孤の螺旋 by近衛 遼 ACT4 桐野斎は水木の「対」である。ただ、今回の仕事は九代目御門の内命によって水木が単独で受けたため、斎は御影本部に残っていたのだ。その斎が、ここに来た。 「いったい、どーしたのよ」 水木の疑問は当然である。 「アタシがここにいるって知ってるのは、九代目と冠のおやじさんぐらいのモンでしょ。あ、平良(たいら)も知ってるかしら」 平良とは、現在の御影長である。一年ほど前に前任の飛沫が勇退し、しばらく後任が決まらずにいたのだが、さきごろやっと平良が長に就いた。フルネームを篠山平良といい、軍務省長官の冠の遠縁にあたるらしい。 「平良どのにお願いして、特別に命令書を出してもらいました」 斎はごそごそと、書状を取り出した。 「おれも、水木さんと一緒に働きます」 「働くったってねー。砦落としに来たわけじゃないのよ。タヌキじじいを丸め込んだり、小悪党を脅したり、ま、せいぜい、わけもわかんないで切り込んでくるようなヤツを始末するぐらいのもので、アンタの出番なんかないと思うけど」 「なくてもいいんですっ。とにかく、おれをここに置いてください!」 なにやら必死になっている。水木はわずかに片眉を上げて、 「本部で、なんかあったの」 黒髪の青年が、ぐっとあごを引いた。 「あったのね?」 胸倉をぐいっと掴んで、さらに詰め寄る。 「なにがあったの。さっさと白状しなさい」 「……賭け事に誘われて、負けてしまって」 「それがどーしたのよ。ちょっとぐらい負けたって、払うもん払えばいいでしょ。アンタ、アタシよりよーっぽどたくさん貯金してんだから」 「それはそうですけど……」 「だったら、なによ」 「榊さんが……金は要らないから、その代わりにって……」 「なんですってーーーーーーーーっっっ!!!!!」 皆まで聞かず、四方の壁を揺らすほどの音量で水木が叫んだ。あまりのことに異常事態が起きたと思ったのか、隣室に控えていた絡が扉を蹴破るような勢いで飛び込んできた。素早く、水木たちと英泉のあいだに割って入る。 水木は斎の上体を掴んだまま、ちらりと英泉の方を見た。 「あー、えーと、その……悪いんだけど、しばらく席、外してくれる?」 さすがの水木も、このまま内輪の話を続けるのはまずいと思ったらしい。 「わかりました。宿の主人に別室を用意してもらいます。……絡、私の荷物をこれへ」 「御意」 英泉を庇うように立っていた絡が、すっと小刀を引いた。隣室から荷物を持ってきて、戸口で待つ。 「ごめんね〜。夕餉の時間には、下に行くから」 この宿屋は、一階が食堂になっているのだ。 「お気になさらず」 微笑しながらそう言い、英泉は部屋を出た。 夕餉の席には、髪をふわりと下ろし、美しく化粧をした水木がいた。服は御影本部支給の任務服だが、ロングサイズの薄紫のストールを肩から掛けている。英泉にはあまり馴染みのない姿だった。 「さっきは、ほんとにごめんねー」 英泉の姿を見つけると、水木は華やかな笑みを浮かべながら近づいてきた。 「このコがいい加減なこと言うもんだから、勘違いしちゃってねー。ほら、斎。英泉に『ごめんなさい』は?」 流し目を送って、ひじでつつく。黒髪の青年は、済まなそうな顔をして頭を下げた。 「お騒がせして、申し訳ありませんでした」 新兵の閲兵のときのように、固くなっているのがわかった。英泉は水木と斎に椅子を勧めて、 「お気になさらずと申し上げたでしょう。だれにでも事情はあります」 水木たちのあいだでどんな遣り取りがあったかはわからないが、とりあえずは納まるところに納まったらしい。 