炎の淵より by 近衛 遼 其の二十四 「呪」だと? あの場所にいたのは全部で六人。ほかにも同じような牢がいくつかあったようだから、少なくとも二、三十人はその「呪」に侵されているというのか。だが……。 『そんなこと、どうしてわかったんです。まさか全員に“意識写し”をやったわけじゃないでしょうに』 『あったりまえでしょ。いくら俺でも、それじゃ身がもたないよ』 『だったら……』 『奥の方で、五人ほどくたばっててねえ。そいつら、なんで死んだと思う?』 捕虜の死に方など、そう幾通りもあるものではない。たいていは拷問の果てに命を落とす。そう答えると、焔は小さく首を振った。 『違うよ』 『では、処刑されたんですか?』 『それもハズレ。正解はね、殺し合い』 『え……』 『捕虜同士で殺し合ったみたいでね。なかなかに凄まじいことになってたよ』 『それが“呪”のせいだというんですか。なにか幻術のようなものをかけられて、互いを敵だと思い込んで……』 『今度は半分だけ当たり。ただの幻術ならよかったんだけどねー。錯乱してるやつの目を覚ましてやれば、事は済む。けど、あの“呪”はちょっと特殊なのよ。たぶん、術者以外には解けない』 この男がこんなふうに言うからには、よほどに強い「呪」なのだろう。しかし、御影研究所に搬送して、術の性質を調べれば助けられるかもしれないのに。 御影研究所は御影本部付属の研究機関だ。公にはその存在を認められてはいないが、「御影」たちの健康管理をはじめ、術の解明や開発、あるいは薬の製造や武器の改良などを行なっている。 なんとか、ひとりでも助け出せないだろうか。いくら危険だからといって、このまま見殺しにするのは嫌だ。 『……余計なこと、考えるんじゃない』 低い声が、脳裡に響く。いつものことながら、心を読まれたらしい。 『変なマネしたら、アンタも結界に閉じ込める。脅しじゃないからね』 わかっている。この男がいったん口にしたら、それは翻らない。 『んー、そろそろかな』 焔が青墨色の夜空を見上げて、呟いた。どうやら、天睛の部隊が近づいているのを察知したらしい。 『さーて。無駄口たたいてるヒマはないよ』 右手が真の胸に宛てられた。 ずしん。なんだか、熱いものが広がっていく。 『これは……』 『さっきみたいな防御結界じゃ、心許ないからねえ。俺の“気”を分けてやったんだから、感謝してよ』 思いもよらなかった言葉に、真は耳を疑った。何回も「意識写し」を行なったせいで、焔は心身ともにかなり消耗しているはずだ。他人に「気」を与える余裕など、ほとんどないだろうに。 『なーによ。ヘンな顔しちゃって』 『いいえ。……ありがとうございます』 心から、言った。焔は怪訝そうに真を見遣ったが、それ以上はなにも言及せずに視線を前方へと向けた。 『武器庫を潰すよ』 言うなり、地を蹴る。真は無言のまま、それに続いた。 やはり、おかしい。必死に焔に従いながら、真は思った。 この男の中で、なにかが変化している。はっきりとは言えないが、焔という人間の核の部分が揺らいでいるような。 まさか。 ふと浮かんだ考えに驚愕する。まさか、そんなことが……。 ありえない。焔が「暁」の記憶を取り戻しているなどと。 この砦に、自分たちの昔を思い出させるようなものは、なにひとつない。ここは国境の最前線。命のやりとりをする、いくさばなのだ。奥殿の庭とは違う。 風に舞う花弁も、穏やかな日差しもない。あるのは忍び寄るような闇と恐怖、そして殺伐とした空気だけだ。 ああ、でも。 途端に、真は気づいた。あった。ひとつだけ。焔と暁を繋ぐものが。 「意識写し」。焔は真にも、その禁術を使ったのだ。 他者の記憶を読み取る禁術。術を使っているあいだ、術者は相手と同化する。焔の頭の中には、真の記憶が写し取られたはずだ。