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たまゆら by 近衛 遼
第 六帖
「え〜っ、なんでオレが、宿直しなくちゃいけないのよ」
夕餉のあと。さっさと自分の房に戻ろうとした岷が、大袈裟な物言いで抗議した。
「オレ、命からがら帰ってきたばかりなのよ? ひと晩ぐらい、ゆっくり寝かしてくれたっていいじゃんかー」
たしかに道理だ。おそらく岷は昨夜、一睡もしていないはずだから。が、このまま自分が宿直に就けば、どういうことになるか。鬼堂にはもうわかっていた。
顕良は抵抗しないだろう。どんな思惑があるのかは知らないが、鬼堂が挑めば拒むまい。弱った体を差し出し、行為に耐える。そのときの顕良の表情まで、容易に想像できた。
見たいと思う。もう一度、あの声を聞きたいとも思う。逃げ場を与えずに追いつめて貫いて、体中の血を沸き上がらせたい。
「なーんか今日、ヘンだよ、鬼堂ちゃん」
岷が眉をひそめて、言った。
「お局さまもいつもと様子が違ってたし。若さまの世話を鬼堂ちゃんにまかすなんて、はじめてじゃん。自分は御簾ん中にも入らずにさー。オレがいないあいだに、なんかあったの?」
茶色の瞳が、訝しげに向けられる。
「……べつに、なにもねえよ」
話せば宿直を代わってくれるかとも思ったが、いずれにしても今後ずっと、岷に宿直を押しつけるわけにもいかない。
「だったら、今日はカンベンしてよ。一応、防御結界は張っとくからさ。あ、でも、寝所の回りだけだからねー」
さすがの岷も、もうあまり「気」が残っていないのだろう。都での一件を聞けば、それも当然だ。鬼堂は頷いた。
「わかった。ゆっくり休め」
「ありがと、鬼堂ちゃん。愛してるよー」
いつもの軽口を投げて、岷は西の対屋をあとにした。
寝所の中は静かだった。明かりは消えている。顕良はもう床に就いたらしかった。昨夜と同じく、刀を抱えて縁に座る。
とりあえず、処置はした。夕餉のときに蠢いていた熱を自ら外に瀉し、なんとか緊迫した状況からは抜け出せた。もっとも、そんなことぐらいで収まるとはとても思えなかったが。
夜は更ける。月が墨色の空を渡っていく。さえざえとした月明かりが中庭を照らす。鬼堂はなるべくなにも考えないようにして、目を閉じた。少し仮眠をとろう。そう思っていたとき。
かさり。御簾の隙間から、ほっそりとした手が現れた。ついで、顕良の白い横顔。おぼつかない足取りで、次の間に進む。
鬼堂はごくりと唾を飲み込んだ。馬鹿野郎。なんでいまごろ、出てきやがる。
「どうした」
刀を持ったまま、訊く。顕良はゆっくりと振り向いた。
「水を……」
「え?」
「いつも萩野が、枕辺に水差しを置いてくれるのですが……」
それが、ないらしい。
そりゃそうだろう。今日は萩野は、御簾内に入っていない。就寝前に褥を整えたのも鬼堂だった。水差しのことなど聞いていなかったので、当然ながら用意していない。
「のどが乾いたのか」
「はい」
「待ってろ」
鬼堂は踵を返した。渡殿に向かおうとして、ふと横を見る。遣り水の流れる涼やかな音。たしかこれは、雲海山の清水を引いてきていたはずだ。
これでいいか。鬼堂は庭に降りて、庭木のそばにあった手桶で水をすくった。冷たい清水を寝所に運ぶ。
「ほらよ」
ずい、と桶を差し出す。顕良が目を丸くした。
「え……」
「飲め」
「あの、湯呑みか椀かなにか……」
「手ですくえばいいだろ」
ぶっきらぼうに、言う。
顕良はしばらく桶を見下ろしていたが、やがておずおずと手を差し入れた。右手はまだうまく動かないらしい。左手だけで、少しずつ水を口に運ぶ。
こくり。こくり。嚥下する音が、妙になまめかしい。
見るな。聞くな。必死に自分に言い聞かせる。だが。
先刻の処置など、まるで無駄になってしまった。体の芯から、それを求める声がする。
いいじゃねえか。
もうひとりの自分が言う。あれだけのことをされても、こいつは俺に、ここにいろと言ったんだ。ウラでなにを考えているかなんて、どうでもいい。よしんばなにか画策してたって、どうせガキの浅知恵だ。いざとなったら、それこそ死んだ方がマシだと思うぐらいの目に遭わせてやる。
もう、抗えなかった。
手桶を庭に飛ばす。顕良がはっとして顔を上げた。
