| 注意一秒、恋一生! by 近衛 遼 ACT22 いくら裏方といっても、仮にも法事の手伝いである。トレーナーにジーンズというわけにもいかないだろうと、将太は某スーパーの自社開発ブランドのスーツを買った。 「おにいちゃん、もしかして大学辞めるん?」 めざとくそれを見つけためぐみが、うきうきとした表情でそう言った。 「辞めへんわ。なんで辞めなあかんねん」 質問の意味がわからず、将太は妹をにらんだ。 「そやねえ。せーっかく親にも内緒で転部したのに」 「めぐみ!」 これみよがしに言わんでええ。それともこれは、暗に口止め料を要求しているのだろうか。 「もう〜。そんな恐い顔せんといて。ただでさえうっとおしいのに」 好き勝手なことを言っている。これをいちいち気にしていては、逢坂家では暮らしていけない。なおも詮索をしたそうなめぐみを扉の向こうに追いやり、将太は買ってきたばかりのスーツの値札を外した。 榎木ふみは、ぽかんと口を開けたまま固まった。 数秒後。 「どないしはったんどす、将太はん!」 「どないて言われても……そんなにおかしいか? これ」 いくらか自覚はあったが、ふみにこんなリアクションをされると、ますます自信がなくなる。やっぱり、似合うてへんねんな。 そら、そうか。スーツなんか、大学の入学式んとき以来や。 ちなみに。 将太は十八を過ぎてからも背が伸びていて、当時のスーツはいささか合わなくなってしまった。今回、予定外の出費をしたのは、そのためである。 「おかしいて言うか、その……すんまへん。見慣れてへんもんやさかい、つい……」 ばつが悪そうに、ふみは苦笑した。 「まあ、さっきのお人にくらべたら、たいしたことはおまへんけど」 「さっきの人て?」 自分のほかに、だれか手伝いに来たのだろうか。 「へえ。将太はんのお友達とちゃいますのん? ナンバみたいな髪した若い衆が、赤穂の地鶏を持ってきてくれはりまして」 ナンバ(トウモロコシ)みたいな髪て、まさか……。 心当たりがありすぎる。が、なぜ、あいつがここにいるんだろう。 「で、そいつは?」 「台所で、茶碗蒸しの用意してはりますわ」 ふみが踵を返す。将太はそのあとに続いた。 「遅かったなあ」 予想通り。 台所で鶏をさばいていたのは、忠義だった。ふみに貸してもらったのだろうか。ぱりっと糊のきいた割烹着を着ている。 「板場は三時間前には入っとかなあかんて、『花扇』のおやっさんが言うとったやろが」 「板場て……」 そんなことは聞いていない。法事の手伝いというから、茶を運んだり寺まで車を運転したりすればいいのだと思っていた。それから配膳や洗い物など、適宜にやればいいのだろう、と。 「ああ、もう、どうでもええわ。刺身は松倉さんが切ってくれたから、おまえ、天ぷらの用意、せえよ」 本庄家の料理人松倉は、黙々と刺身を盛り付けている。夏に一度倒れて、しばらく寝たり起きたりの生活だったが、このところは調子がいいようだ。 「今日は法事やから海老はナシで、かわりにあなごが……ああ、もう、なにボーッとしとんねん。早よ下ごしらえせんと。お客さん、来てしまうで」 茶碗蒸し用に鶏肉を細かく切りながら、忠義は怒鳴った。そら、そうやな。なんやワケわからんけど、手伝いに来てんから、ちゃんと手伝わんと。 将太は上着を脱いで、袖をまくった。 調理を進めながら聞いたところによると、忠義は先日の礼にと地鶏を持ってきたらしい。 「きのう姫さんに電話入れたら、今日はじいさんの法事やて言うやんか。おまえに手伝い頼んでるて聞いたから、ほな、俺もちょっとぐらい板場の用事できるし、朝イチで来たんや」 「朝イチて……」 「ああ。七時半には着いとったで」 「おまえ、ここ来るのはじめて違うたんか?」 「んー。はじめてやけど、おまえから住所聞いとったし、今日は道、すいとったからなー」 高速に乗るとカネがかかるので、地道で来たらしい。 それにしても、あのばーちゃんが、よう忠義を台所に入れたな。今日は松倉のおっちゃんもおるのに。 将太は心の中で首をかしげた。ふみいわく、「ナンバみたいな髪した若い衆」を多津が気に入ったとも思えないのだが。 もっとも、あらかじめ凛から忠義のことを聞いていたのかもしれない。多津のことだ。人手は多い方がいいと計算したとしても不思議ではない。 「なんや、玄関の方が賑やかになってきたな」 茶碗蒸しのだしを丁寧にこしつつ、忠義が言った。 「せやな。そろそろお寺さんも着くころやろし……」 そんなことを言っているとき、上がり口のところにきっちりとした礼服姿の凛が現れた。 「将太」 おはよう、も、ご苦労さま、もない。いて当然といった様子である。それでも、なんの反感も生まれない。 惚れた弱みなんかな。ふと思う。いや、でも。 