炎の淵より  by 近衛 遼




其の二十六

 傀儡(くぐつ)の術。
 それはごく最近、宗の術者が開発した新しい「呪」だった。あらかじめ相手に自分の意識を植え付けておいて、いったんはそれを封じる。そして、好機が訪れたときに術を発動させるというものらしい。
 術をかけられた者は、文字通り傀儡(あやつり人形)のように自分の意志を失い、術者の言いなりになってしまう。
「去年、それにやられたやつが一人出てなあ。あんときゃ、ひどい目に遭ったぜ」
 頭をがしがしとかきながら、玄武は言った。
「どうやら、かなり遠隔操作がきくみたいでな。極端な話、宗の都にいながら、和の都にいるヤツを操ることもできる。とんでもねえ術だよ」
 背筋が寒くなった。それでは、あの地下牢には宗の術者が二十人以上もいるようなものではないか。それを、暁はひとりで抑えにいったのか。
 真は踵を返した。
「おい、どこに行く」
「戻ります」
「阿呆。おまえさんが行ったって、なんの役にも立たねえぞ」
「砦の結界を解きます」
「はあ? なに寝言言ってんだ。ありゃ、二重結界だぞ。おまえさんにゃムリだろ。それに、結界術者はウチにもいる」
「砦に入る前に、余計な力を使わない方がいいでしょう。おれがやります」
「だから、おまえさんじゃ無理だって」
 いや、できる。
 暁がおれに張った結界は、天角のものと同じ波長のものだった。むろん、個人相手に張るものと砦全体を覆うものとでは雲泥の差があるが、解術の基本は変わらないはずだ。
「ったく、強情だねえ」
 あきれたような声を背に、真は高台を降りた。玄武の部下たちはすでに、北東の門の前にいた。
「あ……」
「お待ちしておりましたよ」
 珪秋が琥珀色の目を細めて、言った。
「きっと、わたくしたちを追ってきてくださると思っていました」
「どうして……」
「あなたとわたくしは同志ではありませんか。それとも、この五日ばかりのあいだに事情が変わりましたか?」
「いいえ。そんなことは……でも、いいんですか」
 近侍の身でありながら、玄武のそばを離れても。
「これでも、解術には自信がありましてね」
 なるほど。玄武は解術の得意な者を天角に送り込めと言った。その時点で珪秋も頭数に入っていたわけか。
「では、遠矢どの」
 珪秋の顔から笑みが消える。
「先導を願います」
 どうやら、最初から真に砦の結界を解かせるつもりでいたらしい。あいかわらず食えない男だ。
「承知」
 真は先刻、自分に張られた結界を解いたときの波長を思い出しながら、慎重に「気」を集めた。
 二重結界の支柱はすでにわかっている。あとは、その規模の違いがどれぐらいかということだ。
 頭の芯が熱くなる。何度も複雑な印を組み直し、真は最後の念を飛ばした。
『解!』
 パシン、となにかが弾ける感覚。結界の残骸が霧散する。
 天角の二重結界は、消滅した。


 真たちは北東の門から中に入った。木立ちを抜けて、中央の建物を目指す。
『あれですか』
 遠話で、珪秋が問うてきた。地下に通じる細い道からは、いやな匂いの煙が上がっている。
『中はかなり狭くなっているので、一時に踏み込むのは危険だと思います』
 真が地下の様子を説明した。
『わかりました』
 珪秋は天睛の術者たちを二手に分けて、それぞれに外敵排除と、もし地下から逃げ出してきた者がいた場合の処置を命じた。全員が持ち場に着いたのを確認すると、
『では、まいりましょうか』
 当然のように、促す。
『……いいんですか』
 再度、確認した。
 この先には、宗の術者の「傀儡」となった者たちがいる。暁がいくらかは始末しているかもしれないが、実際はどういう状況かわからないのに。
『もちろん』
 珪秋は真に寄り添った。
『前にも言ったでしょう? わたくしは、あなたの強運に賭けると』
 その根拠はどこにあるんだろう。真にはわからなかったが、珪秋がそれでいいと言うなら、いまさら云々しても仕方ない。
 真は防御結界を確認してから、建物の中へと入った。そのすぐうしろに、珪秋が続く。
 分かれ道から先は、さらに見通しが悪くなっていた。風術で煙を払いながら進む。結界に中にあってさえ、空気が薄く、淀んできているのがわかった。
 狭い隧道の向こうに、うっすらとした明かりが見えた。と、思った瞬間。
 カッ、と目も潰れんばかりの閃光が走った。続いて、炎。熱風が細い通路に吹き上がってくる。
『くっ……っ!』
 結界の層を前面に集めて、なんとか防御した。
 なんだ。このエネルギーは。まるでマグマのような。こんなものを、人が扱えるのか。
 一瞬、足がすくんだ。全身がちりちりと音をたてているような気がする。それは熱さだけではなく、本能的な恐怖ゆえに。
『遠矢どの』
 うしろから、声。
『わたくしが先に行きましょうか?』
『……いいえ。大丈夫です』
 そうだ。こんなことでどうする。この先には暁がいる。そして、敵の「呪」に取り込まれてしまった同胞も。
 真はゆっくりと歩を進めた。ゆるいカーブを描いた通路を降りていく。煙の向こうに、見覚えのある格子戸が見えた。
『あそこです。いま、結界を解きますから……』
 印を組もうとして、手を止めた。
『……その必要はなさそうですね』
 格子戸の中には、ほとんど炭化した物体が六つ、転がっていた。たぶん暁がやったのだろう。
『ほかに部屋は?』
『向こうにいくつか、同じような造りの牢がありました』
 先刻は中まで確認しなかったが、おそらくあそこにも何人かの捕虜がいたはずだ。
 珪秋は頷き、今度は自分が先に立って奥へと進んだ。
『あれですね』
 身をかがめなければ入れないほどの低い通路の先に、赤黒い光が見えた。
 光。否、あれは炎だ。その中に、ぼんやりとした人影。
「暁!」
 思わず叫んだ。影がぴくりと揺れる。真は珪秋を押し退けた。炎に向かって駆け出す。
 うしろで珪秋がなにか叫んでいたが、それを聞く余裕はもうなかった。