孤の螺旋 by近衛 遼 ACT5 結局。 水木たちは天坐の砦で新年を迎えることとなった。 「いままで生きてきた中で、いっちばんゴージャスでハッピーでラッキーなお正月だわ〜」 新年の祝賀行事のあと、例によってそのまま源宇たちと賭け事になだれ込んだ水木が、両手いっぱいの祝儀袋を扇のようにぴらぴら振って言った。 「祝い膳は豪華だし、お神酒は美味しいし、賭け札には大勝ちするし、言うことないわねー」 うきうきとした顔で、祝儀袋を懐に納める。くるりと一同を見回し、 「あらあら、みんな、新年早々浮かない顔ねえ。特別にアタシが、お年玉あげようかしら〜」 「なに言ってやがる。俺たちの祝儀、根こそぎ持っていきやがったくせに」 憮然として表情でそうぼやいたのは、源宇だ。水木は、ふふん、と鼻先で笑った。 「なーによ。正月だからって、特別ルールにしたのはそっちじゃないの。あんたたちは英泉からもらった『お年玉』を全額。アタシは江の城からくすねてきたお宝を賭けるってことで」 そうなのだ。なんと水木は、江の国を出る直前に、国主の謁見の間から「加冠の杯」と呼ばれる銀の酒杯を盗み出してきていた。それは、江の国が彗の国の支配を退けたときに当時の国主が特別に作らせた逸品で、江の国にとっては国宝に匹敵するものだった。 「こんなものを国外に持ち出しては、今後、なにかと問題になるのではないですか」 杯を見た英泉が心配を口にすると、水木はあっけらかんとした様子で、 「だーいじょうぶよー。あちらさんは、ダミーが盗まれたと思ってるはずだから」 「ダミー?」 「そ。なんたって、『加冠の杯』って言えば江にとっちゃ特別な品よ。いくら警備の厳しい城の中でも、ホンモノが人目につくトコに飾ってあるワケないでしょ。だから……」 本物の「加冠の杯」は天守閣近くの隠し部屋にあったらしい。 「では、それを模造品とすり替えたわけですか」 「そーゆーコト」 にんまりと笑って、水木は「加冠の杯」を英泉に渡した。 「これも、そのうち『駒』に使えるわ。ここぞ、ってときに出すのよ」 「わかりました」 それが、ひと月ばかり前のこと。 いま、「加冠の杯」は英泉の手元にある。その大切な「駒」を、水木は賭けの対象にしたのだ。むろん勝つ自信(というか、計算)はあったのだろうが、決着がつくまで気が気ではなかった。 もし、水木が負けたら。 当然ながら、杯を渡すわけにはいかない。そのときは、いったいどうするつもりだったのか。 もっとも、水木のことだ。そうなったらなったで、またうまく源宇たちを丸め込んだことだろう。それこそ、自分の「秘密」とやらをネタにして。 英泉はちらりと、卓の横でせっせと茶をいれている黒髪の青年を見遣った。 桐野斎。水木いわく「アタシのオトコ」。 いかにも気の弱そうなこの男が御影本部で一、二を争う実力の持ち主だとはいまだに信じられないが、水木が自分の「対」に選んだのだ。真実は推して知るべしであろう。 「おーい、坊ちゃん、俺にも茶のお代わりなー」 源宇がそう言って、湯呑みを持ち上げた。 「ちっくしょー、こっちは酒だっ。飲まずにやってられるかよ」 「そうだそうだ。坊ちゃん、盃持ってきてくれー」 つい先刻手にしたばかりの祝儀を水木に巻き上げられた男たちが、わいわいと「酒」コールをする。斎はあたふたと、提子(ひさげ)や盃を運んだ。 ちなみに「坊ちゃん」というのは、源宇が斎につけた仇名である。礼儀正しくて言葉遣いもていねいなところから、良家の出なのだと想像したらしい。 「ちょっと、あんたたち。斎はアタシのオトコなのよ。あんまり勝手なコトしないでよね」 水木が柳眉をひそめて抗議した。 