| 宿り木 by 近衛 遼 第二十一話 祈りを捧げる男 ACT10 「失礼しました。何度も嫌な思いをさせてしまって」 ホームで電車を待つあいだ、尊文が言った。 「いいえ。それより、あの人は……」 「ぼくの従兄弟です」 というと、桜井コーポレーションの現社長の息子か。資料によれば、ニューヨーク支社に勤務しているはずだが。 それを言うと、尊文はわずかに顔を歪めた。 「辞めたんですよ」 「えっ」 「辞表はまだ受理されてませんけどね。本人は、それが最善の方法だと思ったようです。ぼくが桜井の家に戻らないのなら、と」 漠然とではあるが、彼らのあいだになにかしらの事情があることはわかった。今回、尊文が急に実家に帰ったのも、そのあたりが関係しているのだろう。 「でも、桜井さんは取締役に就任したのに……」 「そう。ぼくはぼくの覚悟を示したつもりです。なのに、あいつは……ああ、すみません。またこんな愚痴をお聞かせして」 尊文は困ったような顔をした。 「とにかく、ヒロの……いや、尊寛(たかひろ)の無礼はお詫びします。今後、あのようなことがないように、きっちり引導を渡しておきますから」 引導とは、また穏やかでない。茉莉は尊寛のじりじりとした視線を思い出していた。 なーんか、似てるんだよな。あの男と。 きっと尊寛も、ほしいものをほしいとしか言えなかったんだろう。求めて求めて。そしてまた、尊文もそれを全否定できなかったのかもしれない。 そういう相手に「引導」なんか渡せるもんか。できるんなら、とっくにやっているはずだ。自らを顧みて、そう思う。 「覚悟、したんでしょ」 差し出がましいとは思ったが、言ってみた。 「え?」 「桜井さん、逃げないって言ってたじゃないですか。このあいだ、おれんちに来たときに」 「三剣さん……」 「おれのことなんか、どうでもいいです。おれはおれの仕事をしてるだけだから。どんな仕事でも、クレームや妨害は付きものです。いちいち気にしてたら、やってられませんよ」 尊文のつややかな双眸が見開かれた。しばらくして、それがきれいに細められ、 「……本当に、あなたって人は……」 以前のような口調で、尊文がそう言ったとき。 「マリちゃーーーーーーんっっ!!」 まるで迷子になった幼子が母親を呼ぶときのような声が、ホームに響いた。 「見ーつけたっ!」 どしん、と、ぶつかるように抱きついてきたのは、昨夜まで五日連続、茉莉の家に「見舞い」に来ていた篁冬威だった。 「よかったー。帰りが遅いから、オレ、心配しちゃったよ〜」 周囲の視線が、一斉にこちらに集まっている。 「ちょ……ちょっと篁さん。ふざけるのはやめてください!」 この男の突飛な行動には慣れたつもりだったが、さすがに衆人環視の中で抱きしめられるのはイヤだ。冬威はしぶしぶ手をはなし、 「打ち合わせ終わったんなら、ごはん食べにいこうよー。マリちゃんのごはんじゃなくても、ガマンするからさ〜」 この男にしては、かなりな譲歩だ。茉莉はため息をつきつつ、 「すみません、桜井さん。おれ、ここで失礼します」 せっかく切符を買ったが、すぐにでもこの男にメシを食わせないと、またぞろどんな事態になるかわからない。真っ昼間に、しかも勤務中にホテルに直行されては大変だ。 「わかりました。後日、また事務所に連絡を入れます」 「よろしくお願いします」 ビシネスライクに礼を交わし、茉莉は踵を返した。 ああ。やっぱり、似てるな。 横にいる男から漂う、焼け付くような「気」。それは「嫉妬」とひとことで言うには、あまりにも強烈なものだった。 じつを言うと。 メシを食わしてもダメかもしれないと、半ばあきらめていた。 前回、尊文と話をしているところに割って入られ、そのあと散々な目に遭った。事情は説明したけれど、それでこの男が納得したとは思えなかったから。 理屈ではわかっていても、感情では許せない。この男のそういった傾向は、いやというほど身に染みていた。が。 「おいしかったね〜、マリちゃん」 たいしてめずらしくもない、いわゆる定食屋で昼食をとったあと、冬威は幾度となくそのセリフを口にした。 「あーゆーの、今度作ってね〜。煮物はジャガイモより里芋の方がいいなーっ」 ますます注文が細かくなってきたな。 