孤の螺旋 by近衛 遼 ACT6 東雲の荘は宗、江、槐の三国の国境近くにあって、槐の国が独立してからは西方と南方を同時に監視するための砦のような存在であった。 「本当に、よかったんですか」 英泉は申し訳なさそうな顔で、水木を見遣った。 「あなたの『対』をわれわれの斥候のように使ったりして……」 「いーのいーの、気にしなくても。斎は用心深いしアタマもいいし、いざとなったら城のひとつぐらい一晩でぶっ潰せるし、どっちに転んでもアタシたちに損はないわよ」 「ぶっ潰すって……」 あのおとなしそうな男が、単独で城を陥とすほどの力を持っているとは思えないが。 「ん〜、でもまあ、そうね。そこまでやったらマズイわね。今回は出方を探るだけにしとかないと」 しれっとした調子でそう言って、水木は木の実のたっぷり入った焼き菓子を口に運んだ。 先日の軍議の席。 英泉は東雲の荘に間者を送るよう提案した。水木の進言を受けてのことではあったが、重臣たちには自身の案として議題に上げた。 妙案だと賛成する者、だれを送るか思案する者、時期尚早ではないかと渋る者。皆がそれぞれの意見を交わす中、英泉の隣席にいた源宇が東雲の荘に関する最新の資料を提示した。 「『草』の報告では、この三月ばかり東雲卿は城を動いていないらしい。卿は生粋の都人だ。いつもだと、秋の刈り入れが終わると早々に年貢を取り立てて都に戻るのに、今年に限って治領で年越しをした。てことは、なにかウラがあると見て間違いないだろう」 源宇の説明に、一同が頷く。 「知っての通り、宗の出城ってのは外回りの兵は地元民が多い。大まかな情報は比較的簡単に手に入るが、ここはもう一丁、踏み込んでみようってわけだ」 「東雲卿が近々、国界で事を起こすかもしれんというわけだな」 源宇のななめ向かいにすわっていた壮年の武人が、淡々と言った。 「そういうことです。伯父上」 「源杖(げんじょう)でよいと、いつも言うておろうが。官位はそなたの方が上なのだから」 「そう言われましてもねえ」 源宇は昨年、英泉が天坐の長になったときに兵部参議に任じられている。刑部参謀の馮夷と並んで、天坐においては英泉に継ぐ地位にあった。 「伯父上は伯父上ですし」 「常はともかく、公の席では……」 「源杖」 英泉は、かつて宜汪の側近であった武人の名を呼んだ。 「は」 「この砦内では、そのような気遣いは無用だ。御身は私の師でもある。呼称など些細なことであろう」 「鑑公の仰せとあれば」 源杖は軽く頭を下げ、 「で、東雲へはだれを?」 「できるだけ、顔を知られていない者がよかろう。各部の新兵の中で隠密活動に適した者を選んで……」 「あーら、それじゃ、斎に行かせりゃいいじゃないの」 横から、不似合いなほど明るい声がした。窓際の長椅子でお茶を飲んでいた水木である。となりにいた黒髪の「御影」は、いきなりのことに目を丸くしている。 「みっ……水木さん、急にそんな……」 「アタシたちの仕事は、いっつも急務なのよ。それぐらい、わかってるでしょ」 「それはそうですが、俺たちは和の国の人間です。槐の人たちを差し置いて、勝手に話を進めるのはどうかと……」 「べつに、差し置いてなんかいないわよーだ」 「で、でもっ」 「じゃあ訊くけど、いままで東雲の荘にノータッチで、潜入任務もバッチリで、今度の仕事の概要をちゃーんと理解してる人、ほかにいる?」 「はあ、ええと、それは……」 「いないでしょ」 にんまりと、水木。 「ま、ホントはふたりで行けばいいんだろうけど、アタシ、前に東雲のお城に忍び込んで死にかけたことがあるのよ〜。縁起悪いし、面が割れてるかもしんないからパスさせてもらうわ」 ああ、あの折の……。 英泉は、はじめて水木に会ったときのことを思い出した。 あれはまだ英泉が十一のころだった。突然、移動の術を使って自分たちの前に現れた他国の細作。まさに満身創痍の状態で、宜汪が張った幾重もの結界をくぐり抜けてきたのだ。 「ちょっとでいいから、休ませてよ」 血まみれの手で、水木は宜汪に錫の笄(こうがい)を差し出した。 「これ手放すのは惜しいんだけどねー。背に腹は代えらんないから……」 受け取った宜汪の顔が、一瞬で変わる。英泉がついぞ見たことのないほど、険しいものに。 英泉はすぐにその場から離され、馮夷とともに砦の別棟に移された。源宇が宿直(とのい)に立ち、選りすぐりの衛士たちが外を固める。物々しい警備は二晩続いた。そして、三日目の朝。 宜汪は英泉を朝餉に同席させた。 