たまゆら  by 近衛 遼




第十帖

 都の大路は、たいそう賑わっていた。
 べつに、祭りやなにかしらの行事があるわけではない。ごくごくふつうの、日常である。が、そんなことは関係なく、この大路は都人の粋な遊び場所であり、あるいは地方から出てきた者たちの憧れの場所であった。
「ねえねえ、鬼堂ちゃん。せーっかく軍資金もたっぷりあることだし、ここはひとつ前夜祭ってことで、錦翔楼に座敷を取ってパーッと……」
 今回の仕事にかかったときからの夢を叶えんと、岷が巾着片手にそう言った。
「駄目だ」
 言下に、鬼堂。
「えーーーっ、もう、鬼堂ちゃんてばお固いんだから〜」
 ぶうたれながらも、すんなりと巾着を懐に戻す。
「ま、仕方ないか。若さまが待ってるもんねー」
「おい……」
「照れない照れない。ちゃっちゃと仕事片づけて、若さまんとこに帰りたいんでしょ」
「……いい加減にしろよ」
 当たらずと言えども遠からず。
 微妙なところを突かれて、鬼堂は赤毛の相棒を睨んだ。
「はいはい。お遊びはナシでってコトねー」
 くすくすと笑って、岷は袂の陰で印を組んだ。
「伯爵さまんちには、かなーり力のある術者がいるみたいだから……」
 ぐっ、となにかが喉元に突き刺さる。目には見えない。ただ、異様な波動を発するなにか。
「お守りね」
「……なんだよ、こりゃ」
 岷は優秀な術者だ。これまで、その力で数々の修羅場を乗り越えてきたが、この術ははじめてだ。
「今回かぎりの、トクベツな術だよーん」
 にんまりと笑って、岷は言った。
「オレもこの前みたいにアブナイ橋、渡りたくないし」
 たしかに、他者の体を借りて館内を探索するような真似は避けたい。幸い、今回は萩野から紹介状をもらっているので、堂々と春日家の敷居を跨げそうだが。
「これはねー、『幻術崩し』。相手のかけた幻術を、まるで芝居小屋の見世物みたいに見られる術なの。こーんな高等な解術、使えるヤツはそうそういないと思うよ〜」
 例によって、自信たっぷりに言う。
「……おまえの実力はわかったよ」
「どもども〜。いやあ、やっぱ、あんなに前金いただいちゃったら、これぐらいはやんないとマズイと思ってねー」
 こういうところが、この男の本分である。鬼堂は大路の先を見据えた。
「行くぞ」
 端的に告げる。
「はいはーいっ。伯爵さまんちは、北町通りの東側だよー」
 以前、顕良の文を届けたことがあるので、そのあたりの地理はしっかり頭に入っているらしい。岷の先導で、鬼堂は春日家の本宅に向かった。


 春日家の門衛は、いかにも不本意な様子で萩野の紹介状を手に奥へ入っていった。
 それはそうだろう。一応、萩野が用意した装束に身を包んでいるとはいえ、御世辞にも育ちがいいとは言えない風体だ。馬子にも衣装と言うが、そんなものではごまかしようのないものがある。
 かなりの時間がたって、岷がこっそり中の様子を探りにいこうかと言い出したころ、やっと門衛が敷地内に立ち入ることを承諾した。
「両手を頭の上に」
 数人の衛士が鬼堂たちを取り囲んだ。手際よく、武具が取り払われる。
『鬼堂ちゃーん、ここはガマンよ』
 岷が遠話で言ってきた。
『わかってる』
 そこまで馬鹿じゃねえよ。
 鬼堂は黙って、衛士たちが念入りに身体検査をするのを見ていた。
 これは、かなり神経質になってるな。
 萩野は春日家の古参の使用人である。その直筆の文があってもなお、ここまでの用心をするとは。
 もっとも、それが偽造されたものであったり、あるいは脅迫等によって強制的に書かれたものであったりする可能性もあるから、念には念を入れるのも当然かもしれないが。
「こちらへ」
 四半時ばかりのち。ようやく鬼堂たちは春日家の当主が住まう本殿へ歩を進めることができた。
『うしろ、五時の方向と左に仕掛けがあるみたいだねー』
 接見の間で、岷がこそっと遠話を投げた。
『てこたぁ、伯爵は右から来るな』
『だねー。右側と正面の防御結界、ハンパじゃないから。でも、ここまであからさまだと、フェイクってこともあるかも……』
 かたん、と扉の開く音がして、初老の男が左側から入ってきた。
 岷は我が意を得たりとばかりににんまりと笑って、頭を垂れた。鬼堂もそれに倣う。
『ホンモノだよ』
 岷がこっそりと告げた。
 春日家当主、春日清顕。岷は先だって、清顕卿に拝謁している。
「大儀である」
 重々しく、清顕は言った。
「されど、無駄足であったな」
 清顕は近侍に目配せした。側に控えていた小姓が高坏を鬼堂たちの前に運ぶ。
「余計な仕事をさせて、すまなんだの。あとはゆるりとしていきゃれ」
 ぱちりと扇を鳴らし、清顕は座を立った。そののち、おそらく都で名だたる名技であろう女たちが次々と房に入ってきた。

