宿り木  by 近衛 遼




第二十六話 お好みの愛を

 その日、三剣茉莉は近所にオープンしたばかりの業務用スーパーにいた。
 商店街の一角に開店したその店は品揃えもよく安価で、既存の個人商店からは目の仇にされるかと思いきや、地元のイベントに利益度外視で商品を提供して、あっというまに地域に根付いてしまった。
 たしかに、なにもかも安い。が、ある程度まとまった量を買わなくてはいけないのがネックだ。
 独り暮しでは、キュウリ二十本とかニンジン十本とかエノキ五袋なんて消費しきれるものではない。いきおい、三世代同居とか、子供の多い家庭とか、生協感覚で近所の人たちを誘ってくる主婦たちが、その店の常連となっていた。が。
 茉莉にとっては、この類のスーパーはありがたいの一言に尽きた。なにしろ、週に二度(うっかりしたら三度)、とんでもない食欲ともうひとつの欲求を抱えた男がやってくるのだ。少なくとも、食欲ぐらいはしっかりばっちり満たしておかないと、あとのあれこれがタイヘンである。
 今日の特売品は、豚肉だった。百グラム五十八円。しかも、キャベツはなんと、ひと玉五十円。もう、これで決まりだ。
 今夜のメニューは、お好み焼き!
 茉莉の母は関西の出身で、茉莉も子供のころから母の作るお好み焼きが大好きだった。キャベツと豚肉のシンプルなものから、イカやエビの入ったもの、牛すじ肉の入ったもの、あるいは焼きソバの入った通称「モダン焼き」、青ネギをこんもり入れて醤油ベースのタレで食べるネギ焼きまで、いろいろなパターンを味わってきた。
 前回からのインターバルを考えると、今日、あの男が来る確率が高い。ここはやはり、迎撃準備(?)をしておくべきであろう。
 茉莉はお好み焼きの材料を大量に買い込み、篁冬威の襲来に備えた。


