たまゆら
by 近衛 遼




第二十七帖

 その夜、日付の変わったころ。
「後払い、受け取りに来たぜ」
 鬼堂は正殿の寝所に無造作に踏み込んだ。
 顕良は生成りの夜着に鶯色の上衣をはおって、文机の前にいた。例によって、史書かなにかを読んでいたらしい。
「だいぶ厄介な仕事だったからよ」
 いらえを待つつもりはなかった。二の腕を掴んで、乱暴に夜具へと倒す。
「たっぷり、払ってもらおうか」
 燻り続けていた火種が一気に噴き出す。鬼堂は顕良にのしかかった。


 灯明は消さなかった。顕良の顔を、体を、隅々まで見たかったから。
 夜着を剥ぎ取り、すべてを露にする。透けるような肌に、過日の跡はもうなかった。
 ひとつひとつ、新しい標を刻み付けていく。
「ん……っ、あ……ああっ……」
 声が散る。以前、交わった房に比べていくぶん広い寝所の天井に、鬼堂が焦がれていた声が響いた。
 背中から腰にかけての線が、こちらの動きに合わせて揺れる。右に左に。前にうしろに。強く下から突き上げると、支えを失った下肢が鬼堂の思うがままになった。
 奥まで入り込む。覚えのある場所を捕える。顕良の長い黒髪がしとどに乱れた。快感がじんじんと広がっていく。
 熱を飲み込んだ部分を、鬼堂はさらに高く引き上げた。中にあるものが、顕良の深淵を犯していく。
「っ……ふ……んんっ」
 しなやかな体が、いま自分の下で蠢いている。繋がったまま、あられもなく声を上げて。
 もっと聞きたい。この声を。いままで聞けなかったんだから。
 腰を撃つ。
「!……っ…あ…」
 がくがくと、かぶりが振られた。敷布がもとの形のわからぬものになっていく。
 何度も何度も撃つ。そのたびに、たしかなものが還ってくる。
 声はすでに意味をなさなかった。かろうじて音として認識できるだけのそれを、顕良は吐き出し続けた。


 何度、達しただろう。
 鬼堂にはわからなかった。中に注いだ激情は、あちこちに溢れてとんでもない状態になっている。そして、その合間に顕良が応えたものも。
 混じり合う情炎。それをすくいとって、さらに次の熱を育てる。
 これがおまえだ。そして同時に、俺でもある。わかるだろう。おまえの熱は俺が生み出し、俺の熱はおまえが生み出している。互いが互いを焼き尽くして、同じものになっていく。
 抱え上げられた足先がひくひくと震えている。内部の状態と同じように。やがてそれは全身を侵食して、顕良の意識を奪った。


 放さなければ。
 そうは思う。もう、離れなければ。
 これでは本当に、こいつを殺してしまう。さらなる刺激と快感を求めて、どこまでも喰らい続けてしまう。
 夜具に崩れた体。その一部はまだ鬼堂の支配下にあった。色を失った顔には、幾筋か涙の跡がある。鬼堂はそれを舐め取った。
 苦い。
 まるで、血の味のような……。
 ふっ、と、目の前にあった双眸が開いた。つややかな瞳が向けられる。
「…………」
 顕良がなにごとかを呟いた。
「なんて……言ったんだよ」
 いつぞやも、こんなことがあった。耳に届かぬ言葉。中に留まっていたものが、再びたぎり始めた。
「いま、なんて……」
 ぐっ、と体を押し上げる。
「……っ!」
 聞きたかった。顕良の言葉を。いまなら、取り繕ったものでない、本当の気持ちが聞けるかもしれない。
 額に張り付いた髪をかきあげ、口付ける。からからに乾いた口腔を潤し、そっと放した。
「……言えよ」
「……………」
 顕良の唇が動いた。その意味するものは……。


 鬼堂の中から、なにかが抜け落ちた。
「おまえ……」
 しばし、窮する。顕良の両の手が、鬼堂の首に回った。やわらかな抱擁。
 鬼堂は目を閉じた。そんなこと、鵜呑みにするほど初心(うぶ)じゃねえよ。けど。
 いま、まちがいなく、こいつは俺の腕の中にいる。
 いいさ。それで。それだけで。
 たとえまやかしであっても、夢であっても、おまえを抱いていられるのなら……。
 鬼堂はふたたび、顕良に口付けた。そっと、儀式のように唇を重ねる。
 ふたりの体が動き出した。腰を支えて、衝撃を抑えて。先刻までとはまったく違ったそれは、やがてゆるやかに終幕を迎えた。


 顕良が絶え入るように眠ってしまったあと。
 鬼堂は汚れた敷布を取り替え、夜着を整えて朝を待った。なにしろ、一応は宿直(とのい)の身である。
 刀を抱えて御簾の外にいると、寝所の脇からだれかが近づいてくる気配がした。まだ夜明け前。鬼堂は刀を抜いて立ち上がった。
『鬼堂ちゃーん。オレだよ、オレ』
 遠話が届いた。岷だ。
 いまごろ、なんだよ。緊張を解き、鬼堂は寝所の戸を明けた。朝もやの中、手桶を下げた岷が渡殿のあたりにいた。
「あらら、無駄足だったかな」
「……なんの話だ」
「え、だって、きのうの鬼堂ちゃん、かなーり『来て』たみたいだったからさー」
 苦笑いをして、続ける。
「歯止めが効かなくなっちゃって、とことんヤっちゃったかなーと……」
 つまり、鬼堂が暴走したあとのことを考えて、フォローしようとやってきたらしい。手桶には湯が入っているし、ご丁寧に薬籠まで持っている。
「その様子だと、大丈夫みたいね」
 たしかに、かなり執拗に事を行なってしまったから、顕良のダメージは相当なものだろう。が、とりあえず手当はしたし、いまのところ発熱もないようだ。たぶん大事はないと思うのだが。
「あーあ、心配してソンした。せーっかく、晴ちゃんと仲良くしてたのにさあ」
「だったら、早く部屋に帰れ」
 昨夜は、実質的な初夜だったはずだ。その相手を放っておいてはいけない。
「はいはい。んじゃ、またあとでね〜」
 くすくすと笑いながら、岷が引き上げていく。
 まったく、おせっかいな男だぜ。もっとも、たいていの場合、それがまったく鼻につかないのだが。
 夜明けまであと少し。寝所に戻ろうとした鬼堂のうしろで、ぴしゃん、と、かすかな水音がした。遣り水の流れに、なにかが投げ入れられたような。
 ふたたび刀を構えて振り向く。が、そこには何者の気配もなかった。
 朝もやはいまだ色濃く、正殿の周りを取り囲んでいる。薄闇ともやの色が微妙に混じり合った不可思議な空間を、鬼堂はしばし睨み付けていた。