心の中で嘆息しつつも、それをうれしく思う自分もたしかに存在する。茉莉は微笑して、 「長芋の煮物もさっぱりしてておいしいですよ」 「ホント? じゃ、次はそれだねっ。楽しみだな〜」 事務所に向かう地下鉄の中で、自分たちだけがやたらと浮いているのを感じながらも、とりあえず「サービスタイム」のそのテのホテルに引っ張り込まれなくてよかったと胸を撫で下ろしたのだった。 午後。茉莉は報告書の作成や未処理の伝票に山に埋もれて過ごした。 なんとか七割がた片付けたころには、もう終業間近だった。残業をしてもよかったのだが、菅原が月末までに帳尻を合わせればいいと言うので、今日のところは早めに帰宅することにした。久々の出勤で、少し疲れていたから。 手早く帰り支度をしていると、絶妙のタイモングで冬威が出先から戻ってきた。 「あ、マリちゃん、もう帰るの。じゃ、オレも〜」 調査資料やメモなどを、ぽん、と机に投げ捨てる。 ……今日も来る気なのか。茉莉は疲労が五割増しになったような気がした。 まさか、また花束や菓子を持ってくるんじゃないだろうな。いくらなんでも、もう配るところがない。それでなくてもこの三日ばかり、毎日のように「到来ものなんですが」とご近所にお裾分けに回っているので、いろいろと勘繰られているというのに。 どんよりとしながら帰路についた茉莉のうしろを、冬威がスキップをするような足取りでついてくる。例によって藤堂に「お、三剣。『同伴』かあ」とからかわれたが、それに返事をする気も起きなかった。 「あー、おいしかった〜」 忘れないうちにと商店街で買った長芋は、半分は豚肉との煮物に、残り半分は短冊に切ってもずく酢と混ぜた。いつものごとく、その大半を食べた冬威は、これまたいつものごとく卓袱台の前でごろんと横になった。 よし。ここまでは順調だ。茉莉は流し台の前で皿や茶碗を洗いながら、思った。問題は、このあとだ。 前回、かなりひどい状況だったので、さすがの冬威もそのあとは茉莉に手を出してきていない。が、仕事にも復帰したし、そろそろ通常通りのパターンになってもおかしくはない。 誘ってくるかな。まあ、そうなったらなったで、べつにかまわないんだが。 あの折の後遺症はもうないし、じつのところ自分はそんなに怒っているわけじゃない。あれには、なにかしらの理由があったんだと思っているから。 いつもの冬威じゃなかった。行為の最中も、そのあとも。まったく自分の知らない冬威だった。 『まつり』 冬威は茉莉をそう呼んだ。 『おれを、ころしてもいいよ』 本気だったんだろう。そんなことは、茉莉にもわかった。わかったからこそ、気づかないふりをした。冗談はよせと、怒ったふうに見せかけて。 「ねえねえ、マリちゃん」 ぺったりと、冬威が背中に張り付いてきた。すっかりいつもの調子である。 「まだ終わんないの」 「炊飯器の中釜洗って、あしたのぶんの米をセットしたら終わりです」 「んー。じゃ、オレ、蒲団敷いてくるね〜」 やる気満々だな。茉莉は苦笑して、炊飯器のタイマーを午前六時に合わせた。 「蒲団、敷けたよー」 八畳間から声がする。茉莉は六畳間の電気を消して、奥へ入った。冬威はもう寝間着に着替えている。蒲団の周りには、脱ぎっぱなしの上着やシャツが散らばっていた。 「またこういう脱ぎ方をして……。せめて一カ所に集めておいてくださいよ」 「あ、ごめーん。ついクセでさー」 まったく反省した素振りもなく、冬威が言う。茉莉はため息をつきつつ、ズボンや上着をハンガーにかけた。と、そのとき。 ぽとり。足元に、白っぽい人形のようなものが落ちた。なんだろう。なにげなく、手をのばす。 「…………篁さん」 「え、なに?」 「これ……………どういうことです」 「これって、その人形?」 「そうです」 「よくできてるでしょ。オレが作ったんだよー。それに向かって願い事をすると、なんでも叶うって聞いたから、オレ、毎日マリちゃんのことお祈りして……」 毎日、「これ」にお祈りしてただと? 「どこのだれが、そんなことを言ったんですか」 「えっ……えーと……だれだったかな。たしかテレビで……」 「あんた、おれを殺す気ですかっ!!」 とうとう、茉莉はキレた。 茉莉が手にしていたもの。それは、ぐっさりと五寸釘が打ち付けられたワラ人形だった。 |