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「……まことですか」 その日の夕刻。南庭の四阿で、桐野は言った。 「本当に、菅大夫が……」 「ほんとだって。ね、鬼堂ちゃん」 今回は岷も同席している。 「ああ。もっとも、実際にあの二人が密談をしてたかどうかはわからねえ。宿ん中に探りを入れてみたんだが、うまくいかなくてな」 あのあと、岷がこっそり旅籠に忍び込んだのだが、結局、信行たちを見つけることができなかった。おそらく、信行が厳重に結界を張っていたのだろう。信行と同じ波長の結界を張れるようになっていた岷にもわからなかったのなら、かなり複雑な組成の遮蔽結界だったと思われる。もしかしたら、以前言っていたように三重の結界を張っていたのかもしれない。 「わかりました。さっそく、お館さまに報告いたします。今後のことは、また後刻」 「わかった。待ってるよ」 「では」 桐野は目礼して、四阿を去った。 「さすがの伯爵さまも、子爵さままでは疑ってなかったみたいねー」 桐野の様子を見て、岷が言った。 「そりゃそうだろう。義理の弟だからな」 「あらあら。親兄弟が骨肉の争いをしてるとこ、いーっぱい見てきた人間の言葉とは思えないねー」 たしかに、それはそうか。鬼堂は苦笑した。 「この家には、そういうことはないと思ったんだよ」 「えー、だって、あの若君と若さまは……」 「べつに、本人たちがいがみ合ってるわけじゃないだろう。ありゃたぶん、周りがあれこれ手を出しすぎるからじゃねえか」 「うーん。まあ、それはそうか」 岷はうんうんと頷いた。 「そういえば、お局さまがここんちのお方さまを非難するようなこと言ったときも……」 『お方さまは、ぼくの母代(ははしろ)だよ』 きっぱりと、顕良はそう言った。ふだんはおっとりと穏やかな口調の顕良が、そのときは驚くほど毅然としていた。 「伯爵さま、どうするかなー」 「さあな。いずれにしても……」 事実を明らかにせねばならない。顕良や清興の暗殺未遂と、物の怪騒ぎ。それらが菅子爵とどう関連しているのか。 「岷」 鬼堂は赤毛の相棒を見遣った。 「なによ」 栗色の目を光らせて、答える。 「なんか、面白いこと考えついたみたいね」 「ああ。おまえ、『超・超・超〜優秀』だったよな?」 「うーん、先生にイロイロ教えてもらったから、『超超超・超〜』ぐらいかな」 「超」がひとつ増えている。 「じゃ、物の怪のひとつも出してもらおうか」 「へ?」 「思いっきり、派手にな」 鬼堂はにんまりと笑って、とある計画を話し出した。 夜半。 春日家の東北の対屋ですさまじい悲鳴が上がった。宿直(とのい)の侍女が転がるように表に出てきた。 「たれかっ……たれかある! 物の怪じゃ! 物の怪が戸を打ち破って中に……早う、たれかっ!!」 続いて、女衛士が小柄を手に飛び出してきた。顔色は真っ青だ。 「姫さま、こちらへ!」 もうひとりの女衛士に支えられて、袿をかぶったまひるが縁に現れた。足早に本殿へと向かう。周りの混乱とは裏腹に、その足取りは妙に落ち着いていた。 こりゃだいぶ肝っ玉のすわった姫さんだぜ。 物陰から様子を窺っていた鬼堂は、まひるの様子を見てそう思った。 『そろそろ、ユーレイさんたち消していいかな』 横から岷が訊いた。 『ああ。いま先生が来たら、おまえの仕業だってバレるからな』 『そだねー。おんなじ波長の幻術だから』 岷は解除の印を組んだ。東北の対屋を包んでいた妖気が引いていく。 騒ぎを聞きつけた外回りの衛士たちが対屋に到着したときは、物の怪の気配はどこにも残っていなかった。 あのあと、ふたたび桐野と繋ぎをとったとき、鬼堂はもう一度物の怪騒ぎを起こすことを提案した。 「兵衛府参議が取っ捕まって、あちらさんはほっとしてるだろうからよ」 「なるほど。たしかに、またぞろ当家に物の怪が現れたとなると、慌てるでしょうね」 桐野は頷いた。 