| 注意一秒、恋一生! by 近衛 遼 ACT13 冷夏という予想を裏切って、今年の夏は暑い。工事現場の誘導の仕事は、一日中サウナの中にいるようなものだった。 「たまらんなあ、もう」 飯場で汗を拭きつつ、忠義がぼやいた。 「簡易シャワーぐらい、置いてくれたらええのに」 「だいぶケチっとるよなあ。ここのマンション、大丈夫かな」 将太は作業服を脱いで、Tシャツに着替えた。 「欠陥住宅やったりして、あとで問題になるかもしれんで。ま、おれらが住むわけちゃうから、どうでもええけど」 忠義は洗面台に頭を突っ込んで、ざっと髪を洗った。 「はーっ、さっぱりした。頭だけでも洗わな、やってられんで」 スポーツタオルをかぶって、どっかりとパイプ椅子に腰を下ろす。 「腹減ったなあ。なんか食いにいこか」 「あ、今日はちょっと用事あるねん」 「なんや、こんな時間から姫さんとデートかいな」 忠義がからかう。 「アホ。来週田舎に行くさかい、土産買わなあかんねん」 「そういうもんは、ふつう親が選ぶんちゃうんか」 「おかあちゃんに任せたら、通販のわけのわからん健康食品になるんは目に見えとるからな」 みゆきだと結婚式の引出物のような洋菓子になるし、あゆみだと「こだわりの名店」の超マイナーな食品になるし、さゆりだとやたらとリリカルなキャラクターの描かれたクッキーやはちみつやジャムのセットになる。 めぐみに至っては「田舎に帰るのに、なんで土産がいるのん?」の一言だ。 「……なるほど」 忠義は神妙に頷いた。逢坂家の女性陣には、忠義も一目置いて(?)いるのだ。 「ほな、お先」 戸口で、手を上げる。 「おう。気ぃつけてなー」 髪をバレッタで止めながら、忠義は鏡の中の将太にウィンクした。 一時間後。将太はデパートの地下であられと佃煮と水ようかんを買った。もちろん、しっかり領収書ももらっている。 「まあ、こんなもんやな。おっちゃんとこのチビすけには、袋菓子でええやろし……」 デパートを出たところで、将太は足を止めた。 「あれ、みゆき姉」 大きなステンドグラスのある広い通路の柱の前で、長姉のみゆきが人待ち顔で立っていた。ブルーグレーのワンピース、白いケリー型のバッグに紺色の靴。薄いレースのストールを肩にかけている。 遠くから見てるぶんには、言うことないんやけどな。 将太は独白した。見た目は大和撫子でも、中身は「立ってる者は親でも爺婆でも赤ん坊でも使え」という性格なのだ。 このまま、知らぬ顔をして帰ろうか。いや、もし、向こうもこっちに気づいていたら、あとでなにかと嫌味を言われるかもしれない。一応、声だけはかけておこう。 「どしたん、みゆき姉。だれかと待ち合わせか」 「あら、将太。あんたこそ、こんなとこでなにやってんの」 どうやら、まったく気づいていなかったらしい。こんなことなら、さっさと帰ればよかった。まあ、いまさら仕方ないが。 「じいちゃんちに持っていく土産買いに行っとってん」 「そんなもん、おかあさんに任したらええのに」 「そういうわけにもいかんやろ。五穀粥のレトルトパックとか、ビタミングミとか持っていったら、笑われるわ」 この説明で、みゆきも納得したらしい。 「みゆき姉、今日は晩ご飯、いらんのか」 この時間に待ち合わせをしているとすれば、おそらく夕飯は外で食べるつもりなのだろう。 「原田さんと食べるから、ええよ」 「原田って……ああ、あの人か」 みゆきは二週間ばかり前、三十一回目のお見合いをした。その相手が、原田茂、三十二歳、某ホテルのフロントマネージャーである。 「やたら腰が低うて米搗きバッタみたいやて言うとったから、もう断ったんかと思うてたけど……」 「……将太」 冷たい低い声で、みゆきは言った。能面のような、張り付いた笑顔が作られる。 これは、もしかして、めちゃくゃまずいかも……。将太はおそるおそる、背後を窺った。 「お待たせしてしまって」 米搗きバッタ……もとい、みゆきの見合い相手の原田茂が、これまたぎこちない笑顔を浮かべて、将太の真うしろに立っていた。 冷たい汗が、こめかみから流れる。これはもう、フォローの仕様がない。 「あの、ええと、その……じゃ、おれは、これで……」 じりじりとその場から離れる。 「将太」 みゆきがちらりと、流し目を送った。 「あとで、ゆっくりお話しましょうね」 思いっきり、やさしい微笑み。 恐い。これが、いちばん恐いんだ。将太はぶんぶんと大きく頷いて、踵を返した。うしろを見ないようにして、ずんずんと進む。 どうしよう。なにが恐いって、みゆき姉の怒りは深く静かに進行することだ。このままだと、夏休み中、ちくちくといびられるかも。 それだけは嫌だ。なんとか、逃げられないものだろうか。 帰省するつもりだったからバイトも入れてないし、友人もほとんど実家に戻っているし、忠義はライブの練習などで忙しいだろうし。 盆のあいだは、身動きが取れないかも。 そこまで考えて、将太はあることを思い出した。 『お暇やったら、お盆のあいだ、凛の勉強を見たっておくれやすな』 先日、多津が言っていたことば。あれは要するに、お盆のあいだ、泊まってもいいということではないだろうか。 勉強を見ることはできないが、家の用事ならできる。草むしりでも掃除でも、なんでもやろう。ほとぼりが冷めるまで泊めてもらえるなら。 将太は急いで家に戻り、荷造りをした。両親はまだ帰宅していなかったが、帰るまで待っていては、大津までの電車の乗り継ぎが危うくなってしまう。 「悪い、めぐみ。くわしいことはあとで電話するって言うといて」 「おにいちゃん、なんかヤバいことでもしたん?」 目をらんらんと輝かせて、めぐみは訊いた。 「なんもしてへんわ。凛とこに泊めてもらうさかい。ほな、急ぐから」 「あらあ、将太。晩ご飯はどうするの?」 台所から顔を出したさゆりが、のんびりとした声で言った。 「おなか、すいてるのよ、わたしたち」 「そうよー。おにいちゃんが作ってくれると思うて待っとったのに」 めぐみがさゆりに同調する。 「寿司でもウナギでも取ったらええやろがっ」 大声で言い捨てて、将太は家を飛び出した。 逢坂将太、十九歳。これが、はじめての家出(?)だった。 |