| 注意一秒、恋一生! by 近衛 遼 ACT19 天高く馬肥ゆる秋、である。 もっとも、大学の学生食堂では一年中、食欲マックスなやつらばかりだったが。 「おーい、逢坂。ちょっとこれ、見てくれや」 法学部の二回生が、声をかけてきた。 つんつんの茶髪にぼろぼろのジーンズ姿のこの男は鷲尾といって、将太が法学部に在籍していたころの同期生だ。なんでも、父親が司法書士事務所を開いていて、自分もその資格を取るつもりでいるらしい。すでにいくつか国家資格を取っていて、将太としては、自分と同じようにバイトに明け暮れているこの男が、いったいいつ勉強しているのか不思議でならなかった。 「体育館の使用時間、これやったらちょっとキツイで。ライブの準備もあるんやし」 ばさり、とテーブルにスケジュール表を広げられた。 「準備は午後からでええって聞いたけど」 アジのフライをかじりつつ、言う。 「それは、六時開演の予定やったからやろが。二時間、早うなったから、朝からセット組まんと間に合わん」 将太もこの男も、大学祭の実行委員だった。何事も頼まれると嫌とは言えぬ性格が災いして、将太はこの一カ月、バイトを休んでまで学園祭の準備に追われている。 「ほな、この日はまるまる、ライブに当てるしかないなー。初日に空き時間があるから、なんとか入れ替えできへんか、先輩に頼んでみるわ」 「オケ部はそのまんまにしとけよ。あとがうるさいから」 「わかっとるって。またあとでな」 「助かるわー。困ったときの逢坂頼みやねんから」 「拝まれても、なんも出えへんで」 味噌汁を飲み干し、将太は席を立った。 今年の大学祭は、例年にまして異様な盛り上がりを見せていた。だいたい、いまの二回生というのがお祭り好きのノリのいいやつが多い上に、三回生にはやたらと親分な性格のやつが揃っている。勢い、各クラブが対抗意識を燃やして、それぞれにこれぞという企画を出していた。 将太は転部をした関係で、実際は一回生のようなものだったが、そこは人脈がモノを言う大学である。先輩にも後輩にもそれなりに頼りにされ、一目置かれていた。 その日はあちこちに掛け合って、体育館の使用時間を調整してもらった。鷲尾の忠告に従って、オケ部だけは素通りしたが。 オーケストラ部の部長は何事も予定通りに進まないと気が済まない性格で、去年の学祭で開始時間が数分ずれただけで、たいへんな騒ぎになった。 鷲尾に言わせれば、オケ部の部長は「勘違いしてるやつ」だそうだ。さわらぬ神に祟りなし。余計なことはやめておこう。それでなくても、学祭の実行委員なんて気苦労が多いのだから。 学祭の前々日、将太は久しぶりに凛に会った。商店街の中で、凛はめずらしく同い年ぐらいの少年と並んで歩いていた。 「凛〜」 無意識に名前を呼んでしまってから、ほんの少し戸惑った。まずかったかな。ダチと一緒のとこに声かけて。だいたい、なに話したらええんや。半月ほど会うてへんかったし。 自分で自分の思考に驚く。いままで、こんなこと考えたことなかったのに。 「将太」 「うわっ」 すぐそばに、凛の顔があった。 「……どうしたの」 不思議そうに、凛が言った。 「どっ……どうって、べつに……」 「なんでもなきゃ、いいけど」 「本庄くん、こちらは?」 横にいた少年が口をはさんだ。背は忠義ぐらいだろうか。銀縁眼鏡に紺色の学生服を着ている。藤ノ宮高校は私服だったはずなので、べつの高校の生徒かもしれない。 「逢坂将太さん。前に、ぼくが貧血を起こしたときに……」 「ああ、生徒会の引き継ぎのときですねえ」 うんうんと頷きながら、続ける。 「あのときは心配しましたよ。きみがなかなか登校してこないものだから」 なんやねん、こいつ。凛とおんなじ学校なんか? 将太はまじまじと、ふたりを見比べた。そんな将太の視線に気づいたのか、銀縁眼鏡の少年はきっちりと一礼して、 「はじめまして。弥勒院といいます」 「あ、どうも、はじめまして」 あわてて将太も頭を下げる。 なんや調子狂うなあ。それに、「弥勒院」やて? ごたいそうな名前してからに。 もっとも、目の前にいる少年はいかにも貴公子然としていて、決して名前負けはしていない。 「で、いま帰りなんか?」 「はい。ちょっと寄るところはありますけど」 凛に訊ねたのだが、答えたのは弥勒院だった。仕方なく、語を繋ぐ。 「なんや。ゲーセンでも行くんかいな」 「まさか。それは校則違反ですよ」 「お堅いんやなあ」 「規則は規則ですから」 将太と弥勒院が話をしている横を、凛がするりと通り過ぎていった。 