炎の淵より by 近衛 遼 其の十二 その後。 五日たっても、十日たっても、天睛の砦においてはなんの動きもなかった。軍議は何度かあったが、それも周辺の兵備や各地からの報告が主で、対宗の国の策に関しては、議題にものぼらなかった。 焔も玄武も、昼間はほかの者たちとともに賭け事に興じ、夜は酒盛りをし、それぞれの房に引き上げたあとはごく個人的な楽しみ(要するに房事)に耽っていた。 「こんなことで、いいんでしょうか」 天睛に入って、半月ばかりがたったころ。いつものごとく茶を持って房にやってきた珪秋に、真は言った。 「いいんじゃないですか?」 無邪気な笑みを浮かべて、珪秋は答えた。 「わたくしとしましては、あのかたのご機嫌がよろしいのが一番です」 飾り気のない言葉。 真としても、それは同じだ。焔はこのところ、いままでに見たことがないほど機嫌がいい。こちらの気の持ちようもあるだろうが、昼間はふつうの上官と部下のようにふるまっているし、夜もそれほど無体なことは要求しない。 なんだか、気が抜けるよな。 香り高い茶を喫しながら、真は心の中で独白した。文字通り、決死の覚悟でここまでやってきたというのに。 御影宿舎を出るときには、これで最期を迎えることができると思ったし、奥殿ちかくの庭園で焔の中に暁がいると確信してからは、なんとかもう一度、暁に会ってから死にたいと思いつめていた。それが。 最も危険な場所であるはずのこの砦で、自分は世間話をしながら菓子をつまんでいる。 「同じようなものばかりで、すみませんねえ」 珪秋が焼き菓子を口に運びつつ、言った。 「あしたには買い出しに行きますから、なにか違ったものを見繕ってきますよ」 「お気遣いなく」 真は苦笑した。すすめられれば否とは言わないが、甘いものがとくに好きなわけではない。 「ついでに、噂話のひとつも拾ってきます」 「噂話?」 「ええ。たとえば、天角の動きとか」 にっこりと、珪秋は笑った。 「和の国から天角に、細作が送られているのでしょう? でしたら、そろそろなにか変わったことが起こっていても不思議ではないですから」 「それはそうでしょうが、砦の中の動きが外に漏れるようなことは……」 「あるんですよ、それが」 ため息まじりに続ける。 「隠せば隠すほど、ボロが出るものでしてね。とくに天角のようにトップがたびたび入れ替わるような砦は、危機管理体制が一貫していませんから」 設備がいかに優れていようとも、そこで働く者の質如何によって、砦もただの荒屋になりうる。 「一緒に、行きますか」 「え?」 「買い出しですよ。山麓の村まで下りて。たまには羽を伸ばすのもいいと思いますよ。お互いに、ね」 さきほどとは違って、含みのある言葉だった。もっとも、よこしまな「気」は感じない。珪秋の物言いや振る舞いは、どんなときでもじつに自然で過不足がなかった。 市への買い出し。その誘いは魅力的だったが、はたして焔が許してくれるだろうか。昼のあいだは、ある程度の自由が与えられている。だが、それは砦の中にいるからだ。 「あしたなら、大丈夫だと思いますよ」 心を読まれたか。ふたたび、真は苦笑した。 まったく、情けない。こんなことでは天睛の者たちに侮られてしまう。 「ああ、すみません。迷っておられるようでしたので」 「いいですよ、べつに。おれが未熟なだけですから」 そう言うと、珪秋は形のいい目を丸くした。 「……あなたって人は……」 そのまま絶句する。よほど呆れたのかな。まあ、それも仕方ない。どうしたって、これが自分なのだ。 「遠矢どの」 やわらかな口調で、珪秋は囁いた。 「まえに、同盟を結びませんかと申し上げましたよね」 そうだった。あれから、そんな話は全然出なかったので、冗談だと思っていたのだが。 「それが、なにか」 「わたくし、本気になりました」 「は?」 「約しましょう。わたくしたちは、わたくしたちの大切なもののために戦うと」 琥珀の瞳が、まっすぐに向けられた。 「まずは明日、里に下りて情報を集めましょうね。きっと、あなたにも利があります」 「しかし……」 「あした、玄武さまは天角の件で宗の国の内宮と繋ぎを取ります。むろん、あなたの上官も同道の上で。そのあいだなら、時間が取れるはずですよ」 なるほど。内宮に内通者がいるのか。真は頷いた。 「わかりました。お供します」 「違いますよ、遠矢どの」 珪秋は口の端を持ち上げた。 「わたくしたちは、同盟を結んだのです。したがって、立場は対等。今後、間違っても『供』などとは言わないでくださいね」 「承知」 三度目の苦笑とともに、真は短く答えた。 「なーんか、あの陰間と仲良くしてるみたいだけど」 その夜。褥の中で焔は言った。 「まさか、こんなことやってないだろうね」 頭を押さえ込まれる。思わず、むせそうになった。 「不義密通は『重ねて四つ』だからね」 わかっているとも。珪秋の真意がどこにあるかはわからないが、少なくともあちらもこんな関係を望んではいないだろう。あの男にとって、玄武が第一であり唯一であるのだから。 『わたくしの願いは、あのかたに疵をつけぬことだけです』 玄武をこの国の王とするために。そのためだけに、あの男は生きている。 「なんとか言ったら? ……って、これじゃしゃべれないか」 くつくつと笑って、焔は真の両頬を掴んだ。上に引き上げ、のどに手をかける。 「で、どうなのよ」 「してません」 「へえ。ほんとに?」 わかっているだろうに。夜毎に貫き、所有の標をつけているのだから。 導かれるままに、体をまたぐ。いままで自分が育てたその場所に、ゆっくりと腰を落とした。 「…っ……あ……あ…んっ」 馴れた体は敏感だ。焔の手が脇を支える前に、真は動きはじめていた。 「やっぱり、アヤシイなー」 ひざを抱えながら、言う。 「こんなに熱くなるなんてさあ。……なんか後ろめたいことでもあるんじゃないの」 すぐに応えなければ、無理矢理にでも押し入ってくるくせに。真は焔をにらんだ。 「ダメだよ。そんな顔しても」 いきなり、牀に倒された。繋がった部分に衝撃が走る。 「ますますコーフンするだけなんだから」 金の瞳が、うっすらと細められた。 「ま、俺は愉しめるからいいけどね」 極限まで脚が開かれる。立て続けに与えられる激情に、真は思考を失っていった。 |