「こーんばーんはー」
 予想的中。やたらと明るい声が、玄関から聞こえた。
 台所は準備万端整っている。よし、いまから戦闘開始。茉莉は下腹に力を入れて、ドアを開けた。
「こんばんは、篁さん」
 根性の笑みで、言う。冬威はうきうきと中に入ってきた。
「今日のおかずは、なーにかなっ」
 いつものセリフを口にしつつ、台所を見遣る。
「お好み焼きです」
「お好み焼き? うわー、なんか、いっぱいあるねー」
 冬威の言葉通り、茉莉はありとあらゆる具材を用意していた。肉類魚介類、生地もベーシックなものからネギ焼き用のものとイカ焼き用のもの、さらにはクレープのような生地にキャベツをたっぷり乗せる広島焼きまで、何種類か準備した。
「いまから作りますから、待っててくださいね」
「はーい。待ってまーす」
 冬威は幼稚園児のように手を上げて、卓袱台の前にすわった。箸を手にして、鼻唄を歌っている。
 英語……じゃないよな。馴染みのない発音で、それは続いている。
 この男は十二歳まで外国の福祉施設にいたらしい。そこにはきっと、いろんな国の子供たちがいたのだろう。そのときに覚えた歌なのかもしれない。
 茉莉はホットプレートとふたつのフライパンとを併用して、いろいろな種類のお好み焼きを焼いていった。この男のことだ。二枚や三枚で満腹になるわけはない。同時に五枚ぐらいは焼かないと。
 たいていの場合、食べ終わったあとはアレに直行だ。それまでに、こっちもちゃんとエネルギー補給をしておかねばならない。
「マリちゃーん、これ、なんだか焦げてるみたいだけど……」
「え、すみません。ひっくり返してくださいっ」
「はーい。……うわ、あっつーいっ」
「なにやってんですかっ!」
 素手でお好み焼きひっくり返すんじゃねえよっっ!!
 茉莉は冷凍庫から保冷剤を取り出した。
「ほら、これで冷やして。直にさわっちゃダメですよ。焼鳥のときも火傷したくせに……」
「ごめーん。でもオレ、マリちゃんの役にたちたかったんだもん〜」
 明朝体で「ぐすん」と背景にテロップが流れそうな表情で、冬威が言った。
 ああ、そうだな。けど、少しぐらいは学習してくれ。
 淡い期待だとはわかっているが、茉莉は心の中で嘆息した。
「これはちょっと、食べられそうにないですね。作り直しますから、こっちを先に召し上がっててください」
 うまく焼けた豚肉入りお好み焼き(豚玉)を皿に乗せる。
「ソースとマヨネーズと青のりとかつおぶし。紅ショウガもありますから、そのへんはお好みで……」
「それ、食べる」
 ぼそり、と冬威が言った。
「は?」
「その焦げたやつ」
「え、でも、これは……」
「食べたいんだもん」
「……はあ、そうですか」
 こういう場合、逆らうのは得策ではない。過去の経験から、茉莉は判断した。
「じゃあ、どうぞ。苦いかもしれませんから、ケチャップでもつけますか?」
「うんっ。マリちゃんて、やさしいんだね」
 ちょっとしたひとことを付け加えるだけで、うれしいらしい。自分で言うのもなんだが、扱いがうまくなったよな。こんなことがうまくなっても、あまり誉められたものじゃないが。
「カリカリしてて、おいしいよ〜」
 焦げたお好み焼きを食べながら、冬威。
「よかったですね」
 機嫌よくしているのなら、余計なことは言わないでおこう。茉莉は手早く、ネギ焼きや広島焼きを仕上げていった。自分用の豚玉も作って、皿に乗せる。
 そのころにはすでに、冬威は二皿目を完食し、三皿目のネギ焼きに箸を伸ばしていた。あいかわらず、食べるのが早い。
「お好み焼きって、ほんとにイロイロ種類があるんだねー。前に五月組の若頭に連れてってもらった店なんか、伊勢海老とか松坂牛とか乗ってたし」
「いっ……伊勢海老に松坂牛??」
 茉莉は目が点になった。なんなんだ。その店は。本当にお好み焼き屋なのか?
 その疑問を口にすると、
「んー、どうだったかなー。若頭が『お好み焼きは自分の好きなモン入れたらええんじゃ』とか言って注文してたけど」
 ということは、どこかの料亭で別注した可能性が高いな。茉莉は納得した。
 ちなみに、五月組というのは関西では名の知れた暴力団で、以前、菅原事務所が関わったある事件のとき、冬威がその担当だったのだ。その際、若頭は冬威のおかげで冤罪を免れたということで、以来、冬威が非合法スレスレの調査をするときなどに、密かに手を回してくれているらしい。
 もっとも、そのあたりの事情は自分のような事務員が知る必要もないし、うっかり首を突っ込んだら巻き添えを食らう可能性がある。君子危うきに近寄らず。すでに、冬威というとんでもない男と関わってしまっているのだ。これ以上、危険因子を増やしたくはない。
「ねえねえ、マリちゃん。こっちはなにが入ってるの?」
 三皿目を食べ終えた冬威が、言う。
「モダン焼きといって、焼きそばが入ってます。具は豚肉とイカと牛肉で……」
「うわあ、豪華だねーっ」
 伊勢海老や松坂牛にくらべたら、思い切りリーズナブルだがな。
「これには、少し辛口のソースが合うと思いますよ」
 ふたたび根性の笑顔で言う。冬威は至極ご機嫌で、四皿目を口に運んだ。


 結局、茉莉の予想通り、冬威は全五種類、計六皿のお好み焼きをたいらげた(どうやらモダン焼きが気に入ったらしく、おかわりしたのだ)。
「おなかがいっぱいで、しあわせ〜」
 本当にしあわせそうに、卓袱台のそばで横になる。このまま寝てくれれば、今日は「勝ち」なんだがな。
 そんなことを考えながら皿を洗っていると、うしろから、またぼそぼそと鼻唄が聞こえてきた。先刻と同じような、聞き慣れない発音の歌。
 いったい、何語なんだろう。まあ、世界には様々な国があるし、少数民族の使う言葉も入れたら、何千種類もの言語があるだろうから、わからなくてもあたりまえだ。
 洗い物を終えて、八畳に移動する。冬威は同じ歌を口ずさみながら、とことこと付いてきた。どうやら、もう一方の欲求を思い出したらしい。
 仕方ないな。この男相手に、そう簡単に「勝ち」を獲得できるわけないか。観念して、電気を消す。
 ……頼むから、こっちは六皿も食うんじゃねえぞ。
 蒲団の上で、茉莉は思い切り切実にそう思った。


 (THE END)