炎の淵より  by 近衛 遼




其の二十三

 金色の双眸が、つねよりもさらに鋭い光を宿していた。複雑な印をいくつも重ねている。なにをしているのだろう。手元を凝視する。
 ……まさか。
 真は目を見張った。あれは禁術。「意識写し」だ。
 ひとり終わると、また次へ。倒れている人数を見ると、すでに四、五人に同じような術をかけているらしい。
 いったい、何人の思念を「視る」つもりだ。意識写しは術者の精神への負担が尋常ではない。砦に入ってから、ずっとこの状態だったとすれば、すでに限界に近いだろうに。
 むろん、焔に一般の常識は通じまい。しかしこのままでは、早晩「気」を使い果たしてしまう。
 止めなければ。そう思った。たとえ自分に、それだけの力がないにしても。止めたことによって逆鱗に触れ、一寸刻みにされようとも。
 格子戸に手をかける。鍵はかかってしなかった。結界も張られていない。真は戸を開けた。
 瞬間。
 カッ、と、閃光が走った。視界が真っ白になる。格子の外には結界はなかったが、どうやら内側には強固な攻撃結界が張られていたらしい。しかも、完璧にカムフラージュされた結界が。
 そうだよな。この男が、無防備なままでいるはずはなかった。あえて姿をさらしていたのも、もしかしたらだれかをおびき寄せるためだったのかも……。
 がっくりとひざをつく。真の防御結界は、ほとんど意味をなさなかった。なんという強烈な「力」なんだろう。一点を狙った攻撃を受けたわけではない。地下牢全体を覆った結界の、ほんの一部に触れただけだというのに。
「アンタ……」
 ゆらりと焔が立ち上がった。
「なんで、ここにいるのよ」
 横一文字に印を切る。結界が消えた。つかつかと歩み寄り、こわばった真の顔を無造作に掴んだ。首筋をちらりと見遣って、
「ホンモノだよねえ。あんときの跡も残ってるし」
 三叉の村を出たあとのことを言っているらしい。
「宗の術者が化けてるのかと思ったよ。あ、でも……」
 目の前に、左手が掲げられた。額に焼けるような感覚。
「くっ……う……あああっ!!」
 脳天に衝撃が走った。吐き気がする。視界は赤や銀や黄色に次々と変わる。上下感覚も平衡感覚も目茶苦茶になった。記憶が交錯する。
 おれにも「意識写し」をしているのか? なぜだ。なんのために……。
 頭の中で雷のような音がした。パシッ、となにかが弾ける。
「アンタ……ずいぶんがんばったんだね」
 焔は手を引いた。圧迫感から解放され、真は焔の足元に崩れた。
「まーさか、あの結界を解くなんてねえ。俺もヤキが回ったかな」
「え……」
 なんとか顔を上げる。金の瞳が、ひたとこちらを見据えていた。
「アンタがここまでやるとは思わなかった。読み違えもいいとこだよ」
 片頬をゆがめて、言う。
 なんだ、これは。苦しそうな。悲しそうな。どうしていま、こんな顔をするんだ。
「行くよ」
 乱暴に腕を掴まれた。ひきずられるようにして、格子戸の外に出る。
 低い口呪が聞こえた。ふたたび強固な結界が張られる。これは封印結界だ。
「いつまですわってんの。早く立って」
 容赦のない声が降ってきた。また勝手なことを言う。「意識写し」の術を受けた影響で、まだ頭がくらくらしているのに。
「ここまで来たからには、それなりの覚悟はできてるんだろうね」
「……はい」
 壁に手をやり、立ち上がる。全身が重かったが、どうにか動けるだろう。
「玄武が来る前に、ひと仕事しとかないとねー」
 いつもの調子に戻って、焔はにんまりと笑った。
「遅れたら、置いてくよ」
「わかっています」
 闇の中、ふたりは地上に向かって進んだ。


 外は、あいかわらず静かだった。
 真は遠話を使って、先刻、木立ちの中で聞いた会話を報告した。
『置き土産……ねえ。ふーん、いやらしいマネしてくれて』
『どこかにトラップが仕掛けられているはずです。天睛の部隊を引き入れるつもりなら、正門から中央の建物に続く柱廊あたりだと思うんですが』
 意見を述べると、焔は金色の瞳を見開いてまじまじと真の顔を見つめた。
『アンタ、やっぱり頭でっかちだねえ』
『……すみません』
 余計なことを言ったかと反省する。
『ま、べつにいいけどね。さっきのことで、それだけでじゃないってのもわかったし』
 くつくつと肩をゆらしながら、焔は真の耳朶を舐めた。
『がんばったご褒美に、この仕事が終わったらいいコトしてやるよ。なんなら俺が“ご奉仕”しようか?』
 淫猥な言葉を囁かれ、真は身を引いた。
 おかしい。たしかにこの男は、時と場所を問わずにこういった話を仕掛けてくるが、いまのはどこか不自然だった。まるで真を、はぐらかすためのような。
『どうしたのよ。それだけじゃ不満? だったら……』
『なぜ……』
 ひとつの疑問は、次の疑問を生む。
『え?』
『なぜ、結界を張ったんです』
 先刻、地下牢で。
 あそこにいたのは、おそらく捕虜だ。顔ははっきり見えなかったし、もとの顔がわからないほどになっている者もいたが、あの中の何人かは和の国の細作のはず。その者たちを封印結界に閉じ込めて、この男はなにをしようというのか。
『防御結界なら、わかります。でもあなたが張ったのは、封印結界だ。あれでは万一の場合……』
『そうだよ』
 声音が変わった。冷ややかな、硬質の響き。
『逃がさないように……いや、逃げられないように、封印結界を張った』
『だから、どうして……』
『始末するためだよ。もちろん』
 始末だと? 彼らは自分たちの同胞ではないか。足手まといになるから切り捨てるというのか。あの台の国での作戦のときのように。
『あんな時限爆弾みたいなの、生かしておいたらこっちがアウトだからね』
『時限爆弾?』
『そ。あそこにいたやつら、みんな“呪”を封じられてた。それも、思いっきりタチの悪いヤツ』
 憎々しげに、焔はそう吐き捨てた。