孤の螺旋 by近衛 遼 ACT11 西郷寺の門主は、今年還暦を迎える。父親は現在の国主の従兄弟にあたるが、生母の身分が低く、五歳で出家させられたらしい。その後、異母兄たちが続けて没し、結局、生家は断絶した。 自分が出家せずにいれば、生家は安泰であったろうに。そういう思いが、ことさら強いのだろう。僧職にありながら、なにかといっては中央のまつりごとに介入している。 聖職者が野心を持つことの是非はさておき、「風見鶏」と噂される行状はいただけない。つねに利のある方に与し、自身はなんの苦労もせず、おいしいところだけをさらっていく。英泉は以前から、そんな西郷寺のやり方を不快に思っていた。 泥をかぶって、腕の一本もなくして、それでも手に入れたければそうすればいい。「権力」は魔物だ。下手をすると、最終的に自分が食われる。 今回の件に西郷寺が絡んできたのなら、早々に排斥するのが望ましい。その考えは英泉のみならず、天坐の者たちの総意であったようで、源宇は英泉の名代として、水木たちに西郷寺牽制を依頼した。 「まーかせといてっ。槐の『か』の字を聞いただけで震え上がるぐらい、しっかりばっちり脅してくるから」 水木は嬉々として、出かけていったという。 「……というわけで、東雲卿も寝殿や城門をぶっ壊されて慌ててるだろうし、また新しい動きがあるはずなんで、そのあたり、注意するよう物見のやつらに念押ししておくように」 軍議の席で、源宇がこれまでの状況とこれからの指針を述べた。各部の長が一斉に頷く。 「で、『座』の洗い直しの方は……」 「これがなかなか、難儀でな」 源杖が数葉の書類を差し出した。 「いまのところ、宗の国と通じている疑いのある者は四名。もっとも、単に商いの便宜上でなにがしかの繋がりのある場合もあろう。されど、相手はあきんど。こと商売に関しては、国を挙げてのいくさと変わらぬほどの覚悟をもって臨んでおる。そのあたりの見極めが、いささか難しい」 たしかに、商売人には商売人の大義があろう。それを失っては、一日たりとも立ち行かぬほどの。 「槐王陛下は御自らを『孤』と称されるそうですが、おそれながら、わたくしどもも商いの海に浮かぶ孤舟でござりまする」 いつだったか、典笙がそう言っていた。 「空を見、風を読み、雲を追い、雨や雷や雪に備え、舟を無事、港に着けるのがわたくしどもの役目にて」 淡々とした物言いの中に、あきんどの気概を感じたものだった。 「まあ、姐さんたちが西郷寺を抑えりゃ、『座』ん中のキツネも尻尾を出すと思いますがねえ。この件は姐さん待ちってことで、よろしいですかね、英泉さま」 源宇が訊いた。英泉は空いたままの隣席をちらりと見遣り、「諾」と答えた。 今日もまた、あの男は姿を見せなかった。江の国と宗の国に対する、最終的な作戦を詰める大事な軍議であったのに。姿を現わさないばかりか、意見書さえも提出していない。 いったい、どういうつもりなのだろう。刑部参謀が会議に欠席するなど、本来なら懲罰ものである。いかに天坐の砦が規則に寛容とはいえ。 長である英泉がひとこと命じれば、強制的にでもあの男を軍議の場に引っ立てることはできる。だが。 それが、なんになるというのか。そんな強権的な方法で臣下を従わせても、得るものはなにもない。 そこまで考えて、英泉は苦笑した。 臣下だと? そんな言葉で、あの男を表わせるはずもないのに。 馮夷。なぜ、なにも言わぬ。なぜ、おまえは……。 答えなど出ないとわかってはいた。が、英泉はその夜、牀の上で同じ問いを繰り返さずにはいられなかった。 翌日。源宇の進言に従って、英泉は公務を休んだ。 天坐の者たちは一兵卒に至るまで優秀だ。