注意一秒、恋一生! by 近衛 遼




ACT2
「どうしたん、将太!」
 まず最初に大声をはりあげたのは、次女のあゆみだった。
「犬猫ならともかく、いきなり見も知らん人を連れて帰ってくるんはやめてくれへん?」
 みゆきがため息まじりに言った。
「将太っ! かあちゃんは、あんたをそんな人でなしに育てた覚えはないで」
 皐月はわなわなと震えている。
「人でなして……なんやねん、おかあちゃん」
 将太はわけもわからず、問い返した。
「バイトや言うてひと晩中帰ってこんと、こんなひどいことして」
「ちょっと待ってえな。ひどいてなんやねん。おれ、ほんまにバイト行っとってんで」
「ほんなら、なんでふらふらになった女の子連れて帰ってくるねんっ」
「せやから、これは……」
「あのー、おばちゃん」
 忠義がおそるおそる口をはさんだ。
「なんやっ」
「その子、男の子やで」
「なんやてぇーーーっ!!」
 皐月の右手が将太の横っ面に飛んだ。
「おまえ、男の子に手ぇ出したんかっ!」
 誤解もここまでくると見事である。
「……おまえ、信用されてへんなあ」
 忠義が憐れむよように言った。
「おかあちゃん、ちょっと落ち着いて話きいてえな」
 少年を抱きかかえながら、将太は哀願した。
「畜生の話なんぞ聞く耳持っとらんわ」
 ふん、と横を向く。成り行きを見ていためぐみが、
「まあまあ、おかあちゃん。おにいちゃんにそんな度胸あるわけないやん。どうせどっかで貧血でも起こしとったんを、ほっとかれんで連れてきたんやろ。マルちゃんのときもそうやったやん」
 なあ?とめぐみは忠義に目配せする。ちなみに、忠義はめぐみには「マルちゃん」と呼ばれている。
 彼の本名は黄金丸忠義といって、半年ばかり前にバイト先で将太と知り合った。その後、酔っ払って駅で寝入っていたところを逢坂家に運ばれたことがあるのだ。
「……ま、そういうこっちゃ、おばちゃん。安心し」
 忠義は小声で将太を援護した。
「ほんまかいな、将太」
「ああ。一号線沿いの歩道橋の下でうずくまっとったんや」
「それならそうと早よ言わんかいな、アホ」
 説明する暇も与えなかった当人にどやされて、将太はため息をついた。
「とにかく、おれの部屋で休んでもらうさかい」
「あの万年床にか? ちょっと待っとき。お客用のん出したるわ。干してへんけど、あんたの汗臭いふとんよりましやろ」
 皐月はばたばたと、自分たちの寝室になっている和室にふとんを敷いた。
「これでええわ。ほな、あと頼むで。かあちゃんはもう出なあかんから」
 言うが早いか、皐月は通販で買った大きな多機能トートバッグをひっつかんで飛び出していった。
「あ、もうこんな時間やんか。あんたがおかしなことするさかい、遅刻するとこやったわ」
 一連のやりとりを見物していたあゆみが、将太の頭をゴツンとひとつ叩いて玄関に向かった。みゆきもショルダーバッグを手に、
「今日は晩ごはんいらんわ。内村さんと食べてくるから」
 内村というのは、みゆきの三十回目の見合い相手である。
「鍵持ってるか、みゆきねえちゃん」
 将太は少年を床に寝かせながら、叫んだ。
「こないだみたいに、窓ガラスに石投げて人起こすのはやめてや」
 見た目は大和撫子だが、みゆきもけっこう乱暴なことをしている。
「持ってるわよ。いつまでも古いことごちゃごちゃ言わんといて」
 古いといっても、じつはたった一週間前のことだ。
「ごちそうさまでした」
 姉ふたりがあわてて出ていったあと、さゆりはそう言ってていねいに手を合わせた。
「あー、おいしかった。……あら、私もそろそろ行かなくっちゃ。図書館、始まっちゃう」
 就職してから一カ月あまり。はたしてさゆりが遅刻しなかった日があるのかどうか、疑問だ。
「じゃあ、黄金丸さん。ごゆっくり」
 忠義ににっこり笑いかけて、さゆりはゆっくりとパンプスをはいた。
「いってきまーす」
 あとに残ったのは、めぐみだ。なにやら玄関脇の電話で話をしている。
「はい。たいしたことはないんですけど、しばらく様子を見てから……申し訳ございません。よろしくお伝えくださいませ」
 やたらと丁寧な物言い。どうやら、学校に連絡を入れたらしい。カチャン、と受話器を置くと、すたすたと台所に戻ってきた。
「なんや、めぐみ。学校、休むんか?」
 将太は氷水でおしぼりを作っていた。
「んー、せっかくのチャンスやからねー」
「チャンスって、なんやねん」
「だって、うちに二の宮さまが来るなんて、こんな偶然めったにあるもんじゃないし」
「二の宮さま?」
 なんのこっちゃ。将太が首をかしげていると、
「うちの学校の近くに藤ノ宮高校っていう男子高があるんよ」
 それは知っている。
「で、そこにとびっきりの美形が二人いてねー」
 どうやら、そのうちのひとりが、将太が助けた少年らしい。
 ちなみに、「二の宮」という呼び名は、学年で二番目の成績を修めているかららしい。いったい、どこでそんな情報を仕入れてくるかは謎だが。
「なんでまた、道端に倒れてはったんかなー。病弱やていうウワサはなかったけど……」
 めぐみが好奇心を爆裂させていると、
「おーい、将太」
 和室から忠義が顔を出した。
「嬢ちゃん、目ぇ覚ましたで」
