注意一秒、恋一生! by 近衛 遼




ACT20
 学祭中は、大学構内に泊まり込む者も多い。実行委員である将太も例外ではなかった。
 バイトで徹夜というのは何度もあったし、体力的にはなんら問題はないのだが、夜中だろうがなんだろうが、おかまいなしに飛び込んでくる苦情や注文や要請にはマジでキレかけた。
「センパイは神様、センパイは神様、センパイは……」と、御題目のように唱えて耐えていた鷲尾も、明け方近くなると「あほんだらっ。んなこと、てめえらでなんとかせんかいっ!」と怒号を上げるようになっていた。……むろん、「神様」が引き上げたあとで。
「……朝やなあ」
 白々としてきた窓の外を見遣って、疲れきった様子の鷲尾が言った。
「こんなもん、来年は絶対やらんで」
 実のところ、将太も同意見だったのだが、ここで二人とも落ち込んでいてはいけない。ぬるくなったコーヒーを飲みつつ、
「ま、あと一日や。なんとかがんばろうや」
 自分自身にもエールを送る。鷲尾もそれに気づいたのか、大きく背伸びをした。
「ハラ減ったなー。コンビニ行って、なんか食べるもん仕入れてくるわ」
「牛乳、買うてきてなー」
 将太が注文する。鷲尾は大きなあくびをしつつ、部屋を出ていった。

 学祭の最終日。
 メインは体育館でのライブだった。昨夜、凛から連絡があり、昼ごろにこちらに来ると言っていた。
 くわしい話はしなかったが、どうやら、忠義にライブを見に来てくれと言われたらしい。人付き合いというものをほとんどしない凛だが、忠義とは比較的ふつうに接している。
 畑違いの相手の方が付き合いやすいんかもな。
 将太は思った。本庄家は地元の名家である。歩いているだけで、「本庄の若さん」という目で見られる土地柄だ。そんな環境で育った凛としては、「本庄」の名に左右されない場所を探していたのかもしれない。
 だから、片道二時間ちかくもかけて大阪の高校に通っているのか。単に進学校だという理由だけではなく。
 正午に、正門で。
 そういう約束だったが、例によっていろいろと雑用が重なり、将太が正門に到着したときにはもう一時近くになっていた。
 凛は携帯電話を持っていない。祖母の多津が、「高校生には必要おまへん」と切り捨てたらしい。いかにも多津が言いそうな台詞だ。
 怒っとるかな。そんなことを考えつつ、あたりを見回す。いない。
 まさか、帰ってしもたとか……。門の近くでチラシ配りをしていた知り合いに訊いてみたが、心当たりはないようだった。
「ヤローなんか、見てるわけないやろが」
 どうせ声をかけるなら、美人がいいに決まっている。そいつが言うには、お水系の美女と高校生ぐらいの女の子がしばらくだれかを待っていたようだが、あまりにも周りからいろいろと勧誘されるので、構内に入っていったと言う。
 もしかして。
 おせじにも勘がいいとは言いがたい将太だったが、それにはピンときた。
 「お水な美女と高校生」って………。
 将太は構内に引き返した。