長が一日や二日休んだとて、いや、先般のように半月以上も他国での工作活動に従事していても、砦の機能が停滞することはない。 亡き宜汪は、市井にあるあいだに幅広い人脈を築いていた。それがいま、天坐の砦を支えている。 源宇は「六家」と呼ばれる名家の出身で、逓も代々槐王の侍従を勤める家柄の出だが、馮夷は宜汪が隠遁していたときに、薬作りの助手として雇っていた少年だった。馮夷自身がおのれの出自を語ることはなかったが、宜汪によれば、馮夷の父親は波里(はり)の国の出身で、莫の国の圧政に耐えかねて国を出てきたらしい。 南方の島国である波里は、もう三十年近く莫の支配下にあった。貧困と政治的弾圧のために、国を捨てて難民となる者がいまでもあとを絶たない。 同じように、国を追われた者やなんらかの事情で在所にいられなくなった者が、天坐の砦には多かった。宜汪が砦を与ったときに、そういった境遇の者を積極的に登用したのだ。源宇の部下である絡などもそのひとりで、外回りの衛士の多くは槐の国以外の出身だった。 そのことは、かえって自分にとってはよかったと思う。もし、生粋の槐の民ばかりに囲まれ、王族としての振る舞いを期待されていたら。七歳の子供に、それは相当な重圧となっていただろう。源杖や逓から学問や作法やしきたりなどを教授されるだけでも、当時の自分には精一杯だったから。 宜汪が守役として馮夷を置いたのは、そんな負担を少しでも軽くするためだったのかもしれない。なにしろあの男は、天坐に来てからも英泉を呼び捨てにしていたのだ。 それはいまも変わらない。公式の場以外では称号で呼ぶこともなく、敬称さえ付けない。あの男の中で、自分という存在はどういうものなのだろう。そして、あの行為は……。 英泉は頭を振った。 なにを考えているのだ。いまはそんな場合じゃない。西郷寺に潜入している水木たちが帰還したら、すぐに「座」に仕掛けられるよう準備しておかなくては。 細かい打ち合わせは、すでに源宇たちが行なっているだろう。自分はそれらを吟味し、最終的な決定を出すだけ。 判断を誤らぬように。 いまは休息をとろう。源宇の言うように、これ以上、皆に心配をかけぬように。 英泉は逓の運んできた薬湯を口にして、再び牀に戻った。 「遅くなっちゃって、ごめんなさいね〜」 そう言って水木たちが天坐に戻ってきたのは、五日後のことだった。 「もーっと早くケリがつくかと思ってたんだけど、あの生臭坊主、思ったより用心深くてねー」 肩をとんとんと叩きながら、続ける。 「もうちょっとで、寺ごと吹っ飛ばすトコだったわよ」 けらけらと笑う水木の横で、黒髪の「御影」が深いため息をついている。どうやら、いろいろ大変なことがあったらしい。 「ま、門主を殺っちゃったらマズいから、ナンバー2の……ええと、なんて名前だったっけ?」 となりにいた「対」の青年にお鉢を回す。 「郎丙(ろうへい)です」 斎が端的に答えた。 「そうそう、その郎丙とかいうボーサンの首を獲って、門主にプレゼントしてきたわよ〜」 なんでも、門主の枕元にその首級を置いたらしい。死人を見慣れている僧侶とはいえ、生首と同衾したくはあるまい。 「余計なコトしないで、せいぜい子作りに励みなさいって言っといたから、しばらくはおとなしくしてると思うけどねー」 くすくすと笑って、 「そーゆーわけで、西郷寺の方はオッケーよ。あとは『座』の膿を出すだけね」 「源杖の配下の者が、すでに持ち場についています」 「んじゃ、チェックメイトでいいんじゃない?」 いたずらっぽく、水木は薄茶色の目を細めた。 「そうですね」 これで、江の国のルートは確保できる。英泉は最後の駒を動かすよう、下知を下した。 |