孤の螺旋
  by近衛 遼




ACT2

 翌々日の夕刻。
 英泉と水木は江の国にいた。
「なーんか、また九代目の読みが外れちゃったみたいねえ」
 久しぶりにまっとうな御影服に身を包んだ水木が、ため息まじりにそう言った。ちなみに髪もきっちりとうしろで結わえ、化粧も落としている。英泉にとっては見慣れた、なんとなく懐かしい顔がそこにはあった。
「九代目ったら、今年は運勢悪いのかしら。天坐の後釜のことだって『三柱』のじいさんたちかと思ってたら、あんただったしねえ、英泉?」
 しゃべり方だけは、あいかわらずだ。
「それは、私もびっくりしたぐらいですから」
 断罪されると思っていたのに、まさか砦を与ることになろうとは。
「でしょうねー。でも、まあ、うまくやってるみたいじゃない」
「ええ。皆がいろいろ助けてくれて……」
「あー、もう、そーんなイイ子な返事はいらないのよ。あんたがトップだから、みんな張り切ってやってんだから。『どーんなもんだい』って胸を張ってりゃいいの」
 水木らしい解釈だ。英泉はくすりと笑った。
「そこまで自分を買いかぶってませんよ」
「あーら、そう? ま、そーゆー奥ゆかしいとこも好きだけど」
 さらりと出された言葉。昔からそうだった。この人は、なんの迷いもなく心を言葉に変える。相手が何者であろうとも。
 自分を「王族」としてではなく、ただの「英泉」として見てくれたはじめての人。天坐の長となったいまも、変わらずに接してくれる。
 周囲の反対をおしてまで、自ら江の国に出張ってきてしまったのは、もう少しこの人と一緒にいたかったからかもしれない。
「ダメよ、そんな顔しちゃ」
 ちらりと流し目を送って、水木。
「え?」
「誤解しちゃうじゃないの」
「誤解って……」
「もしかしたら、いいのかなーって」
 すっと、秀麗な顔が近づいてくる。右腕が英泉の背中に回った。
 この展開は覚えがある。二年あまり前、いつもの通り任務帰りに砦に遊びに来た折りに。
『これは、内緒ね』
 ひっそりとそう囁いて、水木は英泉に接吻した。ほんの一瞬、触れ合うだけのものではあったが。
「よくないです」
 ことさら事務的に、英泉は言った。
「恋人に言いつけますよ」
「えーっ、それはやめてよ」
 心底、嫌そうに眉をひそめる。
「ああ見えても、斎はコワイんだから」
 水木の「対」である桐野斎は、いま御影本部で留守番をしている。というのも、九代目御門が今回の仕事を水木個人に依頼してきたかららしい。
 仕事。すなわち、槐の国と連携をとって国境警備の物資をすみやかに運搬させること。
 槐の国との協定を反故にせよと主張する強行派の目をごまかすため、御門は物資を一旦、江の国に運び、そこから槐の国に移すことにしたのだが、ここで問題が浮上した。
 先般の密輸騒動の影響で、江の国は槐の国に対して警戒を強めている。そんなときに、和の国からの物資を素通りさせてくれるかどうか。
 九代目御門は、それを「可」と判断した。
 江の国の国主は、ただ人がよいだけの凡庸な人物である……というのが、世間一般の見解であった。ゆえに、なにか見映えのする贈り物のひとつもすれば、和の国からの荷を見て見ぬふりをしてくれるだろう。よしんばゴネたとしても、「通行料」を上乗せすればいい。
 そこまでの条件を出して、まだなにか言われた場合の「脅し」として、御門は御影本部の切り札を用意したのだ。しかるに。
 江の国の国主は、首を縦に振らなかった。
「まーったく、あれのどこが『凡人』よ」
 仕事モードに頭を切り替えたらしい水木が、ふたたびため息まじりにそう漏らした。
「御影本部の情報もアテになんないわねー」
「われわれの情報でも、同じようなものでしたよ」
「慰めてくれるの? うふふ、ありがと」
 ぱちっとウィンクを投げて、水木は笑った。
「しっかし、これも『百聞は一見に如かず』っていうのかしらねえ。ちょっとつつけば、簡単にルートを提供してくれると思ってたのに」
「もしかして、また彗の国と手を組んだとか……」
 江の国は、かつて彗の国の支配下にあった。
「それはないわよ」
 あっさりと、水木は言った。
「過去の恩讐ってのは、なかなか拭えないモンよ」
「ならば……」
「宗でしょ」
「やはり」
 英泉は唇を噛んだ。
「どんな条件を出したと思います?」
「ん〜、手っ取り早い線だと、対彗の国戦略かな。江の国は、自分ちだけで国境を全部ガードできるだけの兵力ないし」
「でも、それだと今度は宗の国に付け入られてしまうんじゃ……」
「そうよねえ。てことは、あとは……商業権の独占ってトコかしら」
 宗の国から南方への貿易ルートは、現在、津の国と洲の国を経由している。それを江の国が独占すれば、経済効果は計り知れない。
「なんたって、商売人(あきんど)の力は侮れないもんねえ。あの国主にこっちの要求を飲ませるのは、思ったより大変かも」
 水木は大袈裟に空を仰いだ。
「いっそのこと、ホントに脅してやろうかしら」
 半ば本気なのだろう。薄い焦色の瞳がきらりと輝いた。
「時期尚早だと思いますけど」
「あら、そう? ざんねーん。気兼ねなくやれると思ったのに」
「それは最後の手段として……」
 英泉はゆっくりと、自分の意見を述べた。
「下から突き上げてみたらどうです」
「下から?」
「商人の力はたしかに侮れなません。ですが、それを逆手に取れば、国主の考えを変えさせることができるかもしれませんよ」
 宗の国から物品が流れることの利点は否定できない。が、それによるデメリットは必ずある。その部分を強調して、宗の国との取り決めは泡相場のようなものだと納得させれば、商人たちは国主に反対するだろう。
「ん〜、なかなかいい案だけど……なんかコネでもあるの」
「はい。心当たりは、いくつか」
 宜汪が存命の折りに懇意にしていたルートが生きていれば、なんとかなるはずだ。
「じゃ、決まりね。段取りは?」
「今夜中に根回ししてみます。水木さんは、その旨、九代どのに報告を」
「えーっ、アタシ、もう用済みなワケ?」
 拗ねたような口調で、水木が言った。
「まさか」
 英泉は苦笑した。
「事情が変わったということは、お知らせしなくてはいけないでしょう?」
「そりゃまあ、そうだけど」
 水木は頬を膨らませて、英泉をにらんだ。
「それぐらいのことで都に戻んなくても、遠話で十分よー。アタシももう一度、国主の周辺を探ってみるわ。なんか脅しのネタを拾えるかもしんないし」
 どうあっても、あの国主を「脅し」たいらしい。英泉は苦笑しつつ、
「わかりました。よろしくお願いします」
「じゃ、あとで落ち合いましょうね〜」
 ぴらぴらと、手を振る。
「はい。ご武運を」
「あんたもねー」
 言いながら、水木は英泉の頬に掠めるようなキスをした。