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たまゆら by 近衛 遼
第十五帖
それから五日。
鬼堂は屋敷内の様子を探り、岷は「先生にイロイロ教えてもらうから〜」と、信行の従者のようになって兵衛府や式部省にまで出かけていった。
外見はともかく、立ち居振る舞いは中務家の侍者として恥ずかしくないものがあるらしい。黒髪黒眼が主流の和の国にあっても、いまの御門(和王)は他国の人間も多く登用していて、都にはさまざまな国の民が居住していた。中務家の臣に赤毛の人間がいても、さほど不自然ではなかったのだろう。
「今日はねー、図書寮でやたらとハイテンションなおっさんに声かけられて、最近の若者の言葉の乱れについて一席聞かされちゃったよ。おかげで、神祇官の役人は十中八九シロだってわかったけど」
すでに合議の場と化している夕餉の席で、岷はそう言った。信行も頷く。
「錦織男爵はおよそ裏表のない人物だ。それに、どちらかというと世情に疎いかただからな」
錦織徳麿(にしきおり とくまろ)。御門に書や歌の講義もするという、高位の文学者である。
そういう人物から得た情報であれば、信用度が高いというわけか。もっとも、それゆえに、なんらかの情報操作がしやすいという一面もある。
錦織男爵によれば、神祇官の高官であるその男は、近々辺境に古文書の収集に赴くと言う。そんな輩が、春日家をどうこうしようとは思うまいが……。
「ウラを取った方がいいんじゃねえか?」
鬼堂が言うと、
「むろん、そのつもりだ」
信行はあつものの椀を置いた。
「それは岷どのにまかせよう」
「へっ?」
いま食べたばかりの生麩を喉に詰まらせたのか、岷が目を白黒させた。
「……おい、ちったあ落ち着いて食え」
岷の背中をばんばんと叩きつつ、鬼堂。岷はようやく生麩を嚥下したらしく、涙目で相棒を見遣った。
「あのねえ、鬼堂ちゃん。オレはべつに、餓鬼みたいにがっついてたわけじゃなくて……ちょっと先生、そんな話、聞いてないよっ」
かなりマジだ。前回、春日家に忍び込んだときのことが、相当こたえているらしい。「前門の虎、後門の狼」と言っていたのは、言葉の綾ではなかったようだ。
「潜入に際しては、防御結界、遮蔽結界、さらにその上に目くらましの結界。これだけ張れば完璧だ」
「結界、三つも張れっての? そんなのムリだよー」
めずらしく弱気な声だ。いつも、どこに根拠があるんだと言いたくなるほど自信満々なのに。
「完璧だ、と言っただけだ。なにも、そうしろとは言っていない」
「はあ?」
「錦織家は家柄はよいが、まつりごとにはなんの関わりもない。必然的に、警備もそれほど固くはない。屋敷に出入りする者を調べるだけなら、遮蔽結界だけでも十分だろう」
「あー、よーかった。もー、先生たら、それを先に言ってよね〜」
途端に元気になった岷は、ふたたび膳の上の料理に箸を伸ばし始めた。なんとも現金である。
「まあ、確認はいるとしても、一人はリストから外れたってことだな」
頭の中で、その名を消す。
「あとは……」
兵衛府参議、坊城兼平(ぼうじょう かねひら)か。このあたりは兵衛府大夫である菅子爵あたりから情報が取れそうだが。
春日家内部の調べについては、おおむね終わっていた。岷の助けがなかったため、屋敷うちを歩き回るだけでも気を遣うと思っていたが、なぜか自分が探ろうとする場所の警備が手薄になっていることが多く、比較的すんなりと事が運んだ。
もっとも一度、かなり奥まった棟にまで足を運んでしまい、外回りの衛士に見咎められて詰問されたのだが、そのときは……。
「まあ、鬼堂さまではありませんか」
明るい声が、その場の緊迫した雰囲気を一掃した。