「あ、ちょっと待てや、凛」 将太の声など聞こえないかのように、すぐ近くの百円ショップに入っていく。 こいつ、こんなとこに入るようになったんか。缶ジュースを飲んだこともなかったようなおぼっちゃんが。 「最近の百均って、なんでもあるよなー」 当たり障りのないことを呟きつつ、あとについていく。弥勒院も店に入ってきたが、なにやら奥の方へと行ってしまった。 ここは、百円ショップとしては大手のチェーン店で、食料品から衣類、雑貨、日用品など品揃えはかなり豊富だ。凛は文具のコーナーでボールペンやルーズリーフ、バインダーなどを手早く選んで、レジへと向かった。 「……それ、おまえが使うんか?」 学生が文房具を購入するのは、なんら変わったことではないが、凛が百円ショップでノートを買うとは思わなかった。よくよく考えてみれば、凛が自分の財布を出したところを見たこともほとんどない。一緒に遊びにいくときも、たいてい将太がおごっていたから。 「生徒会の備品だよ」 「生徒会?」 「経費節減でね。今期から備品は随時調達して、領収書を会計に提出することになったんだ」 そういえば、春まで生徒会の役員をしていたと言ってたっけ。でも、それはもう辞めたはずだが。 そう言うと、凛は後期の副会長に選ばれたのだと告げた。ちなみに、会長はあの銀縁眼鏡だそうだ。 藤ノ宮高校では、生徒会役員は生徒間の推薦で選ばれる。いわゆる選挙運動のようなものはなく、逆に、選ばれた生徒がそれを辞退するためには全校生徒を前にして、なにゆえ役員になれないかを説得する必要があった。 多数の意見に抵抗する力をつける。藤ノ宮高校の変わった教育方針の一端であろう。 凛は買ったものを袋に入れると、ふたたび奥へと戻った。買い忘れでもあるのかと思ったら、どうやら弥勒院を探していたらしい。 「買えましたか」 いったいどこから出てきたのか、いつのまにか詰襟姿の少年は凛の横にいた。 「うん。じゃ、これ」 袋とレシートを差し出す。 「はい。たしかに。あした精算しますから、それまでレシートはきみが持っていてください」 用件だけ言うと、またどこかへと行ってしまった。 やっぱり、へんなやっちゃな。一連の成りゆきを見ていた将太は首をかしげた。 「あれ、ほんまにおまえの友達か?」 「さあ」 「さあ、って……仲ええんとちゃうんか」 「悪くはないと思う。去年から同じクラスだし」 なんとも判然としない答えだったが、それ以上の質問はやめにした。 「ま、ええわ。とりあえず、駅まで送っていこか」 将太がそう言うと、凛はこくりと頷いた。店を出て、駅に向かう。改札の近くまできて、将太はあることを思い出した。ごそごそと上着のポケットを探る。あった。 「あの、よかったらこれ……」 「なに?」 「学祭のチケット。模擬店とか展示とか、いろいろあるねん。最終日は、忠義が体育館でライブやるし」 アマチュアとはいえ、関西ではかなり有名になってきた「くれなゐ太夫」が今年のメインゲストなのだ。 「へえ。大がかりなんだね」 「まあなー。おかげで、バイトもできんぐらい忙しいわ」 「……もらって、いいの」 上目遣いに見て、凛が訊いた。どきり。一瞬、花火のときのことを思い出す。 「えっ……あ、うん。ええで。べつに。ダチのぶんもいるんやったら、まだ何枚かあるし……」 しどろもどろになりながら、ふたたびポケットに手を突っ込む。 「じゃあ、もう一枚」 「一枚でええんか?」 「うん」 さっきのやつでも誘うつもりなんかな。そんなことを考えつつ、チケットを差し出す。凛はそれを受け取り、定期入れに仕舞った。 「行けるかどうか、わからないけど」 「かまへんて。もし来られそうなら、電話してえな」 携帯電話の番号は、凛にも教えてある。それに返事もせずに、凛は改札を通り過ぎていった。 あいかわらずやな。背中を見送りつつ、思う。ほんまに、なんにも変わってへんのかな。 なんとなく寂しくなった。おれ、おまえのこと好きやのに。 ……好き? 自分の思考に、またびっくりした。 やっぱり、好きなんか。おれは。 ……男やねんけどな。 一緒に風呂に入ったことも、プールに行ったこともある。間違いなく、男やねんけど。 あかん。またや。 将太はあわてて、走り出した。こんなとこで、あんなもん思い出したらあかんで。せっかく忠義に返品したのに……。 凛の背中や、すらりとのびた細い手足。やわらかな唇。潤んだ目。それと件の「参考書」が入り乱れる。 間に合わんかったら、どないしよ。 情けなさ全開で、将太は駅構内のトイレに駆け込んだ。 |