『おい、これは……』
 鬼堂が遠話で問う。
『すんなりとコトが運ぶわけないでしょ』
『……そうだな』
 この館には手練の術者がいるのだ。そうそう簡単に、清顕卿と繋ぎが取れるはずもない。
 杯を手に、鬼堂は周囲をくまなく窺った。扉の向こうに、少なくとも五、六人の気配。
『鬼堂ちゃん、これ』
 伎女たちを相手に南方の珍しい鳥や魚の話をしつつ、岷がそっと錠剤を鬼堂の手に握らせた。
 おそらく、解毒剤であろう。そう思って受け取ると、
『万能じゃないけどねー。もしものときは、ま、あきらめてね』
 一か八か。いかにもこの男らしい言い草だ。
 鬼堂は錠剤を飲んだ。伎女たちの勧める酒や、料理も口にして。
 華やかな時間が一刻ばかり続いたのち、伎女たちはそれぞれに房を用意されていたらしい。まずは岷が、幼さの残る面立ちの伎女とともに別室に消えた。
『あとはヨロシクね〜』
 なにをどうよろしくするんだ。そう思わなくもなかったが、先方の出方を見るしかない。
 ほどなく、ひとりの伎女が鬼堂の袖を引いた。
「そろそろ、お休みあそばしませ」
「おう」
 ここは、誘いに乗るしかない。鬼堂は残っていた酒をぐいっと飲み干し、伎女のあとに従った。


 閨の用意は、もう整っていた。
 伎女が枕辺に座して待つ。
「主さま?」
 誘う声に、鬼堂は夜具に進んだ。
「脱げよ」
 短く命じると、伎女は一枚また一枚と優雅に着物を落としていった。
「これで、よろしゅうございますか」
 あでやかな笑み。
 さすがは都の名妓である。凛としたその姿勢は、なまじな輩では手も出まい。
「ああ、いいぜ」
 艶やかな黒髪を束ねた飾紐を解こうと手を伸ばしたとき。
 するり。
 つい先日、自身が手にしたあの感覚が甦った。
 震える唇。のけぞった顎。しっとりとした髪の感触。
『んっ……んんっ……………あ……』
 しとどなく声が漏れた。
 あれは何度目だったか。たしかに、顕良はそれを求めていた。言葉ではなく体で。
 埋め込んだ熱が、間違いなく奥まで届いていた。そう、あの瞬間、自分はあいつを……。
『邪魔をしてもよいかな』
 過日のあれこれを思い出していた鬼堂の頭に、低い声が飛び込んできた。
「……!」
 瞬時に、防御結界を張る。岷にくらべればガキの遊びのような結界だが、ないよりはマシだ。
『いきなりで、すまぬ』
 声の主は続けた。
『こうでもせんと、おぬしと話ができぬでの』
 目の前の伎女が、てきぱきと着物を付けはじめた。帯をきゅっと結び、きっちりと裾を捌いて上座に座す。
「おい、おまえ……」
 鬼堂は目を見張った。
 まさか、この女の中に……。
 他者の器を借りる憑依の術。春日家当主、春日清顕は、その術によって鬼堂の前に現れたのであった。