最初っからそうやってんから、これはこいつが持って生まれた徳みたいなもんかもしれん。きっとこいつの周りには、気づかんうちにこいつのためになんかしようて思う人間が集まってるんや。たぶん、忠義もそのひとり。 「おばあさまが、あとで車を出してほしいって」 「わかった。時間は?」 「十一時三十分までに用意しておいて」 「よっしゃ。まかしとき」 将太がそう言うと、凛はくるりと踵を返した。すたすたと広間へと向かう。 「黒もええなあ」 将太の横で、忠義が呟いた。 「姫さん、色白やからますます映えて」 「アホ。しょうもないこと言うな」 台所には松倉もいるのだ。不用意なことは言えない。忠義もそれに気づいたのか、ひょいと肩をすくめて作業に戻った。 そして。 法事客二十人分の膳の用意は、着々と進んでいった。 法事といっても、一周忌や三回忌などではない。凛の祖父の三十三回忌である。さすがにそうなると、法事も一種の祭りに近いものがある。新潟に住んでいる多津の弟一家は曽孫まで連れてきていて、幼稚園に上がったばかりだという男の子が広間を走り回っていた。 「ほらほら、みんな、ごはん食べてはるやろ。もうちょっとガマンしよな」 危うくメロンの皿を落としそうになった将太が、小さな声でそう言った。男の子は無言のまま、ばしっと将太の足を叩いて逃げていく。 「しゃあないなー」 苦笑しつつ、廊下に出た。たしかに退屈だろう。大人ばかりだし、辛気くさい(と言ってはバチがあたるが)お経も聞かなくてはいけない。こんなところに、なにもあんな小さな子供を連れてこなくてもよかったのに。 直系なら、まだわかる。どんなに幼くても、いずれ自分がそれなりの付き合いをしていかなくてはならないということを教えるために。が、あの子は多津の方の身内であり、本庄家との関係は薄い。さらに言えば、あの子の両親でさえも本庄源太郎という人を知らないのだ。 なんや、大きな家っちゅうのもいろいろ大変やな。はじめのうちは、お城みたいなとこに住んでええ暮らししてるて思うとったけど。 なんとなくどんよりとした気分で台所に向かっていると、玄関近くの電話が鳴っているのに気づいた。 「はいはい。ちょっと待ってなー」 独り言を言いつつ、受話器を取る。 「はい、本庄でございま……」 「多津さん、呼んで」 いきなり、切り込まれた。 凛と付き合いはじめてから、あいさつも前置きもない物言いには慣れていたつもりだったが、さすがにこれにはむっとした。が、ここはよその家だ。いま、自分は手伝いに来ている身。うっかりしたことは言えない。 「あの、失礼ですけど、どちらさまですか」 精一杯、丁寧に言う。 「替わったらわかる。早よし」 取り付く島もない。将太はため息をついた。とりあえず保留ボタンを押す。 広間へ行く途中で、ふみに会った。電話のことを告げると、ふみは露骨に嫌な顔をした。 「ああ、きっと、福井の和歌子さまやわ。ほんまに、もう、ええ加減にしはったらよろしいのに」 なにやら、訳ありらしい。ふみはむっつりとしたまま、広間にいる多津に取り次いだ。 多津の眉がぴくりと動く。よっぽど嫌な相手やねんな。ま、なんとなくわかるけど。 すっくと多津は立ち上がった。着物の裾をぴしっと合わせ、将太の方を見ることもせずに横切っていく。 ひんやりとした鋭い「気」。将太はごくりと唾を飲み込んだ。 たしかに多津は厳しくて、恐い存在ではあったが、これほどまでの冷たさを感じたことはなかった。いったい、どうしたのだろう。気にはなるが、電話を盗み聞きするわけにもいかない。将太はそっと台所に戻った。 夕方になって、やっと遠方の者たちが腰を上げた。 「いやあ、ついつい長居してしもたなあ」 多津の弟はかなり酒が回っているらしい。上着をひとりで着ることもできず、ふみが介添えをしていた。 「ねえさんも、いっぺんうちに来てな」 「そのうちなぁ」 まったくそんな気はないのだろうが、多津は淡々とした口調で返している。凛は黙って、頭を下げた。 「しばらく見んうちに、凛もすっかり立派になって。ねえさんも安心やろ。宗子が出ていって、だいぶ心配しとったけど」 「え……」 途端に、凛の顔色が変わった。 「清次はん、今日は遠いところをお世話さんどした」 多津がぴしりと言った。 「あとでまた、ごあいさつさせてもらいますよって。帰り、気ぃつけとくれやっしゃ」 要するに、さっさと帰れということだ。それが通じたとは思えないが、一同はぞろぞろと広間を出た。多津がそれに続く。 「……おばあさま」 しぼりだすような、凛の声。 「なんえ」 「いまの、大おじさまのお話は……」 「酔っ払いの戯れ言どす」 「でも、『宗子』と……」 「おだまり。まだお客さんがいてはるんえ。見苦しい」 さっと裾を捌いて、玄関へ向かう。凛は色がなくなるほどに、唇を噛み締めていた。 |