| 宿り木 by 近衛 遼 第十九話 愛につつまれて 豚ミンチ百グラム四十八円。 今日はこれだな。三剣茉莉は心を決めた。 「すみません。豚ミンチ五百グラムください」 すっかり馴染みになっている肉屋のおやじさんに声をかける。商店街の特売品で晩ご飯のメニューを瞬時に組み立てられるようになった自分をいささか情けなく思うが、これは必然だ。あの食欲(と、もうひとつの欲求)のカタマリのような男と付き合う限り、食費は一円たりともムダにはできない。 先刻、八百屋でキャベツを一玉六十円で買った。メインは餃子にしよう。汁ものはワカメと卵の中華スープ、副菜はキュウリとはるさめの酢の物。よし。あとは餃子の皮だな。 どうせ冬威のことだ。ひとりで三、四人前は食べるだろう。たくさん包むのは面倒なので、大判の皮を買うことにした。ひと袋二十二枚入り。それを四袋買って、茉莉は帰途についた。 もしかしたら、またぞろ「お手伝い」をすると言い出すかもしれない。団子や餅を丸めるのなら多少不揃いになってもかまわないが、餃子は皮が破けたり具がはみだしたりしてはうまく焼けない。どうしたものかと考えた結果、茉莉は雑貨屋で「餃子包み器」なるものを購入した。 一個百円。これはいわゆる便利グッズのひとつで、おにぎり型とか寿司ネタ型などのように餃子の皮と具を入れてはさむようになっている。ひだの部分が少々薄いようだが、あの日常生活不適応者で手先の無器用な男に、まっとうに餃子が包めるとは思えない。ここはひとつ、粘土遊びでもするつもりで作ってもらうしかあるまい。 もちろん、茉莉からその「お手伝い」を頼むつもりはさらさらなかった。万が一、興味を持った場合の予防策である。 こんなことまで気を遣わなくてはならない自分が、ときどき嫌になる。が、いまさらどうしようもない。 「今日のおかずは、なーにかな?」 そう言いながら、うきうきした顔で扉を開けるあの男を、拒むことなどできないのだから。 大きなボウルにミンチと刻んだキャベツなどを入れて混ぜる。粘りが出てきたところで、手早く包み始めた。三十個ばかりが皿の上に並んだとき。いつもの声が玄関から聞こえた。 「マリちゃーん、こんばんは〜」 続いて、扉を叩く音。 「ちょっと待ってくださいっ」 手を洗いながら、答える。鍵なんかかけてないんだから、そのまま入ってくればいいのに。 もっとも、以前に何度か勝手に部屋に上がられて、それを注意したことがあったから、冬威なりに気を遣っているのかもしれない。 「お待たせしました」 ドアを開けると、冬威が風呂敷包みを持って立っていた。 「はいっ。これ、お土産でーす」 ずい、と包みを差し出す。反射的に受け取って、 「はあ、どうも」 常とは違う展開に戸惑いつつも、茉莉は冬威を六畳間に案内した。 長い付き合いになるが、この男が土産などというものを持ってきたのは数えるほどしかない。それも長期の仕事の際、報告書を代筆する見返りに、地方の名品(珍品)の類を半ば押しつけるようにして置いていったぐらいだ。 今回も、それかな。このところ報告書の代書はしてないが。 つらつらと考えながら、ふたたび風呂敷包みに視線を戻す。 「で、これはいったい……」 「餅だよ」 「は?」 「だから、餅だってば」 いまごろ、餅? まあ、べつに正月でなくても餅を食べることはあるが、この男が土産に餅とは、どういうことなのだろう。 「たーっくさん、もらったんだよー。だから、マリちゃんにもおすそわけ〜」 冬威は鼻唄を歌いつつ、風呂敷を広げた。 「今日さあ、五月組の若頭が釈放されるってんで、オレ、様子を見にいってたんだよ。そしたら、姐さんに声かけられて」 「はあ、姐さん……ですか」 「なーんか、オレが身辺調査してたのが、かえってよかったみたいでねー。若頭、濡れ衣きせられるトコだったのが、助かったからって」 そんなこんなで、冬威は五月組の組頭が設けた宴席に招かれ、帰り際に土産だと言って、分厚い封筒と紅白の餅をもらったらしい。 「ふっ……封筒?」 我知らず、声がうわずる。それって、めちゃくちゃヤバいじゃねえか。 組関係から袖の下を受け取るのは、諸刃の剣だ。「分厚い封筒」がいつなんどき弾丸に変わるかわからない。 「あ、マリちゃん。いま、『まずい』って思ったでしょ」 しまった。ばれたか。 山盛りの紅白餅を前に、茉莉は覚悟を決めた。まだ飯を食っていないこの男の機嫌を損ねてしまったら。結果は火を見るより明らかだ。フルコースかトライアスロン。あしたはサイアクの場合は欠勤だな。 