孤の螺旋
  by近衛 遼




ACT12

 東雲卿が宗の都に引き上げたことと、西郷寺がぴたりと鳴りを潜めたことで、「座」の解体を目論んでいた一部の商人たちは身動きがとれなくなったらしい。「獲らぬ狸の皮算用」で、安易に投機的なものに手を出していたあきんどの中には、身代が傾き、無一文になった者もいた。
「自業自得ってもんよね〜」
 朝餉の席で、水木は断言した。
「どうあがいたって、一升の枡には一升しか入んないのに、五升も十升も入ると思うのがマチガイよ」
「まあ、でもよ。狐相場っていう言葉もあるし、一生に一度や二度は、とんでもねえ儲け話があっても不思議じゃねえぞ」
 源宇が味噌汁をすすりながら、言う。
「そーんなの、命張ってるヤツんとこにしか回ってこないって。ラクして金儲けしようなんて、甘いわよ」
 賭けで大勝ちしたあとに決まって大負けする水木としては、今回の件で西郷寺や阿漕な商売人が漁夫の利を得なかったことに、至極満足しているようだ。水木たちは今日、和の国に帰ることになっていた。
「ま、このうえ江の国主がゴネるようなら、例のお宝の件をネタにゆすればいいわよ〜。あれって正真正銘、ホンモノの『加冠の杯』だもんねえ」
 おそらく、水木は単に個人的な感情で掠め獲ってきたのだろうが、たしかにあれは今後、対江の国外交の大きな武器になる。まさに瓢箪から駒、棚からぼた餅といった感じだった。
 そして、賑やかな朝餉のあと。
 英泉は水木に九代目御門への親書を預けた。中には水木たちへの報酬も入っている。
「なーんか、重いわねえ。もしかして、お土産付き?」
 薄々、察しているのだろう。上機嫌で文筥を振ってせた。
「み……水木さんっ。それ、九代さまへの親書ですよっ。そんなに乱暴に扱って……」
 水木の「対」にして御影本部で一、二を争う「御影」、桐野斎がおろおろと進言する。
「いいじゃないの、べつに。そんなに気になるんなら、アンタが持ってなさい」
 無造作に文筥を投げる。
「うわっ、水木さん〜」
 ほとんど涙目である。
 うっかり落として破損でもすれば、外交問題に発展しかねない。そんな必死の形相で、斎はそれを受け取った。
「なーによ。大袈裟ねえ」
「姐さん、お遊びが過ぎるぜ」
 にやにやしながら、源宇が口をはさんだ。水木はぴくりと片眉を上げて、
「ふーんだ。余計なお世話よッ」
 寸分の隙もなく化粧を施した顔で睨む。源宇は「くわばらくわばら」と両手を挙げた。英泉は居住まいを正して、
「如月どの」
 敢えて名字を呼ぶ。
 その意図に気づいたのか、水木は手を胸に宛てて礼をとった。顔は、ごっこ遊びをする子供のようだったが。
「九代どのに、よしなにお伝えあれ」
 公の口調で告げると、
「御意」
 神妙に答える。さらに、
「鑑公におかれましても、御身お健やかであられますように」
 完璧な返礼をしたあとで、水木はくすりと笑みを漏らした。
「あー、舌噛まずに言えてよかった〜」
 かくして、儀礼的な会話はものの数秒で終わった。
「じゃ、そろそろ行くわね」
 ウィンクを投げ、水木は言う。斎は文筥を大事に抱えて、戸口に向かった。源宇もそれに続く。英泉が席を立とうとしたとき。
「英泉」
 そっと、水木が囁いた。
「アタシ、わかっちゃった」
「え?」
「あんたの、相手」
 薄い色の瞳が、じっとこちらを見つめている。
「まーさか、あの葬式野郎だったとはねえ。アタシならまっぴらごめんだけど」
 葬式野郎。それはつまり、馮夷のことだ。
「水木さん……」
 どうして、わかったのだろう。水木がここにいたあいだ、あの男がこの身に触れたことはない。それどころか、まともに話もしなかったというのに……。
「でも、ま、あんたのために命賭けたんだから、政略結婚のお姫サマよりは数段イイわよね」
 うんうんと、頷く。
「実際、危なかったもんねー。あいつが魂寄せの禁術を使わなかったら、いまごろは……」
 一瞬、思考が固まった。
 なにを言った。いま、水木は……。
「……英泉?」
 異様な雰囲気に気づいたのか、水木が言を止めた。
「あんた、まさか……」
 知らなかったの?
 信じられないといった表情。

 魂寄せだと?
 どういうことだ。東雲の城から脱出したあと、自分はいったい……。
「……」
 声が出なかった。水木がさらになにか言っている。その声すら、もう聞こえなかった。

 ばかな。
 どうしてそんなことを。
 私など、なんの役にもたたないものを。
 天坐の砦を担う者は、ほかにも大勢いる。長となるべき人物もしかり。自分はただ、名ばかりの王族にすぎぬ。
 そんな私の「器」ひとつのために、あの男はおのれを犠牲にしようとしたというのか。魂寄せの術は、術者の命を引き換えにして、「呪」をかけられた者の魂を現世に戻す禁術なのだから。

 馮夷。
 馮夷。
 馮夷。

 息をするのも忘れて、英泉はその名を呼んだ。