余計なお世話だ」
 図星なだけに、腹が立った。
「行け」
 目で渡殿を指す。岷はそろそろと移動した。わずかな時間も警戒を解かないのは、さすがである。
 ひらりと渡殿に飛び上がる。鬼堂の刀が届かぬ位置まできて、やっと自身の結界を解いた。再度、印を組み直す。西の対屋に防御結界が張られた。
「じゃ、おやすみ〜」
 赤毛をひるがえして、岷が薄闇に消えていく。鬼堂はため息をついて、縁に座した。
 さすがに遮蔽結界までは張っていかなかったが、これはかなり強固な防御結界だ。岷のやつ、妙な気を回しやがって。
 横目で寝所を窺う。まだ明かりはついていた。薬学の本か史書でも読んでいるのだろうか。
 病み上がりだってえのに、なに夜更かししてんだよ。
 その「病み上がり」の相手を抱こうとしていることはすっかり棚に上げ、鬼堂は思った。早く床に入れ。じりじりとした気持ちで、待つ。
 房の明かりはなかなか消えなかった。痺れを切らして、立ち上がる。
 なにも待ってるこたぁねえ。俺は二度もあいつを抱いている。抱きたいときに、抱きゃいいんだ。
 御簾をかき上げ、寝所に踏み込んだ。なにかの写本を読んでいた顕良が顔を上げる。奥二重のすずやかな目が、わずかに見開かれた。
 灯明の火を吹き消す。一瞬、あたりが真暗になった。間髪入れずに顕良の肩を押す。写本を横に払って、そのまま褥に組み敷いた。
「別払い、してくれるんだろ」
 岷のセリフを借りて、言う。
「たっぷり払ってくれよな」
 先日のような処置は、していない。爆発しそうな欲望が出口を求めて騒いでいる。衣ごしにもそれが伝わったのだろう。顕良は身じろいだ。
 荒々しく、夜着を剥ぐ。帯を解いて横に打ち遣り、すべてを露にさせた。
「鬼堂どの……」
 弱々しい声。なんだ? いまさら、嫌だなんて言わせない。最初のときもこの前も、おまえは俺を受け入れたんだから。
 逃げられないように、中心に手を滑らせた。顕良の体がびくりと震える。白い手が鬼堂の二の腕を掴んだ。
「……いいんですね」
 潤んだ瞳で顕良が問うた。その問いを、あえて無視する。指先に力を入れた。
「これで、本当に……」
 下の刺激に耐え兼ねたのか、語尾をくぐもらせる。呻きにも似た声がその唇から漏れた。
 顕良がなにを言おうとしたのかはわからない。それを斟酌する余裕は、もう鬼堂にはなかった。後ろに指を進める。記憶にある場所を探って、道筋を広げて。
 早く、ほしい。早く、こいつを喰らいたい。
 ドクドクと心臓が脈打っている。このままだと、逆流しそうだ。
 極限まで緊張した状態で、鬼堂はその中に押し入った。
「………っ!」
 衝撃は最初のときに匹敵したかもしれない。反動が腰に響く。鬼堂は無意識のうちに動き始めていた。
「はっ……あ……ん…んんっ」
 苦しげな声。なんどもかぶりを振って、嵐に耐えている。
 昼間にはついぞ見ない顔。だれも、何者も知らない。俺だけが知っているこいつの顔。
 もっと見せろ。もっと乱れて、あられもなく声を上げて。
 鬼堂は顕良のあごを掴んで固定した。わななく唇を犯し、息を捕える。
 途端に、内部の熱が急上昇した。外に逃がすいとまもあらばこそ。鬼堂はおのが激情を、顕良に注ぎ込んだ。


 事が終わったあとまで、顕良が意識を保っていたのははじめてだった。もっとも、なかば朦朧としているようで、しばらくはぐったりと夜具に身を横たえていた。
 鬼堂は手桶の水に綿布を浸し、顕良の体を拭いた。熱を帯びた体がだんだんと冷めていく。夜着を着せかけると、顕良は緩慢な動作で袖を通した。帯は結ばずに、ふたたび横になる。
「……行くのですか」
 ぼそりと、顕良が訊いた。
「ん? なんの話だ」
「物の怪を、成敗しに」
「ああ、あれか」
 萩野からの依頼。都の春日邸で起こっている物の怪騒ぎを調べること。自分はそれを、引き受けた。
「行くぜ。仕事だからな」
 ふと悪戯心を起こして、続ける。
「前払い、してもらったしな」
 顕良の長い黒髪を弄びながら、言う。絹糸のようなそれは、指のあいだを流れていく。
「まあ、物の怪だなんだのってのは、杞憂だと思うぜ。だいたい、おまえがぶっ倒れたのは俺のせいだしよ」
「ちがいます」
 顕良はきっぱりと言った。
「あなたのせいではありません」
 顕良は顔を上げた。黒い双眸が鬼堂に向けられる。
「ぼくが……望んだから……」
 なにを言っているんだ、こいつは。鬼堂はまじまじと顕良を見下ろした。
 望んだだと? あれを、自ら欲したというのか。
 たしかに、顕良は拒まなかった。前日、さんざんいたぶられた場所に侵入されても、それに耐えて。
 今夜も、そうだった。抵抗はしなかった。させるつもりもなかったが。
「へえ。おまえ、そのテの趣味があったのかよ」
 あるはずがないことは、わかっていた。まっさらな体だった。それを汚したのは自分だ。
「いままでもこうやって、宿直のやつらをたらしこんでたのか?」
 思ってもいない言葉が次々に出る。顕良は柳眉を寄せて、ぐっと唇を噛み締めた。
「で、俺で何人めだよ。五人か? 十人か?」
 止まらない。自分のひとことひとことが顕良を傷つけていることに、言いようもない高揚を覚えた。
 背中がぞくぞくする。やっと収まった情炎が、ちりちりと燃え出している。鬼堂は顕良にのしかかった。
「せっかくだからよ」
 夜着の襟を乱暴に開く。
「もうちっと、前金をはずんでもらうかな」
 鬼堂の言葉に、顕良は目を閉じて横を向いた。