注意一秒、恋一生! by 近衛 遼




ACT16
 ホームセンターでレジャーシートやカセットコンロやクーラーボックス、それからメインの花火セットを買って、次に隣接するスーパーで食料を調達した。
「なんや、ちょっと買いすぎてしもたなあ。ま、ええか。残ったら持って帰ろ」
 車のトランクにそれらの荷物を積み込む。
「ほな、行こか」
 将太が促すと、凛はたいして面白くもなさそうに、助手席に乗り込んだ。
 急に思い立って、湖畔で花火をすることになった。夏休み中、ほとんどどこにも出かけていない凛を連れて。
 学生の夏休みといえば、クラブやバイトや友達との付き合いで宿題をする暇もないほど(?)忙しいものなのに。
 自身の高校時代を振り返って、そう思う。が、凛はそうではなかった。クラブ活動もしていないし、むろんバイトもしていない。休みのあいだに一緒に遊びにいくような、気のおけない友達もいないようだった。
「このへんで、ええかなあ」
 遠くに琵琶湖大橋が見える。将太は荷物を下ろし、湖岸まで運んだ。
 昨夜、それこそだれかがキャンプでもしたのだろう。あちこちにゴミが落ちている。
「あーあ、こーゆーことするから、キャンプやバーベキューは禁止、なんて言われるんや」
 将太はごみ袋と金火箸を手に、それらのゴミを拾って回った。さすがにそのあたり全部を清掃することはできなかったが。
「まあ、こんなもんやろ」
 自分が出したものでもないゴミで、袋はほぼいっぱいになった。
「はい」
 荷物の側で待っていた凛が、クーラーボックスからコーラを取り出した。
「お、サンキュ。んー、しみるなーっ」
 スポーツタオルで汗をぬぐいつつ、息をつく。
「花火は日が暮れてからやないと意味ないからなー。とりあえず、メシの用意しよか」
「……ほんとに、ここで作るの」
「いまさらなに言うとるねん。カセットコンロも買うたし、水も調味料も持ってきてんで。俺にまかしとき。あ、これ、あとはおまえにやるわ」
 飲みかけのコーラの缶を凛に渡し、調理に取りかかる。凛は複雑な顔をして、レジャーシートの上にすわった。
「こんなん、何年ぶりかな。去年も一昨年も、休みんときはバイトばっかりやっとったからなー」
 例によって、世間話をしながらニンジンやジャガイモを切っていく。鍋をコンロにかけて火を点ける。肉と野菜をざっと炒めてから、ペットボトルに入れてきた水を注いだ。これで、約五皿分。
 凛は、出されたものは残さず食べるように訓練されているらしい。それゆえ、細身のわりには結構な量を食べる。そのせいか、ほとんど間食をしない。
 ふだんの食事の量を考えると、カレーなら二皿は食べるだろう。将太はそう計算していた。
 野外の食事では、残り物を出さないのが原則だ。家と違って冷蔵庫などはないし、捨てて帰るわけにもいかないから。
「よっしゃ。あとは煮えるのを待つだけやな」
 鍋のふたを閉めて、立ち上がる。ふと見ると、凛がコーラをちびちびと飲みながら、湖面をながめていた。
 夕暮れ時。ほのかな朱色に染まった空。凛の横顔にも、同じ色が映っている。
 きれいやな。さっきは可愛いて思うたけど。
 風景の中に、凛はすっかり溶け込んでいた。
「なに?」
 唐突に、凛がこちらを見た。
「へっ……いや、べつに、なんもないけど……」
 なに慌てとるんや。将太はタオルで顔をふいた。
「こっちを見てたから、なにか用があるのかと思って」
「あー、その……釣り道具、持ってきたらよかったなあって……」
 苦しまぎれに、そう言った。
「釣り道具?」
「せや。ほら、あっちの方に、突堤みたいなとこ、あるやろ」
「うん」
「あそこで、釣りできるやろなって思うて」
 実際、何人かが釣り糸を垂らしている。
「それ、いつやるの」
「は?」
「釣り」
「ええと、せやから、鍋が煮えるまで……」
「火のそばを離れて?」
 冷ややかな視線。それはそうだ。鍋を火にかけたままで、釣りに興じるわけにはいかない。将太は頭をかいた。
「やっぱ、ムリやな」
「そうだね」
 凛はふたたび湖面に目を戻した。
 日が落ちる。あたりが、だんだんと色を変えていく。鍋のふたがコトコトと音をたてはじめるころ、太陽はその姿を完全に隠した。


