炎の淵より  by 近衛 遼




其の三

「念のために言っとくけど」
 男は、ゆっくりと視線を巡らせた。
「これは俺のもんだからね」
 金色の瞳が刺すように向けられる。その場にいた者たちは、無言のままその宣言を受諾した。


 奥殿に召された日。真は御影本部への出向を命じられ、そのまま自宅に戻ることなく、ここに送られた。
 御影宿舎は集合場所にもなっている講堂を中心に四つの棟に分かれていて、新参の者は北館に入るのが慣例だった。が、真は着いてすぐに東館に部屋を与えられ、御影長の帥(すい)に連れられて講堂まで降りてきた。
 ここに、いるのだろうか。あの男が。
 じつのところ、東館に案内されたとき、あの男が部屋で自分を待っているのだと思っていた。副官というのはただの名目で、実際は伽をさせるのが目的だろう。それも、かなりサディスティックなやり方で。
 だが、部屋にはだれもいなかった。私物を納め、講堂に向かう。
「皆に紹介する」
 帥は言った。ほかには、なにひとつしゃべらない。真も口をきかなかった。どうせなにを訊いても、答えてはくれまい。自分は、御影の戦力として必要とされているわけではないのだから。
 講堂には、五十人ばかりが集まっていた。あとの者たちは、それぞれ任務に出ているらしい。
「新入りだ。焔の副官になる」
 ざわ。
 いやな空気が流れた。いろいろな感情を込めた視線が、まとわりついてくる。できるだけ考えないようにして、真は床を見つめていた。
「焔はどこだ?」
「ここだよー」
 天井から、声が降ってきた。帥の横に、ひらりと舞い降りる。
「思いのほか早かったねえ、真」
 男ははっきりとした発音で、真の名を呼んだ。背筋が震える。
 これが「呪」か。名前を支配して、印を封じる。おそらく、あのときの呪縛印はいまだ解除されていない。だから、名を呼ばれただけでこれほどの恐怖を覚えるのだ。
 唇を噛み締めた。ここで崩れてはならない。
「あらあら。力、入れちゃって。いまからそれじゃ、もたないよ」
 長い指があごに触れた。反射的に横を向く。男はくすくすと笑った。
「アンタみたいなやつ、潰すのはわけないんだから」
 だったら、潰せばいい。簡単なことじゃないか。わざわざこんなところに呼ぶ必要などない。
「念のために言っとくけど」
 金眼の男は、ゆっくりと周りに視線を巡らせた。
「これは俺のもんだからね」
 宣告。その場の空気が一気に凍る。帥が憮然とした顔で、
「焔。七代さまからの言伝だ。くれぐれも……」
「わかってるって。大事に使えばいいんでしょ。まったく、じいさんもしつこいんだから。……アンタ、もしかして、じいさんのお手付き?」
 暴言だ。キッとにらみつける。
「違います」
「だってさあ、アンタをくれって言ったら、あからさまにヤな顔してたもん」
「おれのことはともかく、その発言は七代さまに対して不敬です」
 口の中がからからになってきた。話をするだけで、こんなに体力を消耗するとは。
「……いい度胸だね」
 声音が変わった。
「口答えするなんてさ」
 冷ややかな笑み。がっしりと腕が掴まれた。
「焔!」
「ジャマしたら、殺すよ」
 たしかに、この男なら視線ひとつで人を殺すことができるだろう。術などを使う必要もない。この男の存在そのものが「恐怖」なのだから。
 ひきずられるようにして、真は講堂を出た。


 男の部屋は、東館の四階にあった。真の部屋は三階で、ちょうど真下になる。
 四階には、ほかにだれもいないようだった。部屋に入るなり、男は強力な結界を張った。防御結界と封印結界。さらには攻撃結界まで張っている。
 間者として他国に潜入することが多かったため、真には結界術に関して相当な知識があった。三重の結界。まるで、いくさばにいるような。
「へえ。わかるんだ」
 男は印を組む手を止めて、言った。
「それほど馬鹿でもないんだね。でも……」
 右手が振り下ろされた。突風。瞬時に壁まで飛ばされた。
 のどに指がくいこむ。背中を強打したせいもあって、息ができない。目の前が銀色になる。気を失う直前に、横に投げられた。
「犬のしつけは、最初が肝心だからねー」
 だれが犬だよ。激しく咳き込みながらも、顔を上げる。男の手が真の髪を掴んだ。
「前言撤回。犬じゃないよ。アンタは犬以下だ」
 黄土色の目が、さも楽しげに細められる。
「犬なら、もっと素直だからね」
 衣服が派手な音をたてて引き裂かれた。


 最初のときのような術はかけられなかったが、抵抗を封じるためか、やたらとあちこちのツボや関節を刺激された。手足の感覚はほとんどない。自分の体がいまどうなっているのかさえ、はっきりしない。もっとも、強引に押し込まれたその場所だけは、過日よりもさらに敏感になっているようだった。
「いいねえ。こっちが動かなくても、吸い付いてきてる。アンタ、ほんとはすっごい淫乱なんじゃないの」
 言葉でも嬲るつもりか。勝手に言ってろ。おれには、男をくわえこむ趣味はない。
「まーた、そんな顔して。ますますコーフンするなー」
 ふたたび、動きが激しくなった。突き上げられる痛みと、圧迫感。感情とは関係なく変化していく体に、嫌悪すら覚える。ただの生理現象だ。そうは思っても、男の手がそれを弄ぶのを見ると、吐き気がした。
「ダメだよ。目をつむっちゃ。これは、命令」
 命令。仕方なく目を開けて、事実を見据えた。
「もうすぐだねえ。でも……」
 握り込まれた。思わず、呻きが漏れる。
「先にいったら、許さないよ」
 無理だ。中の刺激に連動して、その部分はもう最終段階に入っているのに。
 奥歯を噛み締める。なんとか意識をそらそうとしたが、その努力はあえなく弊えた。
「あーあ」
 男は目の前にその手を持ってきた。
「許さないって、言ったのに」
 罰だよ。
 耳元で、囁かれた。要求を察し、たじろぐ。が、見逃してくれるほどこの男は甘くない。
「ほら」
 促された。真は目を伏せて、それを口に含んだ。


 男が真の体をはなしたのは、夕刻になってからだった。
「腹がへったねえ」
 身繕いをしながら、男は言った。
「そろそろ晩飯の用意ができてるころだから、先に行ってるよー」
 ひらひらと手を振りながら、出ていく。ドアの閉まる音が、やけに遠くで聞こえた。
 これが、おれの仕事なのか。朦朧とした意識の中で、真は思った。
 あの男は……焔は、どうしておれを選んだのだろう。伽のためだけなら、もっと見目よい者も床上手な者もいるだろうに。
 逃げることはできない。そんなことはわかっている。でも。
 悔しかった。情けなかった。自分が粉々に砕けてしまったようで。
 窓の外には、燃えるような夕焼け。その色は、あの男とはじめて会ったときの炎の色に似ていた。