炎の淵より  by 近衛 遼




其の二十八

「そなたには、すべてを告げておくべきであった」
 御門は言った。
「焔のことは、もう存じていよう」
 焔が、暁であることを。
「御意」
「すまぬ」
「七代さま……」
 真は顔を上げた。御門の苦しげな顔が間近にあった。
「こちらへ」
 御門は真を牀に戻し、自らは長椅子に座した。しばしの思案ののち。
「あれを作ったのは、わしじゃ」
「作った?」
「しかり。わしは『焔』を作った。そのために、『暁』を封じて」
「なにゆえ、そのような……」
「周の形見を、失いたくはなかった」
 十年前のクーデター。あのとき御門は、心から信頼していた片腕を失った。だから……。
「そなたの父も周と運命をともにした。国を守るためのいくさならいざ知らず、謀叛などという、つきつめればわしの不徳が原因で。悔やんでも悔やみきれぬ」
 沈痛な面持ちで、御門は言を繋いだ。


 近衛府の将校たちを中心としたクーデターは、じつに鮮やかなものだった。
 なにしろ、王のいちばん近くに仕える部署である。城を占拠するのは比較的容易だったし、王の身柄の拘束もそう難しくはないと思われた。
 彼らにとってただひとつの誤算は、国境へ向かっていたはずの昏一族の長が、いまだ城内に留まっていたことだろう。
 クーデターの数日前、東部国境の砦が奇襲を受けて全滅したとの知らせが都に届いた。宗の国が強行策に打って出たかと、御門は東部へ援軍を送ること決めた。その指揮を任されたのが、王の側近だった昏周(こん あまね)だった。
 クーデターの首謀者は「『昏』なき城は丸腰に同じ」と考えたらしい。国境への援軍が都を発った翌日の夜、叛乱軍は一斉蜂起に踏み切った。
「のちに憂いを残してはなりませぬ」
 周は御門にそう上奏したという。都に巣喰う悪鬼をことごとく狩る。おのれの命と引き換えにしてでも。
 事実、周は囮となって叛乱軍を一カ所に誘導し、殲滅を果たした。近衛府のあった東側の城郭は一昼夜燃え続け、ほとんどもとの形を残さなかったらしい。
 その炎の中で、周も真の父も命を落とした。暁も同じ運命を辿ったと、真はずっと思っていた。あの日、奥殿で「暁」に再会するまでは。
『あまね』
 金の瞳を見開いて、あの男は言った。暁と同じ発音で。
 それで確信した。「焔」は「暁」なのだと。
「七代さま」
 真は、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「暁の眼は、どうして……」
 自分の知っている暁は、ほかの和の民と同じく黒い眼だった。
「突然変異であろうな」
「突然変異?」
 黒髪黒目の民族である和の国にも、ときおり違う色素を持つ者が現れる。それは銀髪蒼眼の昏一族のように固定したものではなく、まったく突発的に生まれるのだ。どちらかというと保守的な和の民は、そういった子供を疎んじた。
 おそらく、暁が生まれてまもないころに一度、眼が金色になったことがあったのだろう。それゆえ、暁の両親は子供を山の神に捧げた。その赤子を、本部へ帰還する途中の「御影」のひとりが拾い、御影研究所へ送ったのだ。
「暁は、現役の『御影』が近づくのを躊躇するほどの強い『念』を発していた。捨て置いては危ういと思うたのじゃろう」
 周に会うまでの記憶がほとんどないと、暁は言っていた。
 あたりまえだ。御影研究所では、おそらく「人」として扱われていなかっただろうから。
 御影でさえも及び腰になるような強烈な「念」。それを戦闘能力として使えないかと、実験を繰り返されていた。
 狭く暗い場所に閉じ込められて、いろいろな音を聞かされたと暁は言っていた。いまならわかる。同調実験だ。波長を変えて、次々と脳に刺激を与えて、どれにいちばん反応するか。それを調べていたときに、暁の「力」が暴発したのだ。
 もし、その場に周がいなかったら。
 考えるだに恐ろしい。
 暁は周に命を救われた。否。命だけでなく、心も救われた。だから暁は、あんなにも周を愛したのだ。ほかになにも要らないと思えるほどに。
 その周を目の前で亡くした。
 天角の砦で、暁の意識を垣間見たときのことを思い出す。
『いやだ』
『死なないで』
 悲痛な叫び。でもその願いは叶わなくて。
『駄目だ』
『来るな』
 愛するがゆえに切り捨てた。あの人の最後の想い。
 そして、暁は生き残った。
「ひどい状態であった」
 とつとつと、御門は当時の状況を語った。
 それまでは「力」を使うときにしか出なかった金の瞳が定着し、暁は常に激しい「念」をあたりにばらまくようになった。精神の均衡を欠いたそれは、周囲にはなはだしい損害を与えた。
 当然ながら、処分すべしという意見も出た。が、御門にはできなかった。周の遺したものを滅することなど。
「もっとも、結果的には同じであったのかもしれぬ。『暁』の記憶を消してしまったのじゃから」
 暁としての記憶を残したまま「力」を抑えることは不可能だった。御門は二者択一を迫られた。すなわち、「器」か「心」か。
 御門は「器」を選んだ。それがいちばん、多くを納得させられる答えだと自分に言い聞かせて。
 生まれたときから「御影」になるべく教育されたエリート。常にトップに立ち、何事があっても揺るがない。「焔」はそんな人物として作られた。
 自分はなにをしても許される。焔のそういった傲慢な部分は、与えられた人格だったのだ。
「七代さま」
 真は牀の上できっちりと正座した。
「うむ」
「お伺いしてもよろしゅうございますか」
「暁のことか」
「はい」
 生きていてほしい。姿形など、どうでもいい。ただ生きて……。
「別室におる」
「……まことでございますか」
「ここに至って偽りを言うてどうする」
「それで、あの……」
「いまだ意識は戻らぬ。かなりの重傷でな。鴫が手を尽くしてくれておるが」
「鴫(しぎ)?」
 初めて聞く名だ。
「御影研究所の医師じゃ。若いが、なかなかの腕と聞いておる」
 もしかして、先刻ここに来た男だろうか。得体の知れないやつだと思ったが、研究所の人間ならそれも頷ける。
 真は牀から降りた。御門の御前にひざをついて、拝礼する。体の痛みなど、もうたいして気にならなかった。
「それには及ばぬと言うたであろうが」
 御門は立ち上がった。
「ここにおるのは、和王ではない。よいな」
 どうやらお忍びで都を離れてきたらしい。
「御意」
 下を向いたまま、答える。
「参る」
 御門はゆっくりと立ち上がった。衣擦れと沓の音が横切っていく。扉が閉まり、沓音が完全に聞こえなくなるまで、真はそのままの姿勢でいた。
 ゆるゆると顔を上げる。窓から、やわらかな日が差し込んでいる。
 真はひたすらに感謝した。だれに対してではなく、自分たちを取り巻くすべてに対して。
 暁。待っていろ。いま行くから。
 真は扉に手をかけた。