たまゆら by 近衛 遼 第二十三帖 「菅大夫と信行卿は?」 清顕は訊ねた。八束は顔を上げて、 「西の対屋に結界を張り、それぞれ術者を見張りに付けてお籠めしております。万一のことがあってはなりませんので、多少不自由な状態にさせていただきましたが……」 自害などされぬよう、拘束しているらしい。清顕は頷いた。 「今後のこと、明日にも御上の採決があろう。上人さまにも、くれぐれもよしなにお伝えあれ」 「承りました」 八束は再度、拝礼した。 「桐野」 清顕は近侍として仕えていた青年の名を呼んだ。 「は」 桐野が丁寧に礼をとる。 「これを、御身に」 清顕は手首に巻いていた数珠を外して、差し出した。 「こたびの役目、ご苦労であった」 「もったいのうございます」 桐野は動かなかった。八束が代わって、数珠を受け取る。 「兵部どののお心、しかと」 八束は清顕を役職名で呼んだ。 「兵部……のう」 頬を歪めて、清顕。 「その名も、あとわずかであろう」 「なにを仰せになる」 八束は居住まいを正した。 「御上の春日家に対するご信頼は、いささかも揺らぐことはございませぬ。なればこそ、こたびも事を内々に納めようと……」 「それでは、示しがつかぬ」 「なりませぬぞ」 きつい口調で、八束は言った。 「御上のご意志に逆らうようなことあらば、未来永劫、春日の名は絶たれると思われよ!」 ぴしりと言い切り、八束は立ち上がった。 「出水(いずみ)!」 「……はっ」 雷に打たれたように、桐野が座を改めた。どうやら、桐野というのは姓であったらしい。 「参る」 「御意」 八束が房を出ていく。そのあとを影のごとく、出水と呼ばれた桐野が従った。 ふたりの気配が消えたあと、清顕は深く息をつき、かぶりを振った。 「……ならぬか」 世を騒がせた責を負うことも許されず、このまま春日の家を支えていかねばならぬ。その重さは、相当なものだろう。 雨音が房を包む。鬼堂たちはしばらく黙したまま、その場に座していた。 どれくらいの時が流れただろうか。扉の向こうに、幾人かの気配がした。 「お館さま、清興にございます」 声とともに扉が開いた。いらえを待たずに、中に入る。 「失礼いたしまする! たったいま、菅大夫が所業、聞き及びました」 夜更けには不似合いな大声で、清興は続けた。 「これまでのあれこれは、やはり顕良とはなんら関わりのないことで……きさまら、ここでなにをしおるかっ」 鬼堂たちの存在に気づき、清興は語を荒げた。 「お館さまの警護は、子飼いの者どもが役目。その方らの出る幕はないわ!」 あいかわらずのイノシシだぜ。鬼堂は心の中で嘆息した。 「清興」 重々しく、清顕が言った。 「控えよ。この者らの働きがなければ、こたびの一件、明らかにはならなんだ」 「え……それは、いかなる仕儀にて……」 清興は父である清顕と鬼堂たちを見比べた。 「詳細はまたいずれ。ただ、そなたの申す通り、これで顕良もそなたも邪心なきことが証明された。父として、これほどうれしいことはない」 「父上……」 清興は唇を震わせた。眉根がいまにも泣き出しそうに寄せられた。 「われは……われはいままで、もしかしたら顕良が春日の家をと……」 「言うでない」 清顕は息子の言葉を封じた。 「それは過去のことであろう。過ぎたことは、時の墓場に葬るがよい」 「その通りじゃ」 戸口から、女人の声がした。清顕の正室、讃良である。そのうしろには、まひるの姿もあった。 春日家御一行様かよ。鬼堂はそろりと一同を窺った。やっぱり、いちばん緊張感のないのは姫さんだな。 まひるは讃良を支えるように寄り添っていたが、大きな目でゆったりとあたりを見回している。 「われらは、あまりにも遠回りをしすぎた」 讃良の声は、以前、渡殿のちかくで会ったときより弱々しい印象だった。 「お館さまも妾(わらわ)も、すべて春日の家を思うがゆえに為したことであった。されど、それがこうも深き谷間に沈むとは……」 「母上、いったいなにを仰せになられます」 清興の問いに、讃良はちらりと鬼堂たちを見た。 「讃良」 清顕が小さくかぶりを振る。讃良は頷いた。 「さようでございますね。この者らは、あの子が選んだ者たちですもの」 口調まで、やわらかくなっている。 もっとも、これが讃良の本来の姿であるのかもしれない。顕良が「母代(ははしろ)」と呼んだ人なのだから。 「清興」 讃良は息子の名を呼んだ。 「はい」 「顕良は、妾が望んだ子であった」 「は?」 「それゆえ、わが名から一字を取って『顕良』と……」 皆まで言えず、讃良はその場に崩れた。まひるが背中をやさしく撫でる。 