「まあ、いいじゃねえか、姐さん。なにも取って食おうってんじゃなし」 「あったりまえよっ。アタシだって……」 言いかけて、あわてて口をつぐむ。源宇がにやにやと笑って、 「おーや。めずらしいもん見ちまったなあ。もしかして……」 源宇が何事か遠話を飛ばした。ごく弱い波長。周りの者たちは気づいていないようだ。水木はぎろりと横目で源宇をにらみつけ、 「わかったわよッ。もうひと勝負、すりゃいいんでしょ」 「俺が勝ったら、さっき渡した祝儀、ぜーんぶ返してもらうからな」 「いいわよ。やってやろうじゃないの」 どうやら、また賭け札が始まるらしい。斎は心配そうに、水木のうしろに立っている。 酒が入ってますます賑やかになった男たちの見守る中、札が配られた。 「あーあ、せっかくの儲けがパアだわ。天国から地獄よ」 最後の勝負で惨敗した水木は、英泉の私室で大袈裟にそう言った。 「こんなことなら、さっさと勝ち逃げすりゃよかったわ。あー、もう、惜しいことした」 「勝負は時の運ですからね」 英泉はくすくすと笑いながら、水木に茶をすすめた。 「やだ。なによ、これ。薬湯じゃないの。あんたまでアタシを苛めるつもり?」 美しく化粧を施した顔で、恨みがましそうににらまれた。 「違いますよ。宿酔の予防です。お忘れかもしれませんが、私たちはいま、大事な仕事を抱えているんですよ」 江の国を監視し、動きがあればすぐに次の手を打たねばならぬ。正月だからといって、遊興に耽っているわけにはいかないのだ。 「忘れてないわよ、それぐらい。でもねえ」 水木は顔をしかめて、薬湯を飲んだ。 「こーんなに手応えがないと、気が抜けちゃって」 言いながら、湯呑みをとなりにすわっていた黒髪の青年に渡す。反射的にそれを受け取った斎は、目をぱちくりとさせた。 「あとはお願いね〜。アタシはそんなもん飲まなくても、だいじょーぶだから」 ちゃっかり、薬湯を「対」の青年に押し付け、自分は菓子鉢に盛られた葛餅に手を伸ばす。この葛餅は、槐の国の龍野と呼ばれる地方でしか採れない最高級の葛を使っていて、ほかではめったに口にできない名品であった。 「とりあえず、いまんとこは無事に荷物は届いてるわけよね」 もぐもぐと咀嚼しつつ、訊く。 「はい。『座』の者たちが協力しているからだと思いますが」 「それにしたって、どっかから横槍が入りそうなものなのにねえ」 典笙が根回しをしているとはいえ、定期的に和の国から、大量の物資が江の国を通過するのである。不審をいだく者や、漁夫の利を得ようとする者が現れても不思議ではない。それが、この一カ月あまり何事もなく過ぎているのだ。静かすぎて、かえって無気味である。 「宗の国が動いたって話も聞かないし……いったい、どうなってんのかしら。まさか気づいてないってことは……ないわよねえ」 「もしかしたら、もめているのかもしれませんね」 「もめてるって、宗の国が?」 「大国ほど、一枚岩であることは難しいですから」 「そりゃそーか。裏でイロイロあるのかもね」 水木は髪をばさりとかき上げて、薄い色の目を細めた。 「んじゃまあ、ぼちぼち、こっちからつついてみようかしらね」 「つつくというと、具体的には……」 「東雲の殿様に探りを入れんのよ」 東雲の荘は宗の国の国境近くにある荘園で、そこを納める東雲卿は江の国主と宗の朝廷の橋渡しをしているらしい。 「……てなことをアタシが言うと、なにかと角が立っちゃうからさー。今度の軍議のときに、あんたの発案ってことでヨロシクね」 三つめの葛餅を手に、水木はこのうえなくきれいに笑った。 |