宿り木  by 近衛 遼




第十二話 年越しのお仕事

 師走の三十一日。三剣茉莉は、以前冬威にもらった鶴丸印の鍋を総動員しておせち料理を作っていた。
 いつもなら商店街で出来合いのものを買うか実家に帰るかするのだが、今年はそうはいかない。なぜなら、冬威が来るから。
 栗色の髪とオリーブグリーンの眼のクォーター。菅原事務所の敏腕調査員の篁冬威。
 茉莉の作る食事と茉莉自身に異常なまでに執着しているあの男は、長期出張のとき以外は三日と空けずに茉莉の家に通ってくる。
「マリちゃんのごはんはおいしいね〜」
 にこにこと笑いながら軽く三人前の量をたいらげ、
「おなかもいっぱいになったことだし、そろそろ寝よっか〜」
 と、茉莉を蒲団に引っ張り込む。そんな関係が、もうずいぶん続いていた。
 きっかけを作ったのは自分なので、いまさらそれを拒む気はないが、さすがに正月に泊まりに来ると言われたときは腰が引けた。
「正月休みなんて、オレ、久しぶりだなー」
 一週間ばかり前。昼休みの事務所で、やたらとうれしそうに冬威は言った。
「休みのあいだ、マリちゃんんちに泊まりに行ってもいーい?」
 期待をこめたまなざし。
 正直、断りたかった。三食作らなくてはいけないし、うっかりするとあっちの方も連チャンだ。いくらなんでも、そんな「寝正月」は遠慮したい。が、全面的に拒否するわけにもいかない。
 どのあたりで折り合いをつけるかな。茉莉は脳細胞をフルに働かせて、計算した。
「いいですけど、大掃除とか、正月の用意もあるんで……」
「用意って……ああ、あれね〜」
 なにやら勝手に納得して、冬威は頷いた。
「そんなの、オレがやるよー。新しい蒲団と寝間着と枕と……」
 ……なにを考えているんだ。この男は。茉莉は脱力した。
「篁さん。場所柄をわきまえてください」
 いわゆる「姫始め」の支度について述べる冬威をやんわりと制し、茉莉は語を繋いだ。
「おれが言ってるのは、門松とか注連縄とかおせち料理のことですよ。お供えの鏡餅も作らなきゃいけないし」
 休みを全部、この男に奪われるのは嫌だ。せめて半分は自由に使いたい。
 こうして、かろうじて休暇の前半を確保し、茉莉は正月の準備をした。餅つきや大掃除などはきのうまでに終わり、今日はおせち料理の仕上げである。棒鱈や昆布巻きや黒豆といった煮物はすでにできている。最終日は、なますやキンピラや焼きものを作るつもりだった。
「えーと、こっちはもう一回火を入れて、と」
 煮染めの鍋を火にかける。紅白なますは冷蔵庫に仕舞い、キンピラ用のごぼうのささがきを作っているところに、玄関から聞き慣れた声がした。
「マリちゃ〜ん」
 ずいぶん早いじゃねえか。
 舌打ちをしつつ、戸口に向かう。今夜、年越しそばを一緒に食べる約束はしていたが。
「こんにちはー。うわあ、すっごいごちそう〜」
 米の袋を抱えた冬威が、板の間に上がってきた。
「なんか、いつものごはんより量も品数も多いねえ」
「おせち料理は三の重までありますから。これでも少ない方なんですよ」
 源造 さんは、この倍は作ってたよな。実家の旅館に長年勤めている板長のことを思い出す。
 多少料理ができるからといって、茉莉とてプロのようにいろいろ作れるわけではない。まあ、ふだんの食事にくらべれば、かなりバラエティーに富んでいるとは思うが。
 冬威はめずらしそうに、鍋の中を覗き込んだ。
「あー、いまからキンピラ作るの? オレ、胡麻がたくさん入ってるのがいいな〜」
 ごぼうのささがきを見て、言う。
「わかりました。多めに入れます」
 このごろ、冬威は味付けの注文をするようになった。もちろん、茉莉が作ったものなら、なんでもおいしそうに食べるのは変わらない。
「キーンピラ、キンピラ〜」
 うきうきと鼻唄まで歌っている。やはり、この男の精神年齢は五歳児並みだ。
「ところで、篁さん」
 茉莉は先刻から気になっていた疑問を口にした。
「その米、どうしたんですか」
 有名な銘柄米。茉莉がいつも買っているものの倍以上はする最高級品だ。
「ああ、これ。ここへ来る途中で、もらったんだ」
「もらった?」
「商店街で、福引きをやっててねー。酒屋のおやじに、やってみろって言われたんで一回だけ回したら、当たったのよ」
「……よかったですね」
 こっちは五回やって、全部ごみ袋だったというのに。なんとなく、むなしい。
 とことん庶民なことを考えていると、冬威はおもむろにそれを米櫃の中に空けた。
「なにするんですかっ!」
 突然のことに、驚いて声を上げる。冬威はきょとんとして、
「え、だって、マリちゃんにあげようと思って」
 それはわかる。わかるが、それなら袋のまま床にでも置いてほしかった。米櫃には、まだ三分の一ばかり古い米が残っていた。当然ながら、いつも買うブレンド米だ。
 どうせなら、最高級品を単品で賞味したかった。米櫃を見下ろしつつ、嘆息する。
「あの……怒ったの?」
 モスグリーンの瞳が、心配そうにこちらを窺っている。
「……怒ってませんよ」
 ちょっと、がっかりしただけで。いや、だいぶ、かなり、思いっきりがっかりしたが、混ざってしまったものは仕方ない。まあ、最高級の銘柄米がブレンドされたのだ。それでよしとするか。
「ありがとうございます。あとで、米を買いに行こうかと思っていたんで……ちょうどよかったですよ」
 笑顔を作って、言う。冬威の表情が、ぱっと変わった。
「そっかー。タイミングばっちりだったねえ。これも愛の力かも〜」
 途端に饒舌になる。
 本当に、子供のようだ。ちょっとのことで一喜一憂して。だからつい、応えようと思ってしまうんだよな。あんたの笑う顔が見たくて。
「ごはんが炊けるまで、そのへんにあるものをつまんでてください。年越しそばは、除夜の鐘が鳴りはじめてから作りますね」
「うんっ。待ってる〜」
 卓袱台の前にすわって、うれしそうに冬威は言った。


 夕飯のあと。茉莉は重箱の中に、おせち料理を一品一品並べていった。冬威にそれぞれの料理の謂れを説明しながら。
「へーえ、マリちゃんって、かしこいんだね〜」
 頬杖をつきながら、冬威はそれを興味深げに眺めていた。
 そして、時間は過ぎて。
 近くの寺から除夜の鐘が聞こえてきた。ざわざわと、初詣に向かう人の足音も。
 冬威はそばを食べている。きっと、もうすぐおかわりがほしいと言うだろう。夕飯に大鉢いっぱいのキンピラや煮染めを食べたけど。
 それはそれ。これはこれ。
「んー、おいしいなーっ。おかわり、ある?」
 やっぱり、な。茉莉が二杯目のそばを卓袱台に置いたとき。
 静かに、新しい年が明けた。


(THE END)