炎の淵より  by 近衛 遼




其の十六

 広間にはすでに主だった者たちが集まり、軍議が始まっていた。焔は玄武のとなりにいる。
 珪秋は上座に進んだ。真も末席に着く。
 一同の意見は、ほぼ固まっているようだった。
「で、久住はどうなさる」
 四十路半ばとおぼしきつわものが、玄武に訊ねた。
「この際、無視していいだろ」
 玄武が断じる。
「久住のやつらと繋ぎを取ってたら、後手に回っちまう。それでいいよなあ、焔?」
「いいでしょ。要は、あんたらが勝てばいいんだから」
 槐の国の独立を後押しすることが、今回の任務である。それはそうなのだが、ここで一気に天角を攻めるのは対外的にまずい。
「急いては事を仕損じるとも申しますからねえ」
 先刻、珪秋は言った。真も同意見だった。だからこそ、珪秋の提案に乗ったのだ。
 いよいよ、最終的な決断が下されようとしたとき。真は上座に向かってひざを進めた。
「おそれながら」
 一瞬の静寂。その場にいた者たちの視線が真に集まる。
「天角のこと、まことでありましょうや」
「どういう意味だ?」
 玄武が問うた。
「かの砦に潜入したわが国の者たちが失策を犯したというは、そこにおられる珪秋どのの私見にすぎませぬ。確たる証拠もなしに、それを鵜呑みにはいたしかねます」
「きさま、われらを愚弄するのか!」
 すぐ横にいた赤ら顔の男が立ち上がった。焔はすばやく真の前に移動した。手にはすでに小柄を構えている。
 まずい。ここで刃傷沙汰になっては、和の国と槐の国の連携が崩れる。真はさらに前に出た。
「わたくしを、天角にお遣わしください」
「天角に?」
 玄武は眉をひそめた。
「おめえさんが行ったって、いまさらどうにもならねえぜ」
「確かめたいのです。天角の砦の内情を」
「飛んで火に入るってか? 物好きだねえ」
 玄武は呆れたような声を出した。
「ま、好きにすりゃいいさ。そのかわり、命の保障はしねえぞ」
「心得ております」
「あーあ。上官が上官なら、部下も部下だねえ。もう、今夜はお開きだ。ウチでももういっぺん、天角と内宮に探り入れとけ」
 側にいた珪秋が深々と頭を下げる。その場にいた者たちも、不承不承ながら腰を上げた。三々五々、散っていく。
 真は皆が出て行くまで、そのままの姿勢でいた。焔もぴくりとも動かない。赤ら顔の男がなにやら舌打ちしながら退出したあと。
「……いったい、どーゆーつもり」
 真の首筋に小柄をつきつけて、焔は言った。
「申し上げた通りです」
「出すぎた真似をするんじゃないよ」
 ピッ、と手を横に引く。首に鋭い痛み。床に鮮血が飛んだ。
「勝手なことするなって言ったでしょ」
 傷口を掴み、焔は真を押し倒した。
「まだわかってないの?」
「わかって……います」
「へーえ。わかっててやったってことは、アンタ、マゾなワケ?」
 にんまりと、焔は笑った。
「アレ以上のコト、してほしいんだ」
 おもむろに下肢のあいだに手が伸びた。ひねり上げられる。もちろん、手加減はない。
「……っっ!!」
 気を失いそうになった。だめだ。ここで崩れては。必死に意識を繋ぐ。
「ほんとに、潰してやろうか?」
 かまわない。どうせ、もう長くは生きられないのだから。宦官になったとて、さして影響はあるまい。
 真はこわばる手で、焔の腕を掴んだ。
「お……れは……」
 顔を上げる。揺らぐ視界の中、なんとか金色に光る双眸を捕えた。
「いや……なんです」
「なにが」
「あの人たちに、利用されるのが」
「利用?」
 焔の手がゆるんだ。ほっと息をつく。
「俺が、あいつらに利用されてるって言いたいの」
「あなただけではなくて、和の国が」
 槐の国の独立派にとって、和の国は使いでのある駒だろう。が、玄武はとことん表裏のない人間で、珪秋は裏の裏のある人間ではあっても玄武を第一の人としておのれのすべてを賭けている。彼らが御門個人との約束をたがえることはないのはわかっていた。
 しかし。
 いまここで、それを明かしてはならない。玄武と焔が同調して、反対派と天角に総攻撃をかけてしまったら、周辺諸国は黙ってはいまい。
 玄武は力に頼る独裁者として警戒されるだろうし、御門は槐の国の利権を狙うキツネと思われる。どう考えても、それはまずい。
 とりあえず、御門に事の次第を報告せねばならない。そのために真は、珪秋の策に乗った。焔と玄武を引き離す。距離を置いて、熟考する時間を確保する。それによって、槐の国にも和の国にもよりよき道が開かれるはずだ。
「……なにを考えているかと思ったら」
 焔は真から離れた。流れるような所作で小柄を仕舞う。
「頭でっかちだねえ」
 どことなく、楽しげな口調。
「ま、いいか。アンタがあの陰間とねんごろになってないってのもわかったし」
 まだ疑っていたのか。心の中で苦笑する。
 たしかに、自分と珪秋に体の関係はないが、これも一種の「ねんごろ」かもしれない。自分はあの手弱女(たおやめ)のような男を信じたのだから。
「俺も天角に行くよ」
 ぼそりと、焔は言った。
 よし。うまくいった。真は思った。
 心の声を押し殺す。悟られてはならない。それこそが目的であったとは。
 真が天角に行くと言えば、焔は必ずついてくる。よしんば反対したとしても、この砦から離れようとするだろう。珪秋はそう予測し、それは的中した。
「アンタひとりで行ったって、なんの役にもたたないからねー」
「……お手数をかけます」
 神妙に、礼をする。焔は何事が呟いて、真の首に手をやった。またたくまに傷がふさがる。
「いいよー、べつに。そのかわり……」
 薄い唇がきれいに笑みの形を作る。
「たーっくさん、『ご奉仕』してもらうからね」
 するりと首筋を撫で上げられる。それだけで腰が疼いた。あんなに貶められたあとなのに。
 仕方がない。この身は焔の指先ひとつで、どうにでもなる。
 目を伏せて、頷いた。焔は真の腕を掴み、広間をあとにした。