「わかりました。その件はわたくしからお館さまに言上しておきます」 「……伯爵の指示を仰がなくていいのかよ」 「事は急を要します。菅大夫は近々、御上(おかみ)の『十席』を拝することが内定しておりますので」 「十席」とは、御前会議のときに王命に対し、直に意見を述べる資格のある家臣のことで、王の側近中の側近と言えた。 「ありゃりゃ。それじゃ、早いとこ子爵さまの尻尾を押さえないとねー。『十席』が物の怪騒動の黒幕だなんて、シャレになんないよ」 「その通りです」 「じゃ、さっそく仕掛けていいんだな」 「はい。ただし、本殿と北の対屋は避けてください」 要するに、清顕卿と正室の寝所付近はやめとけってか。 「若君や姫さんはいいのかよ」 「ほどよく騒ぎを大きくするには、よろしいかと」 薄く笑って、桐野は言った。 やっぱり食えねえ男だな。まあ、もともとはここんちの家臣じゃなかったわけだから、それも不思議ではないか。 「わかった。じゃあ……どこにする、岷?」 「そりゃ、姫さまんとこでしょ」 「……なんでだよ」 「だーって、あのイノシシみたいな若君なら、パニックって物の怪相手にも真っ向から切りかかっていきそうじゃん。お付きの人とかに死人が出たらやだもんねー」 たしかに、それはそうかも。女どもを恐がらせるのは気が引けるが、この際、多少のことには目をつむろう。 「では、まひる様のご寝所あたりということで」 桐野が確認した。 「ああ。日付が変わったら、東北の対屋に入る」 「承知しました。衛士の配置等、調整しておきます」 こっちが動きやすいように、操作してくれるらしい。 「では、わたくしはこれにて」 房を辞そうとした桐野に、岷が急に思いついたように、 「あ、待って待って。おにーさんも今夜、東北の対屋に来る?」 「はい、たぶん。事の次第を見極めねばなりませんから」 「だったら、一応……」 岷が桐野の胸のあたりに手をかざす。これは「幻術崩し」だ。他人の幻術の影響を受けないようにする、高等解術。 「せっかくですが」 すっ、と、桐野は身を引いた。 「ご心配にはおよびません」 「え、でも……」 「失礼いたします」 きっちりと礼をして、出ていく。岷は呆然としてそれを見送った。 「……鬼堂ちゃん」 「なんだ?」 「あいつ、とんでもねーやつだよ」 「んなこたぁわかってるよ。前々から曲ものだって言ってるだろうが」 「それだけじゃなくてさー。あいつ、もしかしたら先生とおんなじぐらい、いろんな術使えるかもよ」 「はあ?」 「幻術ん中に入って、それでも大丈夫ってことは、術が届かないほど強力な防御結界を張れるか、それこそ『幻術崩し』が使えるかのどっちかだもん」 「……なるほどな」 「なーんか、自信なくすよなー。先生だけじゃなくて、あんなヤツまで出てきちゃって」 岷が盛大にため息をついた。 「ま、世の中にはいろんなやつがいるってことだろ」 鬼堂は相棒の背中をどん、と叩いた。 「んなことより、今晩はしっかり働いてもらうぜ。しくじんなよ」 「はいはい。もらったカネの分は、ちゃーんとやるよん」 こうして、ふたりは二度目の物の怪騒動を演じたのだった。 『これで、動くかな』 岷が遠話で問うた。 『さあな。先生次第だろ』 『見破られたら、アウトだけどねー』 自称「超超超・超〜優秀」な術者は、少し弱気になっているらしい。 『……来たな』 渡殿を渡ってくる信行の姿が見えた。こころなしか緊張しているようにも窺える。そのすぐうしろには、桐野。 「まひる様はご無事か」 信行が外回りの衛士に訊いた。衛士が何事が答えると、信行はそのまま本殿へと向かった。桐野がちらりとこちらを見遣る。遮蔽結界を張っているのに、どこにいるのかわかったらしい。 『うわー、オレやっぱり、あいつ苦手〜』 岷が情けない声で言った。 信行が外廊下を曲がっていく。その後ろ姿を見送りながら、鬼堂は次の展開を考えていた。 |