宿り木 by 近衛 遼




第十一話 ご褒美をねだる男

ACT2

 結果。
 あたりにミンチを飛び散らせながらも、わらじのようなハンバーグがふたつ、出来上がった。どう見ても茉莉が作ったものの倍はある。
 いずれにしても二回に分けて焼くつもりだったから、まあいいか。茉莉はフライパンをコンロに乗せて、火を点けた。
 まずはこのわらじを焼いてしまおう。冬威は腹がへってるらしい。食欲がべつの欲求にスライドする前に、さっさと食わせなくては。
「あ、それ、オレがやる〜」
 流しで手を洗っていた冬威が、首をのばすようにして言った。
「え、でも……」
「やりたいんだもん。いいでしょ?」
「はあ、それじゃ……」
 本当は、断わりたかった。ハンバーグは火加減が難しい。強すぎると周りだけ焦げて生焼けになるし、弱火で長く焼くと肉汁が出てしまう。
 パサパサのハンバーグは食えたもんじゃないし、生焼けは危険だ。が、それを口にしてはいけない。なにしろこの男は、異常にプライドが高いのだ。うっかりしたことを言うと、倍返しされるのは目に見えている。
 これなら「おなかすーいたー、なんか食べたーい」と歌いながら卓袱台を箸で叩いてもらってた方がマシだったな。
「あーっ、マリちゃん!」
 つらつらと考えていたところに、またしても絶叫。
「……今度はなんですっ」
「ハンバーグがひっついちゃったよ〜」
「あんた、油ひかなかったんですか」
「油? さっき、ちゃんと手に塗ったよー」
 ダメだ、こりゃ。やはり猿にでもわかるように、逐一段取りを教える必要があるらしい。
「……焼くときにフライパンに油をひかないと、こびりついてしまうんですよ」
「なーんだ、そうだったの。マリちゃんって、物知りだね〜」
 これは常識の範疇だ。誉められてもうれしくない。
「じゃ、これ、どうする?」
 不安そうな声。茉莉は嘆息して、フライパンの前に立った。このままひっくり返しても、ぼろぼろになるだけだ。それならいっそのこと、形を崩してスープにしてしまおう。
 サラダ用に切ってあったキャベツやニンジンをフライパンに放りこみ、水と固形スープの素を入れる。
「せっかく作ったのに〜」
 冬威がうじうじと文句を言っている。
「捨てるよりは、ましでしょ」
「それはそうだけどさー」
「次は、油をひくのを忘れないでくださいね」
「次?」
 冬威のモスグリーンの目が、大きく見開かれた。
「……うんっ! 次はちゃんとやるねっ」
 もう機嫌が直っている。茉莉は苦笑した。
 つくづく、甘いよな。自分でもそう思う。結局はこの男のわがままを許してしまうんだから。
 スープをべつの鍋に移し、フライパンを洗う。冬威はうきうきしながら待っている。
「焼く前に、油〜」
 楽しそうな声。ここで油断したら、黒焦げのハンバーグを食べることは必至だ。火加減だけは、しっかりチェックしてやるぞ。
「油、ひいたよー」
 鬼の首でも獲ったかのように、冬威が宣言した。茉莉の作ったハンバーグが次々に並べられる。
「最初は強火で、焦げ目がついたらひっくり返して、あとは火を弱めてじっくり焼いてください」
「どうして弱火にするのよ。 オレ、早く食べたいのに〜」
「ずっと強火のままだと、中に火が通る前に焦げてしまうんですよ」
 煮魚を温めなおすのに強火にして、鍋を焦げつかせたくせに。もう忘れたのだろうか。
「炭化したハンバーグなんて、食べたくないでしょ」
「……うん。炭は苦いし」
 ようやく、思い出したらしい。真剣な顔で火を調節している。
 細かく指導した甲斐あって、無事にハンバーグが焼き上がった。皿に盛り付け、卓袱台に運ぶ。
 スープとサラダとごはんを並べると、卓袱台の上は料理でいっぱいになった。
「うわあ、すっごいごちそうだね〜。いただきまーすっ」
 にこにこと笑いながら、冬威は箸を取った。スープ用にスプーンを出そうかと思ったが、冬威はすでに味噌汁をすするようにして口をつけて飲んでいる。やたらと機嫌がいいので、ここで流れを止めるのはやめよう。
「いただきます」
 茉莉は丁寧に手を合わせ、冬威の「はじめての料理」に箸をつけた。


 約四十分後。
 皿もスープの鍋も、見事に空になった。冬威はいつにもまして「おいしいねー」を連発し、五個あったハンバーグのうち四個をたいらげた。結局茉莉の口に入ったのは一個だけで、床に落ちたミンチの入ったスープを飲む羽目になってしまった。できれば、あれは遠慮したかったんだけどな……。
 茉莉の心中を知るはずもなく、冬威はあいかわらずご機嫌だった。茉莉が皿を洗っているあいだ、ほうじ茶をすすりながら鼻唄まで歌っている。
 これはこれで無気味だよな。茉莉は思った。大吉は大凶に通じるとも言うし。
 なんとなく、不穏な空気を感じ始めたとき。
「ねえねえ、マリちゃん」
 耳元で、声。
「……なんですか」
 来た。
 茉莉は流しの水を止めた。
「オレ、今日、がんばったよね〜」
「ええ、まあ……」
「だったら、ご褒美ちょーだい」
「は?」
 わずかに身をよじって、うしろを向く。モスグリーンの瞳が至近距離で茉莉を見つめていた。
「だーかーらー。ご褒美だってば〜」
 唇に笑み。冬威の腕が茉莉の腰に回った。その意味を察して、あわてて身を引く。
「ちょっ……ちょっと待ってください。いま、蒲団を……」
「もう敷いたもーん」
「え……」
 いつのまに敷いたんだ。ぜんぜん気がつかなかった。
「ちゃーんと、襖を外してから敷いたからねーっ」
 どうやら、以前よりは学習能力がアップしたらしい。とりあえず被害はなかったことだし、これはやっぱり、「ご褒美」をやらなきゃだめなんだろうな……。
「ねえねえ、マリちゃん。早く〜」
 しあわせそうな顔で、しあわせそうな声で、冬威は言う。はいはい。わかったよ。茉莉は心の中で嘆息した。
 この男は子供。求めることしか知らない子供。そして自分は、そんな子供に求められてしまったんだ。
 洗い桶にぽたん、と水滴が落ちた。茉莉は六畳間の明かりを消して、目の前の男に従った。


(THE END)