時間的に短かったので、どのあたりまで読まれたかはわからないが。 『アンタ……ずいぶんがんばったんだね』 あのときの焔の言葉。 『まーさか、あの結界を解くなんてねえ』 『アンタがここまでやるとは思わなかった。読み違えもいいとこだよ』 二重結界のことしか言わなかったが、もし、それ以外のことも視ていたとしたら。 可能性はある。しかし記憶が戻っているのなら、暁がそれを自分に告げないのは解せなかった。短い期間だったが、自分たちは間違いなく心を通じ合わせた。暁は真を信じてくれたし、真は暁が好きだった。だから……。 『死ぬよ』 前を行く焔が、遠話を投げてきた。 『そんな生っちょろい結界じゃ、小柄一本防げやしない。この俺が“気”を分けてやったっていうのに、どういうつもりよ』 『すみません』 しまった。考え事をしていて、結界が不安定になっていた。あわてて調整する。 『正面から行くよ』 『承知』 『ま、せいぜい、吹っ飛ばされないように気をつけるんだね』 おまえなど、端から戦力外だといわんばかりの台詞だ。が、これにも真はひっかかりを感じた。 微妙に違うのだ。言い回しも、ニュアンスも。少し拗ねたような語尾。あれは暁の癖だった。 漠然としたものが、徐々に固まりつつあった。 いいよ、暁。おまえがなにも言わないのなら、おれも気づかないふりをしよう。 おまえは「焔」だ。どちらでもいいと、一度は思った。どちらも、おまえなんだから。 あらためて強く心を決め、真は歩を進めた。 武器庫の周りには、ほんの数人の警備兵がいるだけだった。 『楽勝だね』 焔はにんまりと笑って、左手で印を組んだ。右手で目標を定める。闇の中を、幾筋もの炎が走った。火術と風術。それがあいまって、生き物のように炎が武器庫を襲う。 突然のことに、その場にいた者たちはなにが起こったのかわからなかったらしい。あたふたと逃げ出す者、パニックに陥ってあたりかまわず攻撃する者、それの巻き添えを食う者。建物に火が移ったところで、焔は爆砕の術を使った。 一瞬の閃光。空が燃えるように紅くなる。大地をつんざく轟音とともに、武器庫は跡形もなく崩壊した。 『これで、なーんの気兼ねもなくなったねえ』 右手をひらひらと振りながら、焔は言った。 『どういう意味ですか』 『玄武たちのことよー。もう北東の門まで来てる。派手に花火を上げてやったから、こっちの様子もわかっただろうし』 そんなに近くまで来ていたのか。結界を保つのに精一杯で、外の様子まで気を配る余裕がなかった。 「天睛の人たちだけですか」 思わず、直に訊ねていた。久住の部隊はどうなっただろう。帥に連絡が届いていれば、御門が久住の城にも出陣命令を出しているはずだが。 「いまんとこは、ね」 周囲に敵の気配を感じなかったからか、焔もふつうに返した。 「では、いますぐ北東の門に……」 「なによ。アンタ、俺に指図する気?」 「お願いしてるんです。天睛の部隊だけで砦に入ったとなれば、あとあと面倒なことになりかねません」 このままでは、久住の存在を無視したと思われてしまう。本来「御影」は表に出てはならないのだが、この際そんなことは言っていられない。 「玄武どのと轡を並べて門を通ってください」 「ばっかばかしい。そんな茶番に付き合う義理はないねー」 「だったら、久住の本隊が到着するまで玄武どのを引き留めておかないと」 「図に乗るな!」 鈍い音がして、横に飛ばされた。頬に鋭い痛み。殴られたと気づいたときには、立木の陰に組み敷かれていた。 「ちょっと甘い顔してたら、つけあがって」 襟元が乱暴に開かれた。 「やめてください!」 こんなときに、なにをやってるんだ。こっちだって、おまえの茶番に付き合っている暇はない。 首筋に噛みつくように口付けられたとき。 「暁」 明確な意志を持って、真はその名を呼んだ。 |