 将太の予想はぴたりと当たり、凛はカレーを二皿食べた。
 やたらとゆっくりとしたペースはいつもと同じ。ということは、不味くはなかったということだ。最後の一粒までスプーンですくって、口に運ぶ。
「ごちそうさま」
 これまたいつも通りに、きっちりと手を合わす。
「お粗末さん。腹いっぱいになったか?」
 紙皿をごみ袋に入れながら、訊く。もし足らなかったら、ポテトチップスやあられを出すつもりだった。
「うん」
 こくりと頷く。表情は変わらないが、おおむね満足しているようだ。
「外で食うのも、なかなかおつなもんやろ」
「不衛生だよ」
「そらそうやけど、人間、無菌室みたいなとこで育ったらロクなことないで」
 雑菌だらけのおれが言うのもなんやけど。
「そう……かもね」
 なにやら考えつつ、言う。
 たぶん、いままでこんな経験をしたことがなかったのだろう。学校行事で、この類のものはあったはずだが。
 サボっとったんかな。なんとなく、わかるけど。
 あのばーちゃんやったら、そんなもん行かんでもよろし、って言いそうやし。
 凛は、じっとこちらを見ている。ほんまは手伝ってほしかったけど、まあ、ええわ。今日は見学や。
 あらかた片付け終えて、将太は大きな花火の袋を取り出した。ホームセンターで、いちばんたくさん本数の入っているものを買ってきた。さすがに打ち上げ花火はできそうになかったが。
「凛ー」
「なに」
「ほら、これ」
 花火の束を渡す。
「ここに、ろうそく置いとくからな。自分で火、点けるんやで」
「わかった」
 おもむろに、花火をろうそくに近づける。
「うわっ、阿呆!」
 将太は凛の手を払った。
「なんだよ」
 むすっとして、凛。
「なんやって、おまえ……んな、何本もいっぺんにやるなや。危ないやろが」
 もしかして、いや、もしかしなくても、花火すらしたことがないのか?
 将太は凛を見下ろした。凛はしばらく手元を見つめていたが、やがて、ぷいっと横を向いた。
「もう、いいよ」
「え、いいって、なにが」
「帰る」
 すたすたと、車の方へ向かう。
「帰るて……おい、ちょっと待てや」
 将太は、凛の腕を取った。
「いまのは、ほんまに危なかったんやて。火傷したらどうすんねん」
「どうせぼくは、馬鹿だよ」
「はあ?」
「将太みたいに、なんでも自分の好きにしてきたわけじゃ……」
 そこまで言って、はっとしたように口をつぐむ。
 せやな。詳しいことはわからんけど。
 おまえは、自分の気持ちを表に出すことがヘタや。それは、この数ヶ月、おまえを見てきてようわかった。せやからおれは、おまえの考えてることを知りたいて思うて……。
 ずっと見てきた。見てもわからんことは多かったけど。
「凛」
 肩を掴む。このまま、帰りたくはなかった。一緒に花火をして、一緒に楽しみたかった。
 顔が上がる。こころなしか潤んだ瞳。じっとこちらを見ている。
 ほんまに、きれいやな。
 将太は思った。もっと、近くで見たい。
 引き寄せられるようにして、将太は凛にキスをした。目を開けたままで。


「え……あ……あの……っ……」
 唇が離れたあと、将太は舌を噛みそうになりながら、口をぱくぱくとさせていた。
「あの……凛、おれ……」
「しないの」
「へっ?」
 するって、なにを?
「花火」
「えっ……ああ、花火……花火、せんとな」
「ぼく、見てるから」
 すっと将太の手から離れて、レジャーシートに腰をおろす。
「せっ……せやな。そこで見とってもろて……。どれからやろうかな」
 しどろもどろになりながら、将太は次々と花火に点火していった。