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たまゆら by 近衛 遼
第二十五帖
中務信行は、菅行昌と中務家の一姫、富貴(ふき)とのあいだに生まれた子であった。
彼らがどのようにして出会い、思いを交わすようになったのかはわからないが、当時すでに行昌には春日家との縁組みの話があり、一方、富貴には時の和王の王城に出仕する話が進んでいた。そのさなかの、富貴の懐妊である。
富貴の父である中務家の当主、中務坂根(なかつかさ さかね)は激怒した。それはそうだろう。一応は奥侍女としての出仕だが、うまくすれば王の目にとまり、側室となる可能性もあったのだ。
中務家は侯爵の家柄。出自も申し分ない。先に入内している妃たちと比較して、決して見劣りはしなかったから。
それを、間際になって掠め取られた。中務坂根は行昌の行為は王に対する謀叛にも等しいと言い立て、事を公にしようとした。その仲裁に入ったのが、春日清顕だった。
「御上は、富貴姫の出仕は来春でよいと仰せになっておられます」
清顕は王が幼少のみぎり、側役として、ともに護国寺で学んだことがある。それ以来、王は清顕を兄のごとく信頼していた。
「それは、いかなる仕儀にて……」
「行昌卿に嫁したのちの出仕でもかまわぬと」
「なんとおっしゃる。行昌どのは春日家との縁組みが決まっているではないか! 清顕どの、そなたは妹君の縁談を潰してもよいと言うのか」
坂根は首を横に振った。
「ならぬ。それだけはならぬぞ。さようなことをしてみよ。中務の名が地に落ちるわ。娘を出仕させたくて、他家の縁組みを壊した卑怯者、とな!」
坂根は断言した。娘と行昌を一緒にさせる気はない、と。
しかし、諸々の事情を知ったうえで出仕を望む王の意志を蔑ろにはできない。悩んだ末に、坂根は結論を出した。それが、生まれてくる子を自分の養子として中務家に入れ、そののち富貴を城に上げることだった。
「菅大夫は、ずっと恨んでおられたようです」
翌日の午後になって、やっと意識を取り戻した信行が言った。
房の中には、清顕と鬼堂、そして岷がいた。信行は続けた。
「清顕卿が余計なことをしなければ、自分は思いを遂げられたのに、と」
そんなことが、あろうはずもないのに。
中務侯爵が正式に訴え出れば、たとえ王が事を穏便に済まそうと思っていても、それなりの沙汰は下る。軽くても官位の剥奪、判官が頭の固い人物なら都からの追放や幽閉ということもありうる。が、行昌はそうは考えなかった。
たとえ官位を失っても、鄙に追われることがあっても、思い人と子供とともに生きていける。いざとなれば、私塾の教師や武道の指南をして日々の糧を得ればいい。
「甘いな」
ぼそりと、鬼堂。
「はい、たしかに。でも菅大夫はそう思い込んでいた。それを覆すことは、私にもできませんでした」
「でもさー、そーゆー事情って、いつわかったのよ。侯爵さまが言うわけないよね」
岷が横から訊ねる。信行は頷き、
「もちろんです。中務家では、緘口令が敷かれていましたから」
「んじゃ、なんで……」
「世の中には、善意と同じ数だけ悪意があるものでしてね」
寂しげに、口の端を上げる。
「私が術者として、それなりの評価を得るようになったころ、ある者がこっそり私と菅大夫を引き合わせたのです」
その男は式部省の役人だった。あとからわかったことだが、その男の息子も術者で、翌年の除目で神祇官の官吏となることが内定していた。が、その時期に信行の実力が王城の者たちに注目されはじめ、男は息子の内定が取り消されるのではないかと邪推した。
このままでは、息子の出世が台無しだ。なにかあいつを蹴落とす方法はないか。
男は必死になって、信行の弱みを探し回った。むろん、一介の役人でしかないこの男にできることは、たかが知れている。交友関係や家系図ぐらいしか調べられなかったが、それでもある事実に気づいた。
信行と坂根の年齢差。親子というには、あまりにも離れている。もっとも、高齢になってからでも子を設ける者は多い。側室の子かと、さらに調べてみると……。
「私が中務家の養子だということと、私が生まれた翌年に富貴姫が出仕したこと。さらに坂根卿と菅大夫の仲がそのころを境に剣呑になったこと。それらから、あの男はひとつの仮説をたてました」
「で、それが大当たりだったってわけ? できすぎじゃん」
岷はあきれたように言った。
「そーんなアタマがあるんなら、もっとべつのことに使えばいいのに」
たしかに、そうだ。
善意と同じ数だけ、悪意がある。信行はその悪意のために、行く道を間違えてしまったのか。
間違い続きの人生を歩んできた自分が言うのもなんだが、気の毒なもんだぜ。
「菅大夫に、会わなければよかったのかもしれません。けれど、両親のことで話があると言われて……」
養子だということで、なにかと詮索してくる者もいた。勝手な憶測をさも本当のことのように言う者もいた。そのどれが真実なのか、知る術はなく。
「菅大夫は清顕卿が、女人を献上していまの地位を築いたと言いました。その女人というのが私の母であると」
清顕がよかれと思って為したことが、はてしなく誤解されてしまった。
清顕は和王の意志を伝えただけ。そしてそれを容れて、娘を出仕させたのは坂根である。
出仕だけなら、よかったんだろうな。
聞いたところによると、富貴は奥侍女として出仕したのち、王の側近くに召されて一女を設けている。出仕前の事情もあって妃として遇されてはいないが、後宮の取締役となり、女官としては最高位にいるらしい。
富貴のその後が、行昌をさらなる妄執にかりたてたのかもしれない。
行昌はそのころすでに、春日家に争いの種を撒いていた。清興と顕良の対立を煽り、共倒れさせようと。信行はその渦中に引き摺り込まれてしまったのだ。
「いまとなっては、愚かであったと思います。菅大夫を……父を止めることもできず……」
信行は清顕に向かって頭を下げた。
「もはや、この命をもって償うしか道はございません。どうか……」
「ならぬ」
清顕は言った。
「二度も救われた命を無駄にするか」
岷が破砕術を抑えたことを言っているのだろう。それがどれほど大変なことか、信行にもわかっているはずだった。
「お館さま、失礼いたしまする!」
そのとき、戸口に人影が現れた。清興である。
「たったいま、御上よりお文を賜りました」
清興は清顕の名代として使者を迎えたらしい。清顕は文を受け取った。一読して、頷く。
そこには、物の怪の調伏をねぎらう言葉と、信行たちの処遇について書かれてあった。いわく、行昌については護国寺の薬石院に収容、子爵家は嫡男が引き継ぐこと。そして信行には、宗の国への留学が言い渡された。
「え……」
信行は顔を上げた。
「留学とは、なにゆえ……。私は謀(はかりごと)に加わり、騒ぎを起こした張本人ですのに」
「事を公にせぬということじゃ」
昨日、八束が話していた事情を告げる。
「わしもこたびのことでは、責任を感じている。が、その責任をとる方法は、なにも罰を受けるだけではあるまい。そなたもわしも、これから御上に精一杯お尽くし申し上げることが、なにより必要なのではあるまいか」
「し……しかし、私は……」
「おとうさまのおっしゃる通りですわ」
あいさつもなく房に入ってきたのは、まひるだった。どうやら清興を追ってここまで来て、話を立ち聞きしていたらしい。
「おとうさまだけでなく、畏れ多くも御上までが、信行さまにこれからも和の国のために働くよう仰せなのですよ。それのどこが不服なのです」
「不服だなどと申しておりません。私はただ……」
「ならば、つつしんで拝するのが臣たる者の務めでしょう。それとも信行さまは、御上に逆らい謀叛人となって果てるおつもり?」
まひるは涙声になっていた。
「許しません、そんなこと……信行さまが死ぬなら、わたくしも死にます!」
「げ……」
いきなりの爆弾発言に、鬼堂は息を飲んだ。
「姫さま、それってプロポーズ?」
どひゃー、と大袈裟に驚いている岷の横で、清興は口をぱくぱくさせて固まっている。
「まひる」
対照的に落ち着いているのは、清顕だった。
「はしたない真似はやめなさい。おまえの気持ちはわかった。あちらで休んでいなさい」
「おとうさま、でも……」
「信行どの」
清顕は信行を見据えた。
「わが娘に恥をかかせるおつもりか」
やっぱり、親子していい性格だぜ。鬼堂は心の中で呟いた。ここんちのやつらは、みんなとんでもねえよ。あいつだって……。
「……いいえ」
清顕の言葉に、信行は居住まいを正した。
「何事も、御上の仰せのままに」
「それはめでたい」
清顕はまひるを促した。まひるは黙って頷き、来たときとは別人のような足取りで房を出ていった。
こののち、まひるは菅家の嫡男との婚約を解消し、新たに信行と婚約することになるのだが、それはまだまだ先の話。
ともかくは、やっと仕事を完了した鬼堂たちが春日家を出たのは、そのさらに翌日。年の瀬も年の瀬。大晦日のことだった。
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