たまゆら by 近衛 遼 第十一帖 伎女の体を借りた清顕は、鬼堂を正面から見据えた。 「萩野の文によれば」 声は伎女のものに戻った。やや違和感はあるが、細かいことを気にしていては話は進まない。鬼堂は清顕と対座した。 「顕良はおぬしらをたいそう重用しているようだが、いかなる経緯であれの側仕えとなったのか」 そのあたりの事情は書かれていなかったらしい。もっとも、萩野自身、よくわかってはいないのだろう。ただ、顕良が鬼堂たちを衛士として遇すると宣したから、それを承知しただけで。 正直なところ、いまだ鬼堂にもわからない。自分を殺そうとした人間を、自分の護衛として傭うなど。しかも、それだけでなく……。 またしても、先夜のことが頭をかすめた。こぶしを握って、それを脇へ追い遣る。 「成り行きだ」 短く答える。 「ほう。それは、どういう」 ゆったりと、探りを入れてくる。どうやら、家柄がいいだけのボンクラ貴族ではなさそうだ。 「殺しそこなったんだよ」 「殺しそこなった?」 「ああ」 「たれを」 「春日顕良。あんたの息子だ」 あれこれ言葉を選ぶのは無駄だ。そう判断して、鬼堂は事実を述べた。 「俺は、そういう仕事をしてる」 「……刺客ということだな」 「ああ」 逃げるか、あるいは助けを呼ぶかと思ったが、清顕は静かにそこにすわったままだった。本体ではないのだから、それも頷ける。ここで何事かあっても、命を落とすのは器となった伎女なのだ。 やっぱり、食えねえな。鬼堂がそんなことを考えていると、 「なにゆえじゃ」 目を細めて、清顕が訊いた。伎女の姿をしているので、ふつうならかなりなまめかしい表情なのだろうが、内にある人物の「気」が勝っているせいか、かえって底知れぬものを感じる。 「一度はしくじったのかもしれぬが、そのあといくらでも機会はあったであろうに」 「……殺してた方がよかったみたいな言い方だな」 以前、萩野は、春日家の正室が顕良を疎んじているようなことを言っていたが、伯爵自身もそうなのだろうか。もしそうなら、顕良に都へ来るなと言ったのは、身を案じての言葉ではなく、春日本家から離れた場所に置くためだったと取ることもできる。顕良を山荘に隔離して、万一の場合に自分たちに厄災が及ぶのを防ぐ。 親子だとか兄弟だなんてのは、関係ねえもんな。 これまでの依頼主のことを思い出す。富と権力を手にした者たちは、それと引き換えに人としてのなにかを失い、結果、血で血を洗うような惨劇を演じるのだ。まあ、そのおかげで、自分たちのような人間も生きるための手段を得ているのだが。 「だれも、そのようなことは言うておらぬ」 清顕は含み笑いを漏らした。 「わしは、知りたいだけじゃ。おぬしがあれを、手に掛けなんだ理由をな」 「気紛れだ」 言い捨てた。 理由だと? そんなもん、こっちだってわからねえよ。そりゃ、いろいろあって、殺すのが惜しくなったってのはあるが……。 「気紛れ、のう。それは頼もしい」 「どういう意味だよ」 「気紛れでおのが命を賭けられるなど、これほど愉快なことはない」 「べつに、命賭けてるわけじゃねえ」 「物の怪退治を引き受けて、それを言うでないわ」 清顕はちらりと戸口を見遣った。 「もうあまり時間がない。わしは房に戻る。明朝、おぬしらを召すゆえ、それまではここで過ごすがよい」 すうっ、と、伎女の体が傾いだ。脇息の横にぐったりと倒れ込む。意識はまだ戻っていないようだった。 憑依の術は、器となった者にも相当の負担をかける。おそらくこのまま、朝まで眠り続けるだろう。少し惜しい気はしたが、意識のない女をどうこうする趣味はない。鬼堂は伎女を夜具に運んだ。 とりあえず、俺も寝るかな。そう思って灯明を消そうとしたとき。 なにやら外が騒がしくなった。 「お待ちくださりませ。こちらは、お館さまのお客人がおいでです」 だれかが、必死で説明している。 「承知の上だ。その客とやらに用がある!」 「なりませぬ。今宵はどなたもこちらにお通しせぬようにと、お館さまのお言いつけで……」 「ふん。女子(おなご)を宛てがい懐柔しようとは、お館さまも情けないことよ」 ばん、と扉が開いた。 「顕良の名代とは、おまえか」 閨に踏み込んできたのは、二十代前半ぐらいの青年だった。やや癖のある黒髪をきっちりと頭巾で束ねている。おそらく相当鍛えているのだろう。がっちりと筋肉がついているのが、着衣の上からも窺えた。 「答えよ。顕良の……」 「だったら、なんだ」 突然の来訪者に、鬼堂はむっつりとして言った。男はカッと双眸を見開き、 「きさま、その物言いは何事か! お館さまが客として遇したからというて、思い違いも甚だしい。われをたれと心得るか」 「知らねえよ」 顕良、と呼び捨てにしていたことからして、おそらくこの男が春日家嫡子、春日清興であろうことは想像がついたが、鬼堂は夜具の横に胡坐したまま、ぶっきらぼうに答えた。 「無礼者! そこに直れっ」 「若君、ご短慮はなりませぬ!」 随身してきた近侍が、清興の前にひれふした。清興はしばらく従者と鬼堂を見比べていたが、やがて大きく息をつき、 「ふん。われとしたことが、下賤の者相手につまらぬ真似をしたわ」 くるりと踵を返す。近侍は平伏したままだ。戸口まで戻ったところで、清興はちらりと鬼堂に視線を投げた。しばらくの逡巡ののち。 「……なぜ、あやつは来ぬ」 うっかりすると聞き逃すほどの声だった。先刻とは別人のような。 「なんのことだ」 「顕良は、なにゆえ……」 言いかけて、口ごもる。一瞬、悔しげな表情が見えた。 「よい。きさまごときが知るはずもなかろう」 そう言うと、清興は来たときと同じく、慌ただしく房を出ていった。 「失礼いたしました。どうかこのこと、お館さまには……」 近侍がそろそろと声をかけてきた。 「ああ。言わねえよ」 なにも自分が言わなくても、あの勢いではすでにだれかがご忠信に及んでいるだろうが。 「されば、これにて」 ふかぶかと一礼して、近侍が下がった。ゆっくりと扉が閉まる。房に、ようやく静寂が訪れた。 伎女は夜具の中で規則正しい寝息をたてていた。いまの騒ぎにも、まったく気づかなかったらしい。そっとその髪に手をのばす。 ふたたび、その感触が過日の夜を引き寄せた。 このまますんなり眠れるはずもなし。まあ、こういうのも仕方ないか。まじで、筆下ろししたばかりのガキみたいだが。 鬼堂はおのれの状態に苦笑しつつ、灯明を消した。 |