たまゆら  by 近衛 遼




第十八帖

 翌朝。鬼堂たちは清顕卿に召されて本殿に上がった。今回の件についての労いの言葉を受ける。
 鬼堂は清顕卿のうしろに控えている桐野に視線を投げた。信行に関する推測を、清顕に伝えねばならない。桐野は鬼堂の合図に気づいたらしく、なにごとか清顕に進言した。清顕はゆっくりと頷き、
「その方らも、せっかく都に出てきたのじゃ。大路の見物などして帰るがよかろう。いましばらくの逗留を許す」
 言い置いて、立ち上がる。鬼堂たちは両手を額に当てて礼をとった。これで、もう少しここにいる口実ができた。
 清顕が広間を出ていったあと、桐野が扇を広げて鬼堂の前にやって来た。
「お館さまから、御身に」
 扇の上には、数枚の金貨。
「ゆるりとお楽しみあるようにとの仰せです」
「……つつしみまして」
 とりあえず、作法に従い受け取る。と、そのうちの一枚に、小さく文字が書かれてあった。
『日入、四阿』
 桐野が薄く笑んでいる。鬼堂は金貨を懐に仕舞った。
「お館さまのご温情、ありがたく拝しまする」
 だいぶ、板についてきたよな。この類の台詞は大の苦手だったんだが。
 深々と頭を下げる鬼堂の前で、桐野はぱちりと扇を閉じた。
「されば、これにて」
 すっ、と身を翻し、戸口へと向かう。その姿が消えたのち、鬼堂はようやく顔を上げた。横では岷が、したり顔でこちらを窺っている。
「鬼堂ちゃんもオトナになったねえ」
「うるせえ」
 金貨を赤毛の相棒に投げる。
「うわっ……なにすんのよー」
「やるよ」
「へっ?」
「やるって言ってんだよ。……ああ、ちょっと待て」
 文字が書かれた金貨は回収する。
「あとは、やるよ」
「鬼堂ちゃん、今回、気前よすぎよー」
 てのひらで金貨を弄びつつ、岷は言った。
「ゲンナマより若さまってワケ? いやあ、もう、たまんないねーっ」
「……要らねえんだったら、返せ」
 ぎろりと睨むと、
「いや、その、ありがたくいただきまーす」
 岷は慌てて金貨を懐に入れた。真面目な顔で、続ける。
「で、鬼堂ちゃん。これからどうする?」
「どうって……」
「一応、『遊び』に行こっか」
 清顕が言ったように、おのぼりさんのごとく都大路を見物して。
「……そうだな」
 どのみち、日の入りまでは桐野と繋ぎを取ることもできないようだし。
 岷がこれみよがしに鬼堂の袖を引いた。どうやら、昨夜の続きを演じているらしい。鬼堂はため息をつきつつ、それに従った。


 年の瀬とあって、大路は常にも増して賑わっていた。地方から都に出稼ぎに来ている者などは、正月に帰省するため、家族への土産を買い求めている。
 大路は大きく分けて四つの通りがあり、北町通りは貴族の屋敷や老舗の商家が多く、南町通りは遊郭や賭場や、庶民的な遊興の場が多かった。また、西町通りは昔ながらの長屋や商店街が並び、東町通りは茶の湯や舞踏や謡いなどの芸事を生業とする者たちが住んでいた。
 むろんそのほかにもいくつもの小路があり、それぞれに独特の佇まいを見せている。鬼堂たちは、そのうちのひとつの小路をそぞろ歩いていた。
「たしかこのへんに、なかなか粋な小間物屋があったと思ったんだけど……」
 どうやら、厨女の晴に土産を買うつもりらしい。
「晴ちゃん、すっぴんもかわいいけど、紅のひとつも差せばもーっとキレイになると思うんだよねー」
 うきうきと、言う。
「ま、あんまりキレイになりすぎて、ほかのやつに目ぇつけられても困るんだけど……あ、あったあった。あそこだよ。行こ行こ、鬼堂ちゃん」
 べつに俺は、買うものなんかねえんだが。心の中で呟きながら、鬼堂は岷に続いた。
 「松葉屋」という屋号のその小間物屋は、間口は狭いが中は意外と広かった。それほど高価なものは置いていないが、凝った細工の簪(かんざし)や美しい染めの風呂敷や袋物など、職人の心が伝わる品々が並んでいる。
「うーん、どんな色がいいかなー。やっぱり薄い方がいいよね」
 岷は、美しい貝道具に納められた紅を真剣に吟味している。
「あ、こっちの匂袋もいいなー。えーい、両方とも買っちゃえ」
 懐が温かいせいか、気前よく岷は言った。奥からそ知らぬ顔で、しかし、しっかりと様子を窺っていた媼が、ゆっくりと近づいてきた。
「おいでなさいまし。どれにいたしましょう」
「これとこれ。あ、ついでにそっちの手鏡ももらおうかな」
 かなり舞い上がってるな。あの手鏡は螺鈿細工がしてあるから、結構な値段がすると思うが。
「えーっ、そんなに?」
 岷の声がひっくり返った。やはり、かなりの金額だったようだ。
「ちょっとまけてよ、おばーちゃん。オレ、いまから妻問いに行くのよ。祝儀だと思って、ね?」
 岷が必死に拝み倒している。媼はやんわりとそれを断った。
「そんな大事の前に、出し惜しみはいけませんなあ。それではうまくいくものも、しくじってしまうかも……」
 しみじみとそう言われ、岷も諦めたらしい。懐から巾着を取り出し、言われた金額を払う。媼はそれを受け取り、品物を丁寧に箱詰めした。上から鮮やかな組紐をかける。
「万事めでたく納まりますように」
 最後に媼は、しわだらけの顔にさらにしわを刻んで笑った。品物を手渡し、深々と礼をする。岷もぱっと笑顔になり、
「ありがと、おばーちゃん」
 ぴらぴらと手を振って、上機嫌で店を出る。鬼堂も戸口まで出たが、ふと思いついて、再び店内に戻った。奥に入りかけていた媼に声をかける。
「すまないが、それを……」
「はい? ああ、こちらのお品ですね」
「ああ。いくらだ?」
 媼が値段を告げる。思ったより安かった。すぐに金を払う。
「なに買ったのよ、鬼堂ちゃん」
 店の外で待っていた岷が、興味津々といった顔で訊いた。
「たいしたモンじゃねえ」
「ふふーん、ま、いいけど」
 にんまりと、岷は続けた。
「カオ、赤いよ」
「うるせえ」
 むっとして、言い捨てる。そんなこと、言われなくてもわかってるよ。
 鬼堂が「松葉屋」で購入したのは、柘植の櫛だった。清かな青い露草が描かれたそれは、顕良の長い黒髪を思い出させた。
「もー、鬼堂ちゃんてば、いい加減に素直になんなよ。もうすぐ帰れるんだしさー」
 やれやれといった調子で、岷がため息をついた。
「といっても、先生がどう動くかによっては、もうちょっと長引くかも……あれれ?」
 急に、岷が立ち止まった。
「どうした?」
「いま、そこの角を曲がっていったのって、子爵さまじゃない?」
「子爵って、菅子爵か?」
 兵衛府大夫、菅行昌。春日家とは縁戚関係にある男だ。
「うん。あの横顔、たぶん……」
 岷は小走りに路地まで走った。物陰から様子を窺う。細い小路の奥に、足早に進む人影が見えた。
「見間違いじゃねえのか? なんで菅子爵が、供も連れずにこんなとこにいるんだよ」
「間違いないって。たしかに装束は商家のご隠居さんみたいだったけど……あ、ほら、見失っちゃうじゃん」
 慌てて、岷はその人物の後を追った。仕方なく、鬼堂も続く。
「フツーじゃないことやってるのって、なんかウラがありそうでワクワクするんだよねー」
「奥方に内緒で、女でも囲ってんだろ」
「それならそれで、どんなヒトか見てみたいじゃない」
「物好きだな。他人の妾覗いてなにが楽しいんだよ」
「まあまあ。どうせ夕方までヒマなんだから。あ、やっぱり逢引かな」
 菅子爵と思しき人物は、とある旅籠に入っていった。古いが、なかなかしっかりした造りの宿だ。
「連れ込み宿って感じじゃないけど、まあ、こーゆーとこの方がバレにくいのかもねー」
 あれこれと岷が想像を巡らしていると、その旅籠の入り口に、衛士のような格好をした男がやってきた。ちらりとあたりを窺ってから、中に入る。
「うわ。……どーゆーことよ」
 岷が素早く片手で結界を張る。遮蔽結界だ。
「オレたち……バレてないよね」
「……ああ。たぶん」
 もし向こうが気づいていたら、宿には入るまい。
「なんか、トンデモナイことになってない?」
「そうだな」
 衛士の身なりをした人物。それは。
 昨日まで鬼堂たちとともに物の怪騒動の収拾に尽力していた、中務信行だった。