炎の淵より  by 近衛 遼




其の六

 槐の国は現在、宗の国の公卿が国主の座に就いている。といっても、本人は宗の国から出ることはなく、実際の執務は配下の文官たちが交代制で出向して行なっていた。
 属国を持つ国は、なにも宗の国だけではない。俗に東原五州と呼ばれる台、莫、和、宗、彗の五国はすべてそれぞれに属国を持っているが、宗の国がほかの国と決定的に違ったのは、直接支配でもなく間接支配でもない、特殊な統治体制にあった。
 たとえば、和の国は属国に対して間接統治を行なっている。基本的に、各国の執政はその国の出身者に任せているのだ。もっとも、和の国の方針に従わない者を執政者とすることはなかったが。
 また、彗の国は基本的には直接統治で、属国に自国の有力な豪族や文官を執政官として派遣し、まつりごとの中枢に据えていた。
 対して。
 宗の国は「名」を重視する体制でありながら、「実」の責任を最後までとる気もないような、じつに中途半端な状態であった。
 定期的に人員の入れ替えがあるようでは、だれもその仕事に心血を注ぐはずもない。自分の任期のあいだ、無事に過ごせたらいいのだから。
 こうして、宗の国から出向してきた執務官たちのあいだには事なかれ主義が定着し、さらには属国に滞在しているあいだに甘い汁を吸おうとする輩も現れ、贈収賄が横行した。
 いちばん被害をこうむるのは、市井の者たちである。
 槐の国において独立の動きが起こったのは、至極当然と言えた。


「なにしてんの」
 例によって、うしろから声がした。まったく、どこに行くにも見張っているのか。
 真は槐の国の資料を書棚に戻した。
「今日は、午後の訓練はないと伺いましたので」
「で、お勉強? 真面目だねえ」
 真が仕舞ったばかりの資料を取り出す。
「なんで、これを?
「近々、宗の国関連の任務に就くと言っておられたでしょう」
「ふーん。で、槐の国の内情を調べてたわけ」
 口の端を持ち上げる。びりっ、と空気が震えた。瞬時に資料は霧散した。
「なにを……」
「おこがましいんだよ」
 のどを掴まれた。壁に体を押しつけられる。
「下っぱが、任務の内容にまで探り入れてさ」
 もう片方の手が、衣服のあいだに滑り込んだ。
「たしかに、アンタを連れていくって言ったよ。でもね」
 昨夜、さんざん焦らされた場所を愛撫された。腰の力が抜ける。
「それは、アンタをここに置いていったら、ほかのやつらに輪姦されると思ったからだよ」
 下衣が乱暴に下ろされた。
「このカラダだもんねえ。みんな、黙ってるわけないよ。俺がいないとなったら……どうなると思う?」
 うしろに指が進んだ。手加減などない。真はひざを上げた。できるだけ、衝撃が少なくなるように。
「アンタ、いっぺんに五、六人は相手しなくちゃいけなくなるよ。夜昼関係なく、ね」
 そんなふうにしてるのは、だれだよ。夜昼関係なく、場所も選ばずに貫いて。
「それよりは、いいでしょ」
 掻き回された。奥まで充血していく。
「んっ……あ……」
 声が出た。首に腕を回す。指が抜かれ、それが侵入してきた。
「ほーら。すぐに入っちゃうんだから」
 すぐに受け入れなければ、どんなことになるか。いくらなんでも、もうわかっている。このままここで死ぬわけにはいかない。なんとしてでも、生き延びてみせる。現場に出るまでは。
 脚を絡ませる。角度を調節する。午後の訓練の代わりだと思えばいい。こんなことぐらい。
「なーんか、積極的だねえ」
 早く終わってほしいからね。
「動きも……いいし」
 腰をがっしりと掴まれた。深く受け入れたまま、真は体を揺らした。


 最期をまっとうする。
 そう決めてから、毎日がそれほどつらくはなくなった。食事もふつうに摂れるようになったし、焔の言葉にも過剰に反応することはなくなった。
 犬でもオモチャでもいい。最後に、自分は人になる。それでいいのだ。
 現場に出るためには、それなりの力をつけねばならない。自分をいたぶるだけのように思えた焔の訓練に対しても、最近は真面目に取り組むようになった。
「そんなに真剣な顔されると、調子狂うねー」
 緊縛術をかけつつ、焔は言った。
「このまま一発、って思ってたのが、萎えるじゃないの」
 それはそっちの都合だろう。おれが術を解けなければ、好きにすればいい。最初のときのように。
『解!』
 空気がはじけた。体がうしろに飛ぶ。
「あーあ、やっちゃった」
 焔が右手を振った。
「術を上乗せしようとしてるときに解術かけたって、反発するだけだよ」
 獲物を仕留めた狩人のように、言う。
「まだまだ、読みが甘いね」
「すみません」
 以前は言えなかった言葉が、いまはすんなりと口にできる。焔はまじまじと真を見た。
「……ほーんと、調子、狂うよ」
 前髪をかきあげつつ、焔は頭を振った。
「じゃ、次は攻撃結界ねー」
「はい」
 痺れる体を、なんとか起こす。
 日が落ちるまで、訓練は続いた。


 その日。
 夕餉の席で、御影長の帥が宗の国に関する作戦の概要を述べた。
「これは、前回に引き続き、兵部省との合同作戦となる。各部とも綿密な打ち合わせが必要だ。事が公になれば、内政干渉との批判も浴びかねない。よって、行動は迅速かつ秘密裏に。よいな」
 宗の国方面の任務。それは、真の予想した通り、槐の国の独立運動に対する工作だった。
 槐の国は、そのほとんどが険しい山岳地帯である。地理に暗い者が迷いこめば、まず生きては帰れない。術を使って移動できる者か、よほどその辺りの地形に詳しい者でなければ、槐の国での任務は果たせまい。
 できるだろうか。自分に。移動の術は使えるが、敵の防御結界を破らねば意味はない。
 知識はある。だが、実戦でどこまで使えるかは未知数だ。
 焔はおそらく、術を使って動くはず。あの桁外れのパワーの持ち主に、どうやったらついていけるのだろう。
 助けてもらうわけにはいかない。それでは、現場に立つ意味はない。
「なーに難しい顔してるの」
 戸口で、焔に捕まった。
「槐の国に行くかもしれないって、アンタだって思ってただろ。書庫で槐の国の資料を見てたぐらいだもんね」
「はい。予想はしていました」
「だったら、なによ」
「……本当に、連れていってくれるんでしょうね」
 確認する。焔はびっくりしたような顔をした。
「アンタ、そんなに俺と一緒にいたいの」
「答えてください」
「そっちこそ、答えてよ」
 どう言えばいいのだろう。ちゃんと死にたいなんて、言えるわけがない。
「前に……言ってたじゃないですか」
 大丈夫だろうか。これで。でも、ここで疑念をいだかれては困る。
「あなたがいなくなったら、おれは……」
 皆までは言えなかった。いくら、色子のような毎日を送っているにしても。
「……ふーん」
 真の言葉をどう解釈したのか、焔は可笑しそうにくすりと笑った。
「かわいいこと、言うんだねえ。んじゃ……」
 肩を抱かれた。
「答えは、部屋に戻ってからってことで」
 耳朶を舐めるように、焔は囁いた。