「それより、これからのことを話し合いませんか」 英泉は提案した。 斎が合流したからといって今後の作戦に変更はないが、江の城中や「座」の者たちの中には、本職の「御影」が江の都に入ったと知って考えを変える輩が出てくるかもしれない。和の国の「御影」の存在は、周辺諸国にとってはそれだけ脅威なのだ。 「桐野どのは、ここまでどのようにして来られたのです?」 隠密の任務である。まさかおのが素性を明らかにはしていないだろうが。 「護国寺の巡礼の一行にまぎれて国境を越えてきました。江の国に入ってすぐに、そのかたがたとは別れましたが」 護国寺とは和の国の北方にある戒律の厳しい寺で、代々、和王の幼少時の教育を任されている。九代目御門は護国寺の大僧正、慧林上人の教えを受けていた。 「なるほど。それなら大事はないでしょう。ですが、ここに長居は無用です」 江の国はいま、和の国や槐の国からの人や物の出入りに神経をとがらせているはずだ。 「とりあえず、一旦天坐に戻ります」 「えーっ、いいの? まだ、肝心なコトはなーんにもやってないのに」 水木が薄い色の目を丸くした。 「やってないからこそ、ですよ」 中途半端に事を起こしては出国は難しくなる。やるなら、完璧にやらねば。 「城中の駒が動くのは、いつごろになりそうですか」 「うーん。肝っ玉の小さいのが多いから、早くても年明けかしらね。なにしろ、不満はタラタラだけど保身もしっかり考えてるようなヤツばっかりだから」 「ならば、相手が痺れを切らすまで、われわれは高見の見物といきましょうか」 英泉の言葉に、水木は小さく口笛を吹いた。 「へーえ。あんたがそんなコト考えるなんてねー。伊達に砦のトップやってるワケじゃないのね」 「水木さんっ、失礼ですよ。鑑公は仮にも槐の『六家』の……」 斎がぼそぼそと注進する。 「いやあね〜、もう、またその話? 言ったでしょ。アタシはずーっと前から英泉のこと知ってるんだって」 「そっ……それはそうですが」 「はいはい、ストーップ。いまはお仕事優先でしょ」 反論を退け、水木は英泉に向き直った。 「今夜、城ん中にいる連中に仕掛けとくわ。で、あした中に撤収っていうので、どう?」 薄茶色の目がらんらんと輝いている。質感のあるルージュをひいた唇の端が、きれいに持ち上がった。 「疑心暗鬼に陥って、同士討ちしてくれればめっけもんってことで」 「よろしくお願いします」 英泉は和の国の「御影」と「水鏡」を前に、作法通りに礼をした。 翌日。英泉たちは江の国を出た。 水木の言う通り、「座」に餌は蒔いたし城の内部にも起爆剤を仕掛けた。あとは、それらが動き出すのを待つだけだ。 なまぬるい、と、あの男は言うだろうか。 馮夷。 和の国の「御影」と「水鏡」を手中にしながら、なにをぐすぐすしているのか、と。 天坐の砦が、枯色の木々の向こうに見えてきた。過日、砦を出てから一週間。あの男はいま、なにを考えているだろう。 ふっ、と、あたりの空気がやわらかくなった。 ああ、もう、天坐の結界の中だ。慣れ親しんだ肌触りと匂い。それが、この空間にはある。宜汪が基礎を築いたそれは、すでに英泉にとってはふるさとの空気になっている。 天坐の南門がゆっくりと開かれた。ずらりと並ぶ衛士の向こうには……。 「ご無事でなによりです」 やたらと仰々しい所作で礼をとったのは、ふだんは作法の「さ」の字も知らないといった調子の源宇だった。 「留守中、大儀」 定型の言葉を述べる。 「こたびの件につき、軍議を開く。各部の長に招集を」 「御意」 水木たちに目で合図を送り、源宇は下がった。広間へ続く柱廊を進む英泉の前に、馮夷の姿はついに現れなかった。 |