背中に季節外れの寒風が吹き抜けたとき。 「だいじょーぶだよー。ちゃーんと所長に報告して、加賀ちゃん経由で封筒は返してもらうことにしたから」 加賀とは菅原所長の友人で、やり手の弁護士である。 なるほど。たしかに、その場で断っては角が立つ。この男でもそんな配慮ができるんだな。茉莉は感心した。 自分と一緒にいるときの冬威は、わがままで自分勝手で、まっすぐに気持ちをぶつけることしかできない子供だが、こと「仕事」に関してはまったく違うのだろう。上中野が言っていたように、そのあたりは二重人格的ですらある。 「それは……いろいろと、おつかれさまでした」 茉莉は心から、そう言った。 「じゃ、これはあとで焼きますね。いま餃子を作ってるんで……」 「えーっ、餃子?」 ぱっと表情を明るくして、冬威は立ち上がった。 「オレ、手伝う〜」 薮蛇だったかも。心の中で嘆息する。 まあ、仕方がないか。餃子包み器を買っておいてよかった。茉莉は餃子の皮と具を卓袱台の上に並べ、 「じゃあ、これ、お願いしますね」 包み器の使い方を説明する。 「おれはスープの用意をしてきます」 「うんうん。まっかせて〜」 やる気満々の顔で、冬威は断言した。 予想外に、冬威はかなりきれいに餃子を作った。とはいえ餃子包み器の形状に問題があったのか、やたらと薄っぺらな形にできあがってしまい、見た目は餃子というよりラビオリだ。しかも用意した具の三分の一ちかくがボウルに残っていて、茉莉は仕方なく、肉団子を作ることにした。冷凍しておけば、次回に使えるだろう。せっかく買った食材を無駄にしたくはない。 「オレ、団子丸めるのもやる〜」 冬威が手を上げて、言った。 ほんとは、遠慮したい。あまりたくさん「お手伝い」をさせると、あとで「ご褒美」がたいへんだ。フルコースまではいかなくても、特別メニューを要求されるかもしれない。 普通の惣菜で、十分なんだけどな……。 ふと、そんなことを思う。いや、その、つまり、あっちの方も基本メニューがいいということで。 「できたよーっ」 晴れやかな声。茉莉は冬威をねぎらって、卓袱台の上を片づけた。肉団子を冷凍庫に入れ、酢の物を大鉢に盛る。いざ餃子を焼く段になって、フライパンを前にしばし考えた。 冬威が包み器で作った餃子と、茉莉が包んだ餃子とでは明らかに形状が違う。具の量も違うので、別々に焼かなければ火の通りがうまくいかない。 さて、どうするか。 しばし考えた結果、茉莉は天ぷら鍋を取り出した。ラビオリ風の餃子は、揚げ餃子にしよう。そうすれば食感も味も変わってちょうどいい。 われながら、いいアイデアだよな。茉莉はフライパンと天ぷら鍋を並べて、調理にかかった。 「あれえ、なにしてんの?」 冬威が興味津々といった顔で、コンロの前にやってきた。 ……もう「お手伝い」はいいよ。 真剣にそう思う。しかし、冬威は天ぷら鍋を覗き込んで、 「うわあ、餃子のからあげかー。おいしそ〜」 このうえなく、うれしそうな顔。茉莉は半ばあきらめた。仕方ないな。特別メニューぐらいは受けてやるか。 ほとんど惰性でそう思ったとき。 パン! 「……っ!」 冬威が壁際まで跳んだ。手にはバタフライナイフ。瞬時に防御と攻撃の構えをとっている。 一瞬、思考が凍った。 これって……。 茉莉の脳裡に、ある一場面が甦った。色づく木々。落ち葉の舞う季節。裏庭で栗を焼いたときの記憶。 だめだぞ。 茉莉は思った。笑っちゃ、だめだ。 この男のプライドは尋常ではない。揚げ餃子が弾けたぐらいで殺気全開になったからって、ここで笑ったらおしまいだ。 あのときは散々だった。フルコースとトライアスロン、さらには特注のアラカルト。翌日はまったく身動きがとれなかったっけ。 「……大丈夫ですか?」 かろうじて、言葉をひねり出した。 「揚げものは危ないですから、おれがやりますよ」 渾身の(?)微笑みを送る。冬威の顔から、瞬時に緊張の色が消えた。 「もう少し、そっちで待っててくださいね」 「うん。待ってる」 すっかり、いつもの冬威だった。 うまくいった。心の中で呟く。自分で自分にピースを送りたいぐらいだ。 何事もなかったかのように、コンロに向かう。どうやら、包み器で作った餃子には中に空気が入ってしまったらしい。冬威に気づかれないように、注意深くそれを直す。よし。これでいい。 茉莉は手際よく、調理を進めていった。 そして、その後。 冬威は十二分に、食欲ともうひとつの欲求を満たされた。 その陰に、常に倍する茉莉の努力があったことは、言うまでもない。 (THE END) |