炎の淵より by 近衛 遼 其の十五 結局、焔は真夜中まで真を解放しなかった。体勢を変え場所を変え、何度も何度も貫かれ、最後は声を出すこともできなくなって、牀に突っ伏した。 頭がじんじんする。腰から下は半ば痺れたようになっている。四肢の関節は熱を持ち、少し動かしただけで鈍い痛みが走った。 こういうのは、久しぶりだな。ぼんやりと、真は思った。最初のころこそ拷問に近いような交わりを強要されていたが、このところはそれほどひどい扱いを受けていなかったから。 「もう、勝手なことしないでよ」 身繕いをしながら、焔が言った。 「今度やったら、これじゃ済まさない」 切れ長の目を細め、このうえなくきれいに微笑む。真はこくりと頷いた。 わかってるよ。どうせ、この身も命もあなたのものだ。そのときは、好きにすればいい。 そろそろ、あの話をしてもいいだろう。真はゆるゆると上体を起こした。 「よろしいですか」 「なによ。まだヤル気?」 「今日、市で宗の国の『草』と接触しました」 「……どういうこと」 焔の顔つきが変わった。真は「草」が故意に天睛に関する噂を流し、砦を孤立させようとしていることを報告した。それに対する珪秋の推測も。 「あンの陰間、油断も隙もないな」 焔は舌打ちした。 「アンタもねえ、そーゆーことは、もっと早く知らせてくれなきゃ」 なにを言うか。まともに話をする暇も与えずに押し倒したのはそっちじゃないか。真は焔をにらんだ。焔はその視線を完全に無視して、牀から下りた。 「玄武んとこ、行ってくる。たぶん軍議が開かれるだろうから、あとで広間に来てよ」 言い捨てて、房を出ていく。扉が閉まる音を聞いて、真は大きくため息をついた。 この状態で軍議に出ろというのか。まったく、情け容赦のない男だ。いまさら驚きはしないが。 体を拭いて、着替える。腰のあたりの違和感はかなりのものだった。これでは長時間すわっていることはできそうにない。 軍議が長引くと、ちょっとつらいな。そんなことを考えつつ、敷布を取り替える。ひと通り牀を整えたあと、真は先刻剥ぎとられた小袖のことを思い出した。 床に打ち遣られていた小袖と帯を拾い、洗濯籠に入れる。いまから洗い場を使えるだろうか。できれば、これだけでも軍議の前に洗ってしまいたい。なにしろ借り物。染みなど残したら大変だ。 籠を抱えて、房を出る。外廊下には篝火が焚かれていた。ほかの房にもいくつか明かりが灯っている。すでに軍議の招集があったのだろう。広間へと続く渡殿に何人かの人影が見えた。 これは、洗い物どころではない。真は房に引き返した。洗濯籠を牀の幕の裏に隠す。 最悪の場合は、この小袖と帯を買い取ろう。そんなことを考えていると、扉を叩く音がした。 「失礼します」 高音の澄んだ声。真は急いで戸口に向かった。 「珪秋どの」 扉を開けると、そこには儀礼の際に着る袖の長い着物姿の珪秋がいた。 「玄武さまよりのお達しです。至急、広間へお集まりください」 「承知しました。あの……」 「なにか?」 「貸していただいた小袖のことですが」 「はい」 「少し……汚してしまって。洗ってからお返しします。なんなら、買い取らせていただいても……」 「差し上げますよ」 あっさりと、珪秋は言った。 「え、でも」 「買い出しに付き合ってもらったお礼です。おかげで、天角のこともわかりましたし」 「しかし……」 「わたくしとあなたの仲ではありませんか」 小声で、囁く。 「……と言うと、またあなたの上官ににらまれるんでしょうけど」 袖で口元を押さえつつ、くすくすと笑う。 「なかなかに、たいへんだったみたいですね」 夕餉を摂ることもできなかったのだ。珪秋にはすでに、この数刻の成り行きを察しているはず。もっともその珪秋とて、玄武の機嫌を取り結ぶのにあれこれと苦心したようだが。 「それは、そちらも同じでしょう」 「ええ、まあ」 かすかに漂う白粉の匂い。市からの帰り際に言っていたように、今日は化粧を施して枕席に侍ったのだろう。 「本当は、朝になってから軍議を開く予定だったんですよ。でも、あなたの上官がそんな悠長なことやってられるか、と」 いかにも焔らしい。天角での工作が失敗したとすれば、久住で待機している部隊を引き上げさせるのが定石。独立反対派の暗殺など愚の骨頂だ。和の国は内政干渉の非難を浴び、天睛の独立派は他国を引き入れた売国奴の汚名を着せられるだろう。 和の国としても、独立派としても、道はふたつにひとつだ。余力のあるうちに天角に総攻撃をかけるか、何事もなかったかのように引き上げるか。 御門なら撤収を命じるだろう。総攻撃を仕掛けて、よしんば勝ったとしても、独立派への槐の民の信頼が薄れてしまっては意味がない。 しかし。 彼らなら、やるかもしれない。反対派を根こそぎ排し、天角を潰す。それによって力を誇示して独立を強行する。 不可能なことではない。いや、むしろ好機と言えた。天角の動向を斟酌する必要がなくなったのだから。 抑えが効かなくなるかもしれない。焔も玄武も、おのが力を十二分に知っている。暴走する危険は大きい。 「それで、玄武どのは」 「渡りに舟という感じでしたねえ。わたくしのことなど眼中になくなったようで」 言いながら、珪秋はひらひらと手を振った。形のいい爪が藤色に彩られている。化粧だけでなく、爪の手入れまでしたのか。まったく、本物の陰間のようだ。 「……失礼しました」 真の視線に気づいたのか、珪秋はそっと着物の袖を下ろした。 「化粧は落としたのですが、こちらまでは時間がなくて」 困ったような顔で、言う。真は苦笑して頷いた。 「お気になさらず。よく似合ってますよ」 「それは、どうも」 袖に隠した手を胸のあたりに合わせ、珪秋は丁寧に礼をした。真も同じように返す。 「では、遠矢どの」 やや固い声。真は顔を上げた。 「軍議のことですが」 「はい」 「即断即決は避けねばなりません」 「わかっています」 御門の指示も仰がずに、事を起こすのはまずい。うっかりしたら、久住にいる者たちまで巻き添えになってしまう。 「そこでひとつ、お願いがあります」 「なんでしょうか」 「天角へ行ってもらえませんか」 「天角へ?」 真は問い返した。天角の砦は絶望的だと珪秋は言った。その天角へ、なにゆえいま行かねばならないのだ。 「ひと芝居、打ちましょう」 琥珀色の目を細め、天女のように美しい顔の男は、おのが思案を真に告げた。 |