たまゆら by 近衛 遼




第十七帖

 事は、あっけないほどすんなりと進んだ。
「なんか、アホらしくない?」
 翌日、岷が言った。
「こーんな単純なヤツらのために、オレたちがいままで苦労してたのかと思うとさー」
 清興派を煽っていた人物も顕良派を推していた人物も、鬼堂の偽文をころりと信じたらしく、それぞれ和睦は罠だと主張して強行手段に出るよう動き始めた。それに乗じて、双方に働きかけていた者も兵衛府参議のもとに走り、現場を押さえられてしまった。
「結局、物の怪がどうこうってのも、坊城とかいうお偉いさんの仕業だったワケ?」
「術者は別にいたはずだ」
 信行は言った。
「それは、これからの調べで明らかになるだろう」
 あとのことは兵部の仕事。とりあえず、自分たちの仕事は終わったのだ。鬼堂は夕餉を黙々と食していた。
「残留している妖かしの思念については、私が今後、鎮めていくつもりだ」
 信行は神妙に言った。
「そだねー。あとは先生に任せて、オレたちは引き上げるね。いやー、もう、先生にはイロイロ教えてもらって、ありがとねっ」
 岷が信行に酒を勧めている。信行は杯を受けて、
「こちらこそ世話になった。御身たちのおかげで、こたびの件を納めることができた」
「なーに言ってんの。ほら、飲んで飲んで。今日は無礼講でいいよねー」
 やたらと盛り上がっている岷を横目に、鬼堂はなにかしら腑に落ちないものを感じていた。


 その日はかなり遅くまで飲んでいて、信行の部屋から引き上げるときにはすでに日付が変わっていた。
「おい、しっかりしろよ」
「んー、はいはい。しっかりする〜」
 どう見ても全然しっかりしていない相棒を引き摺るようにして、鬼堂は信行の房を辞した。
「……ったく、こんなになるまで飲まなくてもいいだろうが」
 ぶちぶちと文句を言いつつ、廊下を進む。と、そのとき。
『飲んでないよーだ』
 遠話が鬼堂の脳に響いた。
『オレ、ほんとはザルだもん』
 ぐったりとしたままの岷から送られてくる遠話。その波長は、ごく弱いものだった。
『どういうつもりだよ』
 こちらも同じ波長で返す。
『どういうって……鬼堂ちゃん、ホントにこれで一件落着って思ってる?』
『いや、それは……』
『ふふーん。やっぱり、なんかヘンだって思ってるでしょ』
『そりゃ、まあ……そうだな』
 いろいろと入り組んだ事情があると思われた今回の物の怪騒動が、自分たちがここに来て半月たらずで解決に向かうなど、あまりにも安直だ。
『んじゃ、このまま鬼堂ちゃんの部屋に連れ込んでよ』
『はあ?』
『先生も、そこまでは追っかけてこないと思うし』
 信行が遠隔監視をしているということか。鬼堂は岷を抱き上げた。俗に言う「お姫さま抱っこ」状態である。
『うわ、なにすんのよ』
 岷が身じろぎした。
『“連れ込む”んだろ。おとなしくしてろ』
『なーんか真に迫ってるねえ。若さまにもこーゆーコトやってんの?』
『……落とされたいか?』
『あー、ウソウソ。冗談だってば。いい子にしてまーす』
 いかにも朦朧とした様子の岷を抱きかかえて、鬼堂は自室の扉を蹴り開けた。奥の間の夜具の上に岷を寝かせ、戸口の錠を下ろす。寝所の襖をぴったりと閉め、待つことしばし。
 もそもそと、岷が起き上がった。
「……もう大丈夫か?」
 鬼堂が訊いた。岷はにんまりと笑って、
「たぶんねー。先生も寝たみたいだし」
 先刻までとは打って変わってはっきりとした口調だ。
「もー、だから鬼堂ちゃんも、先生の術の波長を覚えといた方がいいって言ったのに」
「すまん」
 たしかに、考えが足らなかった。最初に四阿で桐野と接触したとき、清顕卿が信行に疑念をいだいていることはわかっていた。それなのに、自分は……。
「あらら、そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。らしくないよ、鬼堂ちゃん」
 栗色の目をくるりと向けて、赤毛の相棒は言った。
「それより、これからのコトだけど」
 ずい、と近づき、話を繋ぐ。
「鬼堂ちゃんは、どこまでやる気?」
「なにがだよ」
「なにって、今回の仕事のことよ。お局さまから頼まれたのは、物の怪騒ぎの収拾でしょ。それだけなら、もう『めでたしめでたし』なわけだけど」
 たしかに、これで大団円とは思えない。なにか、まだ裏にありそうな……。
「ホントんとこまで行く気なら、もうひと波乱あるよ」
「だろうな」
 いずれにしても、物の怪騒動を演出していた術者の割り出しが急務だろう。兵衛府参議の坊城兼平が、そのあたりを自白してくれればいいのだが。
「そんなの、するわけないじゃん」
 岷は断言した。
「なんでだよ」
「だって、知らないもん」
「知らない?」
「そ。参議はいざってときの捨て駒だと思うよ」
「てことは、黒幕は……」
「たぶん、先生じゃないの」
 さらりと、岷は言った。いきなりの結論。鬼堂は相棒を見据えた。
「オレさー、先生からいろいろ術を教わったじゃん」
「ああ」
「で、わかったんだよねー」
「なにが」
「あの波長って、オレが最初にここんちに来たとき、幻術をしかけてきたヤツと同じだって」
 顕良の文遣いとして、密かにこの屋敷に入ったとき。
 岷は幻術によって迷路のような空間に入り込み、なかなかそこを脱することができなかった。ついには憑依の術を使い、清顕卿の侍女の姿を借りて、ようやく顕良の文を届けることができたのだった。
「あのときってさ、まだ物の怪騒ぎが起きる前で、先生はここんちに来てなかったはずなんだよね」
「てことは、つまり……」
「先生も、こっそり屋敷内に侵入してたってことよ。で、そこにオレが入ってきたんで、幻術しかけて追い返そうとしたんじゃないかな」
 物の怪騒動の前に、すでに春日家に潜入していたということは。
「ま、『黒幕』っていうのはちょっと違うかもしんないけど、かなーりワケありだってことは間違いないよね」
 だとすれば、今後の動きを徹底して監視する必要がある。このことは、明日にでも桐野を通じて清顕卿に報告しなくては。
「で、鬼堂ちゃんはどうすんの」
 再度、岷が訊いた。
「……中途半端は性に合わねえな」
 鬼堂が答えると、
「あは。やっぱりね」
 くすくすと笑って、岷はどさりと夜具に横たわった。
「じゃ、今日んとこはしっかり睡眠取らないとね。おやすみ〜」
「おい、そこは俺の寝床だぞ」
「えー、だって、いまから自分とこ帰ったらヘンじゃんか。予備の蒲団、出してきたら?」
「おまえなあ……」
「なんなら一緒に寝る? あ、でもオレ、そっちの相手はヤだからねー」
 馬鹿野郎。こっちだって、おまえとなんてご免だよ。
 思い切り脱力感を感じつつ、鬼堂は予備の夜具を引っ張り出した。部屋の端にそれを敷き、ごろりと横になる。
 岷はすでに寝息をたてていた。なんともお気楽なやつだが、この切り替えの早さもひとつの才能だろう。
 明日には、きっちり方を付ける。中務信行。その真意の程を見極めて。
 鬼堂は刀を抱いたまま、夜の明けるのを待った。