「お呼びにございますか」 いつものように戸口で礼をとる。 「おお、来たか。早う入れ」 卓のそばにいた宜汪が手招いた。こちらに背を向けていた細身の人物が振り向く。 「あら、あんた……」 それは過日、宜汪に助けを求めに来た細作だった。明るい金茶色の髪が朝の光を受けて輝いている。 和の国の細作だと聞いていたが、外見からは西方の血が混じっているように見受けられた。薄い茶色の目がまじまじとこちらを見ている。 なにか粗相をしただろうか。名乗るのは、宜汪が相手を紹介してからでよかったはずだが。 英泉は逓に教わった会見の作法を頭の中で復習した。と、そのとき。 「槐の王族も堕ちたもんだねー。あーあ、死にかけて損した」 包帯をした手をひらひらと振って、若い細作は立ち上がった。つかつかと英泉の前まで来て、 「かわいそうにねえ。まだこんなに小さいのに」 肩に手を回して、引き寄せる。突然のことに、英泉は驚いた。王族である自分にこんなふうに触れてきた者など、砦に入って以来だれひとりとしていなかったから。 「いろいろ苦労も多いだろうけど、あきらめちゃダメよ。きっとそのうち、いいことがあるから」 「はあ、あの……」 「あ、なんにも言わなくていいから。うっかりしたこと言うと、あとあとマズイでしょ」 なにやら一人合点したらしい男は、くるりと宜汪に向き直り、 「最近、宗の国じゃ侍童シュミの貴族が多いって聞いてたけど、槐の国でもそうだったとはね」 いくぶん、小馬鹿にしたような口調。宜汪はそれに対して、 「なにか誤解をしているようだが」 落ち着いた声で返す。 「誤解? じゃあ、この子はなによ。侍童じゃなきゃ、彗の国みたくコドモに爆薬持たせて敵陣に送り込もうっての? どっちにしたってマトモじゃないね」 「あいにく、私は英泉にそのような仕事をさせるつもりはないよ」 「だったら、いったいなんの……」 さらに食ってかかろうとして、はっと口をつぐむ。 「え、いま、『英泉』って……。じゃ、あんたたち、親子なワケ??」 男は薄茶色の目を見開いて、宜汪と英泉を見比べた。どうやら「天坐の砦」の「英泉」という人物の身分については、知っていたらしい。 「う……ウソでしょーーーっっ!」 よく響くきれいな声で、男は叫んだ。 「全然、ちっとも、まーったく似てないじゃん」 たしかに、英泉は母親似の顔立ちをしているが。 「ご理解いただけたかな」 にこやかに、宜汪。男はひきつり笑いを浮かべつつ、 「やっ……やだなー、もう。そうならそうと、先に言ってくんないと」 そそくさと席に戻る。宜汪に促され、英泉も同じ卓に着いた。 「あらためて紹介する。私の一子、英泉だ。それと念のためにもうひとつ」 「なによ」 「天坐には、砦付きの色子も囲い女もおらぬ。その方面のことは、各自にまかせてあるのでな」 「……ずいぶん、下の者を信用してんのね」 砦と里の行き来が自由だと、それだけ内部情報が漏れやすい。外の廓にはたいてい各国の間者が入り込んでいるし、そうでなくても馴染みができればなにかと弱みを握られて、厄介なことになる可能性もある。 「オレなら、そんな危険は侵さない」 「そなたはそなた。私は私だ」 「そりゃそうよ。あんたと一緒にされちゃたまんないね。オレ、まだ花も盛りの十八だもーん」 すっかりもとの調子を取り戻して、男は笑った。それこそ、まるで花がぱっと咲きこぼれるような、鮮やかな笑みだった。 あれから七年が過ぎ、自分を色子と間違えた水木は、天坐の武人たちを相手に滔々(とうとう)と策を披露している。いくつかの確認事項のあと。 「では、如月どのの意見を容れるということでよろしいか」 源杖が奏上する。英泉はそれに、「諾」と答えた。 「あんときは、ああ言ったけどさー」 焼き菓子を食べ終えた水木が、こそっと言った。 「向こうの動き次第では、アタシも東雲の荘でひと仕事しなくちゃいけないと思ってんのよ」 「そうですね。そのときは、私もお供します」 「あらあら、ダメよ」 「え?」 「あんたが『お供』なんて言っちゃ。でも……」 端正な顔が近づく。 「うれしいわ」 唇が触れるかと思った直前。水木はこつん、と額を合わせて、身を引いた。反射的に顔を上げる。 「調子に乗るとロクなことがないから。じゃ、アタシ、みんなと遊んでくるわね〜」 例によって、源宇たちから賭け事の誘いを受けているらしい。 ステップを踏むように房を出ていく背中を見送って、英泉はすっかり冷めた茶をひとくちすすった。 |