「嬢ちゃんて……ああ、その子か」
 将太は和室に入った。めぐみもわくわくした顔で奥をうかがう。
「起きられるか? ほら、これ」
 将太は少年におしぼりを差し出した。少年はしばらくそれを見つめて、
「ここ、どこですか」
 固い口調。相当、警戒しているようだ。
「おれのうちや。あんた、歩道橋んとこで倒れとってんで」
「それは……覚えてます」
「ほっとくわけにもいかんしなあ。とりあえず、連れてきてしもてん。迷惑やったらごめんな」
 将太の説明に一応は納得したのか、少年は視線を落とした。
「そうですか。それは……すみませんでした。じゃあ、ぼくはこれで」
 きっちり頭を下げて、少年は立ち上がった。まだいくぶん、ふらついている。
「もうちょっと、休んでいきぃな」
「いいえ。今日は休めないので」
「なんかあるん」
「生徒会の引き継ぎです」
「朝っぱらから?」
「……いいえ。午後からですけど」
「ほな、ちょっとぐらい遅れてもええやんか。腹、減ってへんか。いまから朝飯作るし、よかったら食べていき」
「作るって……あなたがですか」
 不審そうなまなざし。
「おう。ワカメは好きか? 味噌汁とじゃこ納豆と大根おろしと卵焼きぐらいでどうや。ちょっと待っとり。すぐ作るさかい」
 じゃこ納豆というのは、文字通り納豆の中にちりめんじゃこを入れたもので、逢坂家の定番お手軽メニューだ。
「おにいちゃん、四人前おねがい〜」
 めぐみがすかさず、口をはさむ。
「四人? おまえはもう食べたんちゃうんか、めぐみ」
「インスタントの味噌汁に味付けのりだけやったもん。おにいちゃんがもう少し早く帰ってきてたら、みんなおいしい朝ごはん食べられたのに」
 逢坂家の女性陣は、総じて料理が苦手である。母の皐月も、子供たちが小さいころはそれなりに奮戦していたのだが、将太が中学生に上がってからはその気力も萎えたらしい。
 対して、男性陣はまめな性格が幸いしたのか災いしたのか、料理をすることが苦ではなかった。父の和夫が十年ばかり前から貸し農園で野菜を作りはじめたのが、その遠因かもしれない。
 十五分後。台所のテーブルには四人分の朝食が並んでいた。
「さ、食べよか。味噌汁とごはんはおかわりあるからな」
 将太はそう言って、猛烈な勢いで食べはじめた。つられるように、少年も箸を取る。しばらくして、
「あの……藤ノ宮高校の方ですよね?」
 出た。めぐみの質問攻撃だ。
「はい」
「やっぱり。私、聖パウロ学園の高等部に通っているんです。ときどき、お見かけしていたんですよ」
 背中に五、六匹猫をかぶって、めぐみはにこやかに言った。聖パウロ学園と藤ノ宮高校は、直線距離で百メートルほどの場所にある。
「そうですか」
「失礼ですけど、お名前は?」
「本庄です」
「ほんじょう? ああ、本庄ね。で、下の名前は」
 食べながらも、視線は外さない。
「……凛」
「リン? まあ、女の子みたいな名前なんですね」
 こころなしかうれしそうな声で、めぐみ。
「めぐみ、しょーもないこと言うな」
 将太が横をにらんだ。忠義は吹き出しそうになるのをかろうじてこらえて、ほうじ茶をすすった。
「あら、恐い。じゃ、私、そろそろ行こうかなー」
 めぐみは自分の食器を流し台に運びつつ、言った。
「では、凛さん、またお会いしましょうね」
 いかにも品よくめぐみが出ていったあと、忠義は大きく息をついた。
「はあーっ……いつ見てもお見事やわ。おまえ、よう身がもつなあ」
 さゆりの「お嬢様言葉」は天然だが、めぐみのはワザである。将太はつねづね、妹には二重人格の気があるのではないかと思っていた。もっとも、それを言うなら長姉のみゆきもそうであるのだが。
「まあな。あれぐらいでヘタレとったら、ここんちでは暮らしていけんし」
 憮然として、将太はお茶漬けをかっこんだ。
「……ごちそうさま」
 小さな声で、凛が言った。
「あ、もうええんか。ほな、りんごでもむこか」
「いいえ。あの……そろそろ失礼します」
「そうか? まあ、顔色もようなったし、もう大丈夫やな」
「お世話になりました」
 再び、凛はていねいに頭を下げた。
「やめてえな、そんなん。国道のとこまで送っていくわ」
「おれも帰る」
 忠義がお茶を飲み干して、立ち上がった。
「食べたら眠うなった」
「ここで寝とってもええで」
「やめとくわ。夕方までおったら、またねえちゃんたちに何言われるかわからんし。……行こか、嬢ちゃん」
 嬢ちゃんと呼ばれて、凛はちろりと忠義を見上げた。
「あれ、気ぃ悪うしたか?」
「……べつに」
 ぷいと横を向いて、凛は自分のリュックを背負った。
「ことば遣いに気ぃつけんかい、忠義。なんぼかわいい顔してても、男やねんで」
 最初、その顔に一目惚れして声をかけたのは将太の方だが、そんなことはすっかり棚に上げている。
「おまえ、それ、フォローになっとらんで」
 忠義は頭をかいた。凛は将太の言葉などまるで聞こえなかったかのように、玄関に向かった。
「あ、ちょっと待ってえな。茶碗、水につけてから行くさかい……鍵どこやったかな。さっき帰ってきたとき、たしかここに……」
 将太があわてて、あちこちをさがしまわっているあいだに、玄関のドアがひときわ大きな音をたてて閉まった。