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たまゆら by 近衛 遼
第十三帖
広間から渡殿を通り、外廊下へと出ようとしたとき。
別棟の方から侍女を従えた、十代半ばの少女が歩いてきた。背筋をしゃんと伸ばし、しっかりと前を見据えている。身なりからして、春日家の姫であろうと思われた。
信行が素早く道を空ける。
『鬼堂ちゃん、なにボーッとしてんの』
岷につつかれ、鬼堂はひざを折った。
まったく、邪魔くせえ。ここん家のやつらが通るたびに、いちいちこんなことをしなきゃいけねえのかよ。
それでいうと、山荘での自分たちの待遇は破格だったのだろう。萩野がつねづね不本意そうにしていたのも頷ける。
「まあ、信行さま。ごきげんよう」
少女がにこやかに声をかけた。
「まひる様にも、ごきげんよろしゅう」
信行が礼を返した。
「ええ。今日はたいそう清々しい、いいお日和ですものね」
まひると呼ばれた少女は、小さく笑って続けた。
「いまから、おとうさまにお会いしようと思うのだけれど、お忙しいかしら」
「この時間ですと、すでに出仕のお支度をなさっているか、兵部からの書類をごらんになっていると思われますが」
「そう。それでは仕方がないわね。お訊きしたいことがあったのだけど……」
そこまで言って、ふと視線を横に遣る。
「そのかたがたは?」
鬼堂たちのことだ。
「中務家のかたではありませんね。信行さまのおともだちですか」
なにが「おともだち」だ。こんな得体の知れねえやつのダチになった覚えはないぞ。もっとも、それはお互い様かもしれないが。
「こちらは、鬼堂どのと岷どの。萩野どののご紹介で、かの物の怪を祓うため力をお借りすることになりました」
「萩野……。では、あなたがたは、顕良おにいさまのもとにいたのですね」
すすっ、と、まひるは歩を進めた。鬼堂たちの前に立ち、
「顕良おにいさまは、お変わりありませんか」
いきなりの質問に、鬼堂と岷は顔を見合わせた。
「教えてください。顕良おにいさまは……」
「元気にしてるよ」
勢いに押されて、思わず答えた。当然のことながら、言葉遣いに気を配ることもなく。岷があからさまに首をすくめている。
ぶっきらぼうなその言葉に、まひるは一瞬、驚いたようだったが、やがてほっと息をついた。
「そうですか。ならば、ようございました。雲海山に移られてより、めったにお文もいただけず、人の噂ばかりが流れてきて、案じておりましたので」
「姫さま、さようなことは……」
侍女がたしなめた。新参ものに余計なことを話すなということだろう。まひるは頷き、ふたたび信行に視線を移した。
「お引き留めして申し訳ありませんでした。お役目、つつがなく参らせられますよう、お祈りしておりますわ」
「はい。まひる様も、お心安らかに」
信行が作法通りに一礼する。まひるは踵を返し、来た道を戻っていった。
「ふわーーーっ、汗かいた。喉カラカラだよ〜」
岷が大袈裟に言った。
「鬼堂ちゃん、相手は貴族のお姫サマなんだよ。もうちっとソフトに対応できないの? なにも眼飛ばして言わなくてもいいじゃない。オレ、今度こそ無礼討ちかとヒヤヒヤしてたんだから」
「そりゃ悪かったな」
「悪かったよー。ギャラも路銀もいっぱいもらったけど、これじゃ心臓に悪いって」
ぱたぱたと顔を扇ぐ。
「やっぱ、半分返すからさー。鬼堂ちゃんもちゃんと作法覚えてよ」
「覚えりゃいいんだろ。カネは要らねえよ」
「もー、あいかわらず強情なんだから……」
なおもブツブツと文句を言っている岷に、信行が声をかけた。
「印の伝授はどうする」
「あ、やるやる。もちろん、やるって。でも……」
岷は栗色の目をくるりと向けて、
「そのまえに、水、飲ませてよ〜」
三人は今度は、厨に向かって移動した。
厨で水を分けてもらったあと、縁側でそれを飲みながら、鬼堂たちは信行から春日家の概要を聞いた。
