炎の淵より by 近衛 遼 其の八 槐の国に入る前に、城へ立ち寄るように。 御門から焔への下命があったのは、出立の報告のために集合場所になっている講堂に入った直後だった。 「なんでよ。俺はべつに、じいさんに用はないよ」 「おまえになくても、七代さまにはある」 帥が憮然として言った。 「今回の任務は、一歩間違えば国を上げてのいくさになりかねん。くれぐれも、勝手なことはするなよ」 「勝手なことなんて、してないでしょ。いちばん効率よく、任務を遂行してるだけだよー」 たしかに、そうだ。もっとも、ほかの者のことは爪の先ほども考えていないが。 真はこの男と出会ったときのことを思い出していた。 砦の中に潜入していた自分たちになんの連絡もなく、焔は一斉攻撃を仕掛けた。退路を確保できたからなんとか助かったものの、もう少し火の回りが速かったら、どうなっていたかわからない。 「なんだかんだ屁理屈こねて、要するにじいさん、真に会いたいんだろ」 子供のような口調で、焔は言った。 「やーっぱり、アンタ、お手付きだったワケ?」 あごを、つい、と持ち上げられた。 「違います」 そのままの姿勢で、答える。 「……と、以前にも申し上げたはずですが」 淡々と、言葉を継ぐ。 「ふーん。ま、どっちでもいいけど」 すっと手を引いて、焔はうそぶいた。 「いまは俺のもんだからね。返せって言ったって、返さないよ」 返すも返さないも、ない。だいたい、諜報局に戻れるなんて思っていない。御影への出向を命じられたときから、その覚悟はできている。 「とにかく、奥殿に寄るようにとのお達しだ。わかったな」 重々しく念を押し、帥は講堂を出ていった。 「なーにが『お達し』だよ。古狸が」 ぶつぶつと文句を言いつつ、焔は任務の予定表にサインした。 「行くよ」 短く、言う。真は無言のまま、それに従った。 城に寄るとなれば、行程は五割増しぐらいになる。 当初の予定では、明日の朝には槐の国に入れるはずだったが、おそらく丸一日はずれるだろう。御門の「用」がどんなものかにもよるが。 都に行くなら、家の様子を見てこようか。どうせ、もう帰ることもない。室内を片づけて、あとあとのことを大家に頼んでおかなければ。 そういえば、あれから家賃を払っていない。それもちゃんと精算しないと。 「なーに考えてんの」 前を走っていた焔が、いきなり立ち止まった。 「うれしい?」 「え?」 質問の意味を計りかね、真は眉を寄せた。 「暁、って言ったっけ? アンタのオトコ。都に入ったら、会いに行くつもりなんだろ」 「そんな……」 まだ誤解しているのか。あのときのことを。 焔は自分に、「暁」という情人がいると思い込んでいるらしい。ただ、子供のころの夢を見ただけなのに。 「許さない」 双眸が冷たく光る。ここしばらく感じなかった恐怖が、真を襲った。 「……!」 いきなり体を倒された。口呪と印。緊縛術だ。 どういうつもりなのだろう。自分はいつでも、この男を受け入れているのに。それこそ時間も場所も選ばずに。 そうしたいのなら、命じればいい。自分は拒んだりしない。そんなことぐらい、この男もわかっているはずだ。 素早く、さるぐつわが噛まされる。 「これで、解術はできないねえ」 にんまりと笑って、焔は真の衣服を剥いだ。 「会わせないよ」 肌に舌を這わせながら、言う。 「絶対に、ね」 きつく吸い上げる。あちこちに標が散る。体がだんだんと作られていく。 「……ん………っ」 声を出すこともままならない。刺激が内部を潤ませていく。脚が、自然と開いた。 「そうだよ」 耳元で、声。 「アンタは、俺だけをほしがってればいい」 熱いものが、押し入ってくる。中を大きくえぐられる。理性など入り込む余地はなかった。自分の内にあるものを隅々まで感じて、真は狂い続けた。 結局。 城に着いたのは、予定よりもかなり遅い刻限だった。 「ここで待ってて」 奥殿近くの庭園で、焔は言った。 「じいさんの話、聞いてくるから」 焔はまだ、自分が御門の「手付き」だと思っているらしい。 「……まあ、いいか」 四阿にすわって、真は独白した。 事実など、あの男にはどうでもいいのだ。ただ自分が信じたことだけが、真実。それ以外は無意味なのだから。 真はぼんやりと庭の木々をながめた。 そういえば、いまごろだったっけ……。 薄いたまご色の光の中、真はあの日を思い出していた。 『ここで、待っていなさい』 父にそう言われて、昏家の別邸の庭にいたとき。自分ははじめて暁に会った。ちょうど、こんなふうに明るい光が満ちていて、風に梅の花弁が舞っていた。 『あんた、だれ』 首に小柄をつきつけてそう言った相手に、自分はなぜか恐れも嫌悪も感じなかった。 『遠矢真』 端的に名乗った。 『真』 『うん』 『オレは、暁』 少年は小柄を引いて、そう言った。 『そっかー。遠矢のコドモなんだ』 鼻がひっつくほどの距離で、暁は言った。真の父親と暁は、すでに面識があったらしい。 『だったら、いいや』 『え?』 『オレのジャマしても、許してやる』 『……ごめん』 『なによ』 『邪魔して』 そう言ったら、暁は両眼をまるまると広げた。そして、数瞬ののち。 四阿に笑い声が響いた。 『おっもしろーい。真って、面白いねえ』 暁は腹を抱えて肩を上下させている。なにがそんなに面白いのか、自分にはさっぱりわからなかったけど。でも、暁が笑っていたから、こっちも楽しくなった。楽しくなって、一緒に笑った。 過去の幻が現れる。楽しそうな、暁の顔が。 あの男が暁なのではないかという疑問は、いまだに消えていない。どんなにひどいことをされても、最初のときに見た寝顔が脳裏から離れないのだ。 愚かだとは思う。結局は、自分の心を守るために、無理矢理そう信じたいだけなのかもしれない。 『真』 声が、聞こえた気がした。 空耳か。いや、これは……。 そろそろと振り向く。そこには、大きく目を見開いた焔がいた。唇が震えていた。どうしたのだろう。常の様子とは明らかに違う。 「……し……ん…」 呪文のような呟き。焔は頭を抱えてしゃがみこんだ。 「どうしました!?」 あわてて、側に寄る。まるで別人のようだった。それこそ緊縛術にかかったかのように、全身をこわばらせている。 「大丈夫ですか。いま、だれか呼んで……」 奥殿に向かおうとしたとき、腕をがっしりと掴まれた。 「……あ……まね……」 しぼり出すようにそう言って、焔はその場に崩れた。 |