孤の螺旋
  by近衛 遼




ACT3

 江の国の都には、豪商たちの商業組合ともいうべき「座」と呼ばれる組織があった。
「これはこれは。若君御自らお出ましとは、いかなる仕儀にござりましょうや」
 国主御用達の茶商、典笙(てんしょう)は、恵比須顔にさらに笑みを乗せてそう言った。
「典笙どのには、お変わりなく」
 英泉も、にこやかにあいさつを返す。
「まもなく、天坐にも雪がまいりましょう。その前に、冬籠もりのご相談をと思いまして」
「その件なれば、近々手前どもより御砦にお伺いするつもりでおりました。お父上ご存命のおりには、われらをたいそう可愛がってくだされて……。はばかりながら、今後も幾久しくお付き合いを賜りたく」
 どこまで本気だろうか。なにしろ、海千山千のあきんどだ。聞こえのいい言葉ほど、鵜呑みにはできない。
「典笙どのにそう言うていただけて、誠に心強い」
 英泉は衛士姿の従者に目配せをした。この男は源宇の部下で、名を絡(らく)という。英泉が江の国に赴くにあたって、護衛として随身してきたのだ。
「絡、例の品を」
「は」
 絡は錦紗で包んだものを、典笙の前に置いた。
「……これは?」
「棗(なつめ)です。お気に召せばよいのですが」
 典笙は茶人としても有名な人物である。宜汪によれば、この男への付け届けには茶道具がいちばん効くという話だった。さて、結果はどう出るか。
「ほう。なんとも見事な。近いうちにぜひ、このお棗のために茶事を催さねばなりますまい」
 どうやら、うまくいったらしい。英泉はほっと胸を撫で下ろした。
「そのおりには、若君を正客としてお招きいたしましょうぞ」
「楽しみにいたしております。ときに……」
 そろそろ、本題に入ってもいいだろう。英泉がそう判断したとき。
「まあまあ、若君。『冬籠もり』のお話は、のちほどゆるりと」
 一瞬、かわされたかと思った。が、典笙は棗を懐に仕舞うと、
「それよりも、『座』になにかご用でもおありで?」
 恵比須顔のその目から、すでに笑みは消えていた。