「鬼堂ど……」
皆まで言わせなかった。唇をふさぎ、そのまま押し倒す。板の間にふたりの影が重なった。
昨夜、怒りにまかせて貫いた体を、鬼堂はじっくりと味わった。
予想通り、顕良は抵抗しなかった。陰間のように能動的な動きは見せないまでも、命じられるままにひざを上げ、態勢を整える。傷ついた部分は痛々しい状態だったが、時間をかけて指を馴染ませると、顕良の体に変化が現れはじめた。
昨日は見られなかった現象に、興奮がいや増す。ここか。中を探る。その場所を確認する。顕良は上体を震わせた。声が漏れる。黒髪が汗に濡れた額や首筋に張り付いている。
鬼堂は顕良のひざを抱え上げた。開かれた下肢のあいだに身を埋める。
「んっ……んん…っ」
細い手が、すがるように鬼堂の腕を捕えた。
「力を抜け」
無理だとはわかっていたが、言ってみた。
「息を吐くんだよ」
耳元で告げる。顕良は潤んだ目で横を見て、大きく息をついた。中に引き込まれるような感覚。奥に潜む熱は、鬼堂の情炎をさらに燃え立たせた。
早くしねえと、危ねえな。鬼堂は思った。本当はもう少し、この悦楽を感じていたい。だが、そんなことをしていたら、もっと激しい刺激を求めてしまう。こいつを全部、壊してしまうほどの。
「……」
顕良がなにごとか呟いた。昨夜と同じく、明確な言葉ではなかったが。それが合図だったかのように、鬼堂は動きはじめた。
突き上げて。かき回して。そのたびに駆け抜ける快感。鬼堂はそれに、酔い続けた。
明けを告げる鳥の声。ひんやりとした風に、鬼堂は目を覚ました。横には、素肌に掛衣を被っただけの顕良がいる。
しまった。あのまま、つい眠ってしまったらしい。顕良を褥に戻そうと思っていたのに。
鬼堂は顕良を抱いて、褥に移した。先夜剥ぎ取った夜着は、房の隅に散らばっている。
萩野が手水の用意をしてここに渡ってくるまでに、仕度を整えねば。鬼堂はてきぱきと、諸々の後始末をした。
すべてが終わっても、まだ顕良は目を覚まさなかった。やわらかな髪に、そっと手をやる。しっとりと、からみついてくる黒髪。後朝の余韻に浸っていると、濡れ縁の向こうから遠慮がちな声がした。
「鬼堂ちゃーん、ちょっと、いい?」
岷だった。こんな早くに、なんだろう。鬼堂は寝所を出た。
「ごめんねー。無粋なことしちゃって」
「無粋だと?」
鬼堂は岷をにらんだ。
「あー、もう、いいからいいから。オレと鬼堂ちゃんの仲だもん。細かいことは言いっこナシよん」
いたずらっ子のような顔で、岷は続けた。
「きのうの様子だと、若さまもオッケーみたいだしさ」
「おまえ、どうして……」
どうやら、ばれているらしい。昨夜は早々に自分の部屋に引き上げたはずだが、なぜわかったのだろう。
「え、気がつかなかった? 結界に、ちょっとばかり細工しといたんだけど」
人差指をたてて、赤毛の相棒は言った。
「鬼堂ちゃん、なんか隠し事してるみたいだったからさー。結界に式神を封じたのよ。まあ、そーんな強力なヤツじゃないから、声ぐらいしか聞こえなかったけど……あ、念のために言っとくけど、鬼堂ちゃんが若さまを押し倒したあとは、式神を引き上げたからね〜」
要するに、その後は盗み聞きはしていないということか。それにしても、油断も隙もないやつだ。疲れたからと言って宿直を断っておきながら、結界に式神を忍び込ませるとは。
「しっかし、鬼堂ちゃんがそっち方面に流れるとはねー。オレ、これからバックに気をつけなくっちゃ」
「なに言ってやがる。だれがおまえなんかに欲情するかよ」
「あらら、そうなの? よーかった」
岷はわざとらしく、胸を撫で下ろした。
あたりまえだ。自分は決して、衆道に目覚めたわけではない。ただ、顕良に対してだけは別なのだ。自制せねばと思っても、止まらなくなってしまう。
「ま、若さま相手じゃ、鬼堂ちゃんが道踏み外すのもわかんなくないけどねー」
くすくすと笑いながら、横に立つ大男を見上げる。
「ただ、お局さまには気づかれないよーにしないと、鬼堂ちゃん、呪い殺されちゃうかもよ〜」
「若さま命」のような萩野のこと。ありえない話ではない。鬼堂はむっつりとしたまま、相棒の忠告を拝聴した。
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