宿り木  by 近衛 遼




第二十話 真実の愛を求めて

 おかしい。絶対に、おかしい。
 三剣茉莉は必死に考えた。どうして、こんなことになるんだ。
 担ぎ上げられた脚が、つりそうになる。筋を痛めたらどうしよう。
「っ……!」
 ねじるようにして、体が返された。一部分は繋がったままで。
 今度はこれかよ……。茉莉は心の中でため息をついた。できれば、一度離れてからにしてほしかった。そうすればこちらも、それなりに態勢を整えることができたのに。
 本当に、どうしたんだろう。今日はこの男を怒らせるようなことはしていないはずだ。夕食は煮魚に野菜炒め、レンコンのきんぴらと小松菜のごまあえ、豆腐の味噌汁にはワカメもたっぷり入れた。二回ずつおかわりをして、飯も丼に三杯食べた。
「おなかいっぱいで、しあわせ〜」
 いつものようにそう言って、冬威は六畳間で横になった。
 このまま寝てくれたらいいのにな。そんなことを考えつつ、卓袱台の上を片付ける。食器を洗って、八畳間で取り込んだ洗濯物をたたんでいたとき。
「ねえねえ、マリちゃん」
 いきなり、冬威が背中に張り付いてきた。
「そんなの、あしたでもいいじゃんかー」
 拗ねたような口調。どうやらもうひとつの欲求が沸き起こってきたらしい。
 伊達に長く付き合っているわけではない。そのあたりの空気はわかる。茉莉はさっさと洗濯物を脇へやり、蒲団を敷いた。過去の経験からして、こういうときには下手に逆らわない方がいい。
 それが、もうだいぶ前のこと。
 まさか、こんなに長引くとは思わなかった。今回は通常モードで事が終わると踏んでいたのに。
 いままで、いろんなことがあった。続けて何度か迫られたこともあるし、こまごまとした要求を出されたこともある。それどころか、全パターンを明け方までかかって行なったことも。
 さすがに、あの日はまともに動けなかった。考えてみれば、休みの半分はこの男のせいで潰れているのではあるまいか。
「ん……あっ……あ……」
 不安定な姿勢のままで、ふたたび突き上げられた。のどから声が漏れる。苦痛と、新たな刺激に対する言い難い感覚。ここに至って、またヘンな技を開発するなよ。
 あらかじめ予想できているときは、まだいい。それなりに配分を考えて、気力体力の消耗を最小限にするよう準備もする。が、今回はまったく寝耳に水だった。蒲団に入るまで、とくに変わった様子はなかったのだから。
 いつもと違ったことといえば。
 痺れた頭で考える。そうだ。たしかに、違っていた。今日は……。
 昼休み。まるで百メートルダッシュのような勢いで、冬威が事務所に飛び込んできた。
 がたん、とデスクに激突して、
「マリちゃんっ、今日の上がりは何時!?」
「え、その、定時ですけど……」
「六時だね。じゃ、オレ、迎えにくるからっ」
 それだけ言うと、また疾風のように去っていった。
 なんなんだ、いったい。我知らず、首が傾く。が、冬威の不可思議かつ突拍子もない行動はさしてめずらしくはない。そう思って、すぐに失念してしまったのだが。
「マリちゃーん。さ、帰ろ〜」
 午後六時ジャスト。小学生の行進のようなきびきびとした足取りで、冬威は事務所に戻ってきた。
「オレ、買い物も手伝うから」
 ここで不用意なことを言うのはやめてほしい。まるで、自分が冬威をこき使っているみたいじゃないか。もっとも、ここの連中はそんなことぐらい、まったく気にしてないようだったが。
 そのあとは、商店街で買い物をして、家に帰ってきて、夕飯を作って。冬威は例によっていろいろと「お手伝い」をしたが、その「ご褒美」としては、これはあまりにも暴利である。
 最初のアレと、次の……ぐらいはよかったんだけどな。
 そのあたりまでなら、こちらも覚悟していた。いわば予定内のこと。しかし、これはどう考えても論外だ。
 ぎしぎしと関節が悲鳴を上げている。視野が極端に狭くなった。何度目かの波に飲み込まれ、茉莉は敷布に沈んだ。


 文字通り、沈んだ。深く、深く。
 このまま深海の闇の中で眠りたかった。それなのに。
 違和感。まさか……。
 茉莉はまぶたを押し上げた。目の前に、見慣れた顔。口元にはきれいな笑みが浮かんでいる。そして。すでに冬威は茉莉の中にいた。
「あ……あんたねえ……」
 なんと言っていいのか、わからない。あまりのことに、思考回路がショートしてしまったようだ。
「うれしいな〜」
「え……?」
「眠ってても、反応してくれるなんて」
 ……………嘘だろ。
 たしかに、しっかりばっちり、反応している。認めたくないことだが、これは現実だ。
「やっぱり、真実の愛は偉大だね〜」
 なにが「真実」だよ。意識のない人間に好き勝手なことしておいて。
 いくらそういう関係になってるからって、これは犯罪だぞ。もちろん、そんなことをこの男に説いてみたところで、ムダだろうが。
 馬の耳に念仏、蛙の面に水、なにを言っても聞く耳など持つまい。最初からそうだった。
 好きだから。
 だから、抱いた。
 なんのてらいもなく、この男はそう言ったのだ。
 今日の「これ」も、きっとなにか理由があるんだろう。この男にしかわからない訳が。
 無意識のうちに応えたことが、この男を満足させたらしい。ゆるやかにそれは進み、やがて終局を迎えた。


 翌朝。
 這いずるようにして朝食の用意を始めようとした茉莉は、冬威の服のポケットから文庫本がはみだしているのを発見した。題して『ロマネスク・ヴァン・ローザVOL.20〜真実の愛を求めて〜』。
 ……真実の愛???
 そのサブタイトルに引っかかりを感じて、ぱらぱらとページをめくる。
 十秒後。
 茉莉は昨日の真相を知った。
 そういえば。
 記憶を辿る。この男は最初にコトに及ぶ前に、そっち方面の雑誌を読んだり、そのシュミのある人間とメール交換をしたり、いわゆるハッテン場で取材(!)したりしたんだっけ。
 どうやら、今回もその類であったらしい。いわく、「真実の愛。それは意識下に眠るものである」。
 …………………だからって、なあ。
 どっと脱力した。
 んなモン、鵜呑みにするんじゃねえっ!!!!!


 その日。
 三剣茉莉が朝食を作ったかどうかは定かではない。


   (THE END)