 そして、まる二日過ぎた日の夜。
 城下の外れにある宿屋の一室で、英泉と水木は互いが掴んできた情報を交換した。この宿屋は和の国の「草」と呼ばれる工作員が経営していて、今回の仕事においては前線基地とも言える。
「ふーん。じゃ、その『座』とかいう組合のお偉いサンたちは、殿様に勝手されちゃ困ると思ってるわけよね」
「昔、彗の国に痛い目に遭っていますからね。宗の国に介入されるのは嫌なはずです」
 典笙の伝で接触した何人かの「座」の面々は、表立って国主と争うのは得策ではないと考えているらしかったが、かといってこのまま独走されては「座」の面子が立たない。国主を糾弾する大義さえあれば、いつでも動けるよう準備しているようだった。
「大義……ねえ。そんなもんなくても、ジャマならさっさとやっちゃえばいいのに」
「それでは、謀叛人として処罰されてしまいますよ」
 英泉は苦笑まじりに言った。
「ただでさえ、江の国主は商人の台頭をよく思っていないんですから」
「あーら。江の国なんて、商売人がいなけりゃ一日だってやっていけないでしょうが。たいした産業もないし、土地が肥えてるわけでもないんだから」
 たしかに、そうだ。だからこそ、国主は宗の国から南方貿易の商業権を得ようとしているのだろうし、「座」としては利権を国主に集中させることをよしとしないのだろう。両者の言い分にはそれぞれ理があり、しかも相容れない。
「で、とりあえず、エサは蒔いてきたわけね?」
「ええ、まあ」
 今回は、「槐の国の王族」という地位を思いきり利用させてもらった。江の国の民は権力にはおもねらないが、伝統や格式といったものには敬意を払う。かつて宗の国の支配下にありながらも、槐の国古来の慣習やしきたりを守ってきた「六家」に対しては、それなりに一目置いているのだ。
「城ん中にも叩けば埃の出そうなヤツがいーっぱいいたし、細工は流流ってトコだわね」
「あんまり、誉められた方法じゃありませんけど」
「なーに言ってんの。あんたは国を背負ってんのよ。清濁合わせ飲まなくてどーすんの。坊主みたいに真っ正直なことやってたら、あっというまに国なんか傾いちゃうわよ」
 けろりと、核心をついてくる。
「ま、もっとも、このごろはその坊主だって垢まみれなヤツが多いけどねー」
「西郷寺のように、ですか?」
 西郷寺とは江の都の西方にある古寺で、代々の国主の菩提寺である。現在の門主は国主と姻戚関係にあり、広大な荘園を保持していた。
「そうそう。生臭坊主の巣窟だもんねえ。あそこの門主に隠し子が何人いるか、知ってる?」
「五人までは知ってますが……」
 西郷寺に関する資料を思い起こしながら、答える。
「去年まではねー。今年の夏にまたりひとり生まれたから、六人よ〜」
「なるほど。うちの記録を訂正しておくよう、言っておきます」
 真面目にそう言うと、くすりと笑われた。
「んもう、ほんとに、なんでも自分ひとりでひっかぶっちゃうんだから」
 肩に手が回る。秀麗な顔が間近に寄せられた。
「そーんなことは、とっくに『年中葬式』なヤツがやってんじゃないの? 源宇が言ってたわよ。あいつって、書庫の主なんでしょ」
 いきなり馮夷の話題を振られ、英泉は一瞬、身を固くした。
 英泉が現場に出ることに関して、あの男は賛成も反対もしなかった。それどころか、ただの一言も発しなかった。まるでなにも聞こえていないかのように。
 当然、反対すると思っていたのに。よしんば容認したとしても、自分とともに江の国に出張ってくると思っていた。しかし。
 随身してきたのは源宇の部下だった。源宇自身は、砦の留守居役として残らねばならなかったから。
 砦を出るときも、馮夷の姿はなかった。源宇によれば、和の国との内々の作戦について籐司に報告するため、天呈の城に出向いているとのことだった。
 報告など、文を遣わせばよいだろうに。
 ふとそう思ったが、事は槐の国と和の国の今後を左右する。念には念を入れているのだろうと考えを改めた。
 いまごろ、どうしているだろう。国主との交渉が不備に終わったことはすでに伝えてある。次の手についても、しかり。「座」と国主の周辺を同時に揺さぶるには、いましばらく時が必要かもしれない。
「どうしたの」
 手入れの行き届いた指が、英泉の頤を持ち上げた。
「なにか、心配事?」
 薄い色の瞳が問いかけてくる。
「そーゆー憂いを帯びたカオもいいわね」
「水木さん……」
 形のいい唇が近づく。
「だめです」
 触れ合う寸前で、英泉は顔をそむけた。水木は首をかしげて、
「あら。どーして?」
「どうしてって……」
 英泉は困惑した。水木には、「アタシのオトコ」と公言してはばからぬ人がいる。いかにも人のいい、実直そうな青年。彼がどれほど水木のことを思っているかは、せんだって天坐の砦に来たときの様子から十分に伺えた。
「もしかして、決まったヒトがいるの?」
 水木はぱっと手をはなして、言った。
「だったら、ごめ〜ん。フリーだとばかり思ってたから」
 くすくすと笑いながら、続ける。
「そうよねー。こーんなにかわいいんだもん。イイヒトのひとりやふたり、いて当然よね。あ、でも、『六家』出身のお姫さまとの政略結婚とかいうのだったら、遠慮しないわよ〜」
 なにやら、勝手に話を進めている。
「で、どうなのよ、英泉。あんたの相手って、どんな人?」
 ふたたび、ずいっと迫ってきた。どう答えたらいいか迷っていると、
「よろしいですか」
 扉の向こうから、声がした。絡だ。
「なにか」
 居住まいを正して、問う。ドアが開き、絡が部屋に入ってきた。
「如月どのの『対』のかたが到着なさいました」
「え?」
「ええーーっっ??」
 素っ頓狂な声を上げたのは、水木だった。
「どっ……どーしてよ。今回はアタシのピンの仕事のはず……」
「水木さん〜」
 絡の背後から黒髪の青年が現れた。それは、御影本部で一、二を争うと評判の「御影」、桐野斎だった。