 電話、してくれたらええのに。
 携帯を恨めしそうにながめつつ、将太は構内を歩き回った。どこ行ったんかな。凛はここに来たんははじめてのはずやけど……。
 模擬店の中をぶらぶらと見ているうちに、妙に人だかりのできているところがあった。
「こんな生焼けにカネが払えるかいな。食中毒出したら、あんたらだけやない、大学の名前かて新聞に載るんやでっ」
 威勢のいい啖呵。人垣をかきわけて中に入ると、そこには見知った顔が並んでいた。
「……どないしたんや、いったい」
 声をかけると、粋な和服姿の美女がくるりとこちらを向いた。結い上げた髪には、真赤な珊瑚のかんざしを差している。
「将太!」
 美女は……もとい、女姿の忠義は叫んだ。
「おまえ、いままでどこで油売っとってん!」
「どこでって……おれもイロイロ用事あって……」
「一時間も姫さん待たして、それで通るて思とるんか?」
 凄味をきかせて、言う。ほとんど、スジもんの姐さんだ。周りはすっかり引いている。何人かは、この「美女」が「くれなゐ太夫」のボーカリストだと気づいていたらしいが、その場の雰囲気にのまれて遠巻きにしている。
「それに、おまえ、模擬店のチェックが甘いで。これ、見てみ」
 忠義は、手に持っていた焼鳥を差し出した。
「冷凍もんを使うてるんはわかっとるけど、火加減もろくにせんで、表面だけ焼いとる。こんなもん食べたら、ハラ壊してしまうで」
 居酒屋でバイトしているだけあって、串焼きの火加減にはうるさい。将太もそのことはよく承知していたので、さっそくその焼鳥を調べてみた。たしかに、中は生だ。
「わかった。ほかんとこも、いまから調べるわ」
 携帯電話で鷲尾を呼び出し、何人かで模擬店を回るように頼んだ。
「いままで、なんともなかったんか」
 心配そうに、忠義が言った。
「学祭、三日目やろが」
「きのうまでは大丈夫やったけど」
 焼鳥を出していたその模擬店では、前日までは二回生や三回生が中心になっていたのだが、最終日は一回生が店番をすることになったらしい。
「センパイに連絡とって、監督してもらわなあかんで」
 とりあえず、上級生が来るまで店を閉めるように言って、将太たちはその場を離れた。
「悪かったなあ、凛」
 しばらく歩いてから、将太は言った。
「ほんまは、あちこち案内したかったんやけど」
「いいよ。べつに」
 こちらを見もせずに、言う。
 怒っとるんかな、やっぱり。将太は肩を落とした。せっかく来てもろたのに、どないしよ。
「まあ、おまえもいろいろ大変みたいやなー」
 忠義が口をはさんだ。先刻よりは、かなり態度が軟化している。
「大学っちゅうとこは、狭い世界で縦の関係が厳しいみたいやし……せや、姫さん」
 忠義は、ぽん、と手を打った。
「どうせこいつはアテにならんから、おれに付き合うてぇな」
「黄金丸さんと?」
 ちらりと視線を投げる。
 可愛いなー。ぼんやりと見とれていると、その視線がこちらに向いた。
「将太は、どうするの」
「え、ああ、おれはまだ、抜けられへんし……」
 しどろもどろになる。
「そう。じゃ、ぼく、黄金丸さんと一緒に行くから」
 なんの感情も窺えない声で、凛は言った。
「ほな、そーゆーことで。姫さん、おれ、いまからライブのリハやねん。お好み焼きおごるし、見とってなー」
 言いながら、忠義が凛の肩を抱いた。どう見てもタイプの違う美女二人、といった感じである。ここから体育館までの道すがら、またみんなの注目を浴びることだろう。
 複雑な心境のまま、将太は彼らを見送った。

 その日の午後は、忙しかった。模擬店の見回りやら外来者の誘導やら、さらにはライブの前には、成人式か披露宴でもあるのかというように着飾った女の子たちが大挙して詰めかけ、構内は騒然となっていた。
「あたし、今日はぜーったい太夫のかんざしをもらうわー」
「こないだは帯留めやったけど」
「帯揚げだとあんまり遠くに飛ばないから、前の席のコが有利よねっ」
「アタシ、足袋でもいい〜」
 ファン心理というものは、尋常ではない。
 押しつぶされそうになりながら、やっとのことで全員を入場させたあと。
 ふらふらの状態で、さらに場内警備にあたらねばならない。将太は懐中電灯を手に、体育館の中に入った。
 オープニングの曲は、もう始まっていた。しっとりとした、語りかけるような歌声。忠義が裲襠(うちかけ)をひきずりながら、朗々と歌っている。
 たしかに、きれいやな。自分の見せ方を心得とるわ。
 ゆっくりと舞台の上を移動する。電子ピアノの横に立ち、にっこりとその奏者と視線を交わした。
 ピアノの奏者は、市松人形のような少女だった。おかしいな。打ち合わせのときは、キツネ顔の青年だったのに。
 まあ、メンバーの入れ替えがあってもかまわない。要は、ライブが成功すればいいのだ。
 そこまで考えて、将太はふたたび舞台に目をやった。
 一音一音、はっきりと聞こえる。たしかなタッチ。流れるような旋律。
 この弾き方は、まさか……。
 疑問が確信に変わる。舞台の上で、袴姿で電子ピアノを演奏している美少女。
 それは、間違いなく凛だった。