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たまゆら by 近衛 遼
第二十四帖
「あんたらは、ここにいてくれ!」
まひるを追って外に出ようとした清顕たちに、鬼堂が叫んだ。
向こう見ずな姫さんだけでも大変だってえのに、このうえイノシシ野郎や倒れそうになってるおふくろさんにまで付いてこられちゃ迷惑だ。清顕卿は例の憑依の術からして、かなりの術者ではあろうが、なんといっても春日家の現当主。万一のことがあってはならない。
「そ。あとはオレたちにまかせてねーっ」
とりあえず、破砕術の第一波は抑え込んだらしい。いくぶん余裕の出た岷が、一同にウィンクを投げた。
「きさま……」
清興が何事か言いかけたが、清顕は片手を上げてそれを制した。
「承知した。……頼む」
低い声。鬼堂はしっかりと頷いて、渡殿の欄干を乗り越えた。雨の中、庭に下りる。岷もそれに続いた。
まひるは外廊下を回っていった。庭を横切れば、西の対屋に先回りできる。
「どんな具合だ?」
信行の状態は。
「だーいぶ弱ってるけど……」
波長を探りながら、岷。
「けど?」
「まだ、自分で自分の始末をつけるぐらいの力は残ってそうだね」
「そりゃ厄介だな」
こんなことなら身体的な拘束だけでなく、意識も奪っておいた方が確実だったのではあるまいか。あの八束とかいうお公家さんも、見通しが甘かったぜ。
鬼堂は敷石から簀の子縁に上がった。どうにか間に合ったらしい。西の対屋に続く渡殿で、まひるは衛士と押し問答していた。
「おどきなさい! わたくしをだれだと思っているの? これ以上無礼な振る舞いをするなら、春日の家から放逐しますよ!」
常のまひるからは想像もできない、激しい物言いだ。
「なーんか、血は争えないってカンジ?」
岷がため息まじりに言った。
「たしかにな」
衛士を叱責している様子は、清興が鬼堂の部屋に乗り込んできたときと、よく似ていた。鬼堂は渡殿に進み、
「姫さん」
横から声をかける。まひるは、はっとして視線を移した。
「鬼堂さま……」
「信行卿のことは、心配するな」
「でも、さきほど破砕術と……。もしや、もう信行さまは……」
「だいじょーぶ」
岷が左手を上げて、言った。
「術の波長を拾って、ストップさせたから」
「本当ですの?」
「ほーんとほんと。だから、安心してよねー」
岷の言葉に、まひるの緊張がゆるんでいくのが傍目にもわかった。
「で、オレたち、これから結界の補強をするからさー。悪いんだけど、素人に側にいられるとやりにくいのよ」
あいかわらず、うまいこと言いやがる。
鬼堂はちろりと相棒を見遣った。じつは「補強」などではなく、信行がさらに術を発動させないよう、封じこめに行くのだが。
「……わかりました」
まひるは頷いた。裾を捌いて一礼する。
「ではわたくしは、おとうさまやおかあさまとご一緒に、あちらでお待ちしておりますわ」
ふだんの口調でそう言って、まひるは踵を返した。衛士がそのあとを追っていく。その姿が見えなくなるのを待って、
「……んじゃ、行くか」
「そだねー」
左手をさすりながら、岷が答えた。鬼堂は唇を一文字に結んで、西の対屋に入った。
八束が信行の監視に配置していた術者は、相当に疲弊していた。先刻、信行が破砕術を放とうとしたときのエネルギーは、周りを取り囲んでいた結界にも影響を及ぼしたらしい。封印結界のあちこちに、ほころびが見え始めている。
「はいはい、ごくろーサン」
岷はその術者を下がらせた。
「ここはいいから、本殿の防御、よろしくねー」
信行が強制的に術を上乗せした場合、結界が暴走する危険がある。術者が本殿へ渡っていったのを確認してから、岷は複雑な印を組み出した。
「鬼堂ちゃん、ちょっと離れてて」
「はあ? どういうことだよ」
「部屋ん中の結界、いったん全部、外すから」
「なっ……なに馬鹿なことを言ってやがる!」
鬼堂は叫んだ。そんなことをしてみろ。かろうじて抑えられている信行の力が噴き出して、建物ごと破壊してしまうかもしれない。
「時間がないのよ。さっきの破砕術をオレに止められちゃったんで、先生も焦ってるからね」
岷はいままで見たことがないほど真剣な顔で、続けた。
「次はきっと、遮蔽結界張ってから爆砕する気だよ。そうなる前に、囲いを取っ払って圧力下げなきゃ」
封じられた空間では、わずかのエネルギーでも膨大な威力を発することがある。それを避けようというのか。たしかにそれも一理あるが、そうすると被害が外に広がるおそれがある。
「伯爵さまには悪いけど、この部屋は諦めてもらうしかないね」
「おまえなあ……」
「オッケー、印はカンペキ。……行くよ」
口呪が次々と唱えられる。栗色の目が、一瞬、光ったように見えた。直後。
『解!』
岷の左手が横に振られた。パン、と弾けるような音がして、結界が消し飛ぶ。中からすさまじい熱量の「気」が溢れた。
「くっ……!」
鬼堂は簀の子縁から庭に飛ばされた。なんとか受け身をとって立ち上がる。その真横を、かまいたちのような烈風が吹き抜けた。
房の扉が派手な音をたてて破れ、雨に濡れた庭石の上に飛んできた。ぽっかり開いた戸口の向こうに、黒い人影が見える。
影は動かなかった。床に突っ伏した状態で、ぴくりともしない。
「信行卿!」
鬼堂はふたたび、簀の子縁に上がった。戸口の横に座り込んでいた岷が、
「生きてると思うよ〜」
いまにも倒れそうな様子で、言った。
「なーんとか、先生が術かけるタミイングに合わせられたからねー」
「岷……」
信行がふたたび破砕術を使う頃合を見計らって、封印結界を外す。その反動でベクトルの狂った術を外に逃がして、中和する。さらに信行の意識レベルを下げて、反撃を抑える。
それだけのことを、同時にやったのか。鬼堂はあらためて、おのれの相棒の底力に驚嘆した。
「優秀なんてもんじゃねえな」
「へ? なによ、それ。オレは超超超・超〜優秀な……」
「天才だよ。おまえは」
「超」なんて付ける必要もないくらい、な。
鬼堂の言葉に、岷は満足げに笑って左手を差し出した。
「愛してるよ、鬼堂ちゃん。あ、もちろん晴ちゃんの次に、だけど」
「そりゃ光栄だな」
鬼堂は岷を引っ張り起こした。ふたりして、房に入る。
「これで、ほんとーに一件落着だよね」
「そうだな」
今度こそ、本当に。
房の中央に横たわる信行を見遣って、鬼堂は大きく息をついた。
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