「それってさー、要するに、伯爵さまがうだうだ迷ってたのがいけなかったんじゃないの?」
先刻は作法がどうとか言葉遣いがどうとか言っていた岷が、伯爵家に対する敬意も遠慮もない言い方をした。
「さっさと、あの猪突猛進な若君を跡取りにしときゃよかったのに」
猪突猛進。たしかにな。
ごくりと水を飲み込み、鬼堂は昨夜のことを思い出した。近侍が止めるのもきかず、閨に踏み込んできたときの清興の顔。きっと、ひとつ事に頭がいっぱいだったのだろう。
「それに待ったをかけたりしたから、若さまを担ぎ出すようなヤツらが出てきたんじゃない」
顕良は庶子であり、嫡子の清興より三つばかり年下である。ふつうなら、清興がすんなりと伯爵家の跡継ぎになるはずだったが、十年ほど前に顕良の生母が急逝したのち、清顕は継嗣問題を白紙に戻した。
『春日の家の今後については、いま少し考えたい』
そののち、春日家の内部では、清興に付く者と顕良を推す者が互いに牽制しあうようになった。小さなもめ事は何度かあったらしいが、両者の対立を決定的に
したのは、顕良の近侍が毒殺されたことだ。直後に厨所の者がひとり自害して、顕良を支持する者たちは、それを清興方の策謀だと噂した。
むろん、清興はそれを濡れ衣だと主張し、潔白を証明すると明言したが、結局、いまだ真相はわかっていない。さまざまな憶測が飛び交う中、顕良は都を辞して、雲海山の山荘に引き籠もったのだった。
「で、そのあとも若さまは何度か命を狙われて、今度はこっちの若君も闇討ちに遭ったってコトね」
「幸い、兵衛府の衛士がすぐに駆けつけ、刺客は遁走したらしい」
信行が説明した。
「ふーん。でも、なんかそれって……」
岷がなにか言いかけたが、すぐにぱっと表情を変えて、
「あー、えーと、証拠もないのにヘンなこと言っちゃダメだよねー」
へらへらと笑ってごまかす。
「狂言ってことも考えられるな」
岷がぼかしたところを、鬼堂が突いた。岷はまたげんなりと下を向いたが、今回はクレームをはさまなかった。信行もまた、それを肯定するかのように頷いている。
「もっとも、あの男がそれほど器用だとは思えねえが」
「清興どのは、真っ正直なかただからな」
先に調伏し損じたときなど、御前に呼ばれてさんざん叱責されたという。
「そりゃ気の毒に」
「致し方ない。それより、今後の策だが」
湯呑みを脇に置き、信行は言った。
「ここ数日、館うちで不可解なことは起きていない」
「へ? じゃ、べつにオレたち、それこそ用ナシなんじゃないの?」
昨日、接見の間で清顕卿が言っていたように。
「とはいえ、このまま何事もなく終わるとも思えない。封印に失敗した邪気は、まだどこかに潜んでいるはずだ」
「その『邪気』を操ってるやつもな」
「物の怪」が「人」の手によるものならば。
「んじゃ、とりあえず、手分けして怪しそーなヤツ、洗ってみましょーか」
岷はすっくと立ち上がり、大きく伸びをした。
「さーって……と、あ、そうそう先生! さっきの印、早いとこ教えてよ〜」
先に水を飲ませろと言ったのは自分だということは、すっかり棚に上げている。信行は苦笑まじりに立ち上がり、外庭へと向かった。
「あれ、鬼堂ちゃんは?」
「俺はいい」
「えーっ、どうしてよ。術の波長って、変わると動きにくいよ」
「なんとかなるさ」
「なんとかって……」
「俺は屋敷ん中ブラブラしてる。早く行け。『先生』が待ってるぞ」
外廊下を目で差す。
「はいはい。でも、あんまり目立つことしないでよー」
ガタイだけでも十分目立つんだから、とぼそりと言って、岷はその場を離れた。ふん。そんなこたぁ、わかってるよ。
三人分の湯呑みを厨に返す。鬼堂は気の向くままに、屋敷の東側へ歩を進めた。
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