「今日はおひとり?」
軽やかに、訊く。声の主は春日家の一姫、まひるだった。
鬼堂は岷から聞いたありったけの知識を動員し、作法に従い礼をとった。
「はい。まひる様におかれましては、ごきげんうるわしゅう」
舌を噛みそうだぜ。心の中でぼやきつつ、至極神妙に頭を下げる。
「姫さま、この者は……」
衛士の一人がおそるおそる訊ねると、
「あら、皆様ご存じなかったの? このかたは信行さまとともに、おとうさまや清興おにいさまのお悩みをお払いするべく、つとめていらっしゃるというのに」
まひるは扇を広げて、ほう、と、ため息をついた。
「もうよろしいわ。お下がりなさい。……鬼堂さま、こちらへ」
扇を手にしたまま、するすると別棟へと進む。鬼堂は縁に沿ってそのあとを追った。
まひるに付き従っている侍女が、ちらちらとこちらを窺っている。それはそうだろう。衛士を下げてしまって、まひるに何事かあっては一大事だ。
ぴたり。まひるの足が止まった。侍女を二間ばかりはなしてから、鬼堂に顔を向ける。
「お役目、ご苦労さまですね」
ゆっくりと扇を閉じて、続ける。
「これからこちらの対屋においでの折は、文を一通お持ちくださいませ。鮮やかな色の薄様で、花など添えてあるとよろしいわね」
「……なんだよ、そりゃ」
常の口調で聞き返すと、
「恋文ですわ」
「はあ?」
「それなら、人目を忍んでいても不思議はないでしょう?」
にこやかに、まひるはそう言った。
自分を助けてくれたのは、わかる。が、そのあとの恋文云々はなんだ。まるで、こっちの動きを楽しんでるようじゃねえか。こりゃ、ある意味、あの姫さんも曲ものかも。
「……ということで、異論はないか」
信行が確認する。
「鬼堂どの?」
「あ、すまん。ちょっと考え事をしていた」
「もー、ダメでしょ、鬼堂ちゃん。こんなときに若さまのこと考えてちゃ」
馬鹿野郎。せっかくいままで忘れてたのに、余計なことを言うんじゃねえ。
「……岷」
低く、名前を呼ぶ。それだけで察したのか、岷は手を口にやった。
「ごっ……ごめんねー。ええと、あの、よーするに、あしたはみんな、別行動ってことだよねー」
ひきつり笑いを浮かべつつ、岷。
「オレが錦織家でー、先生が子爵さまんちでー、鬼堂ちゃんがここんちの炙り出しってコトで」
春日家の臣下の中では、清興派と顕良を推す一派とが対立しているが、それぞれを異様に煽っている人物がいた。そして、そのいずれとも誼みを通じている人物も。
これまでの経過を鑑みると、物の怪騒ぎに乗じて双方が浮き足立ち、共倒れをなるのを狙っている公算が高くなってきた。その黒幕さえ明らかになれば。
現時点では、兵衛府参議がクロである確率が高い。が、逃れようのない証拠を押さえなければ、断罪はできまい。
あと少し。駒が揃えば、最後の一手が打てる。
「さあて、そうと決まったら、腹ごしらえ腹ごしらえ。腹が減ってはいくさはできぬって言うしね〜」
「いくさ」があろうがなかろが、腹いっぱい食えるときには食うくせに。
鬼堂はすっかり冷めた粥に、あつものをかけてかき混ぜた。岷がそれを横目で見て、いやそうな顔をしている。ふん。粥ぐらい好きに食わせろってんだ。
……たしか、前にもこんなことがあったな。
途端に、記憶がフィードバックする。そうだ。あれは出立の朝……。
鬼堂は食べかけの椀を置き、席を立った。
「すまねえ。先に寝る」
言い置いて、房を出る。うしろで岷が何事が言っていたが、それはもう聞こえなかった。
冷たい冬の風が全身を包む。その中にあって、鬼堂はおのれの血がざわめくのを必死に抑えていた。
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