「母上、それはいったい……」 「清興おにいさま」 まひるはそっと口をはさんだ。 「おかあさまのお悩み、お察しくださいまし」 「……よいのです、まひる」 讃良はぎゅっと唇を結んだ。大きく息をついて、続ける。 「あの子は、妾の子じゃ」 「え……でも、顕良は名賀古(ながこ)どのの……」 名賀古というのは清顕卿の側室で、顕良の生母であるらしい。 「名賀古は、妾の代わりに顕良を産んでくれた」 「代わりに?」 「しかり。妾の願いを容れて、お館さまのもとへ参った」 「そ……それは、いったいどういう……」 「すべては、薬師の見立て違いが原因であった」 ぎゅっと目をつむり、讃良は言った。 春日家のために。ただそれだけを願ったために。歯車ははてしなく、狂っていったのか。 「もはや子は望めぬと、薬師に言われた」 第一子である清興を、難産の末に産んだあと。 「おやや(赤子)が無事に生まれただけでも万にひとつの幸運じゃと言われて、それも仕方ないと、あきらめるしかなく……」 こののち、自らいのちを生み出すことがかなわぬならば、自分の代わりに春日の家を支えるいのちを授けてくれる者を探そう。それが正室としての自分の務め。そう讃良は思った。そして。 大江名賀古。嫁ぐ前から仕えてくれていた古参の侍女に、その役目を託したのだ。 「できませぬ」 名賀古は言った。 「わたくしには、お方さまを裏切るような真似は……」 「なにが裏切りか」 讃良は糾した。 「妾が望みぞ。それをきけぬということこそ、裏切りではないか」 讃良は追いつめられていた。だからこそ、強権的にたたみかけるしかなかったのだ。結果、名賀古は清顕の側室になり、顕良を産んだ。が、その直後。 讃良は懐妊した。 ありえないことだった。薬師は断言したのだ。もはや子を為すことはないと。 「おめでとう存じます」 懐妊を確認すると、薬師は満面に笑みを浮かべて言った。 「これも神仏のご加護と、お方さまとお館さまとの縁深き証しでござりましょう。いや、なにはともあれ、まことに喜ばしい」 その言葉は本心であったのかもしれない。しかし、讃良にはそれこそが「裏切り」であった。 翌日、春日家おかかえの薬師がひとり、南方の小島に流された。その後の消息は、いまだ不明である。 翌年、まひるが誕生した。 讃良が次子を産んだことは、名賀古にもわだかまりを与えたらしい。その後しばらく、讃良と名賀古は連絡をとらなかった。が、顕良が七歳になったころ。 「顕良は春日の子じゃ」 讃良はそう言って、顕良を春日の本宅に引き取った。 そのとき、名賀古と讃良のあいだにどんなやりとりがあったのか、いまではもう知る術もない。が、名賀古は顕良に「お方さまを母と思うて、かわいがっていただくように」と言いかせていたらしい。 『お方さまは、ぼくの母代だよ』 顕良の言葉が思い出される。 「母上……」 清興は一連の事情を聞き終えて、言った。 「われは、悔しゅうございます」 ほろり、と、漆黒の瞳から涙がこぼれた。 「そのような経緯、もっと早くに知っていればと……」 「すまぬ」 横から、清顕が言った。 「名賀古が急逝したことで、あらぬ噂がたってしもうて……。それを駆逐するまではと思うていたが、結局それが、さらによからぬ企てを招いてしもうた」 名賀古の早世は、単純に流行り病によるものであった。が、それが、讃良が顕良を引き取った直後であったため、いろいろな憶測が乱れ飛んだ。その後も春日家の継嗣に関する醜聞はあれこれあって、いまに至っている。 「父上」 清興が、きっぱりと顔を上げた。 「雲海山に参りましょう」 「清興……」 「あやつを迎えに」 ぐっ、と拳を握って、言い切る。 「……そうじゃな」 清顕が、ふっ、と頬をゆるませたとき。 「あーーーーっっ!!」 それまで、鬼堂の陰に隠れるようにしていた岷が大声で叫んだ。 「なっ……なんだ?」 鬼堂が振り向く。 「やばいよ、鬼堂ちゃんっ! 先生が、破砕術を……」 「破砕術!?」 鬼堂は飛び上がった。 「冗談じゃねえぞ。術者が見張りについてんじゃねえのかよっ」 「あー、えーと、だから、外に向けてじゃなくて、中に向けて術を……あー、もう、間に合わないかもっ」 思いっきり、岷がパニックっている。 中に向けて、だと? てこたぁ、ほとんど全部完璧に、自爆覚悟ってことじゃねえか。 「馬鹿野郎っ! なにがなんでも、間に合わせろ!」 鬼堂が叫んだとき。 「信行さまっ!!」 まひるが、岷を突き飛ばすようにぶつかった。 「うわっ……姫さま、それはヤバイってーーーっ」 雪崩のような状態で、叫ぶ。 思いっきり尻餅をつきながら、